使い方
「頭が下がる」の意味を理解したところで、実際にどのような場面でどう使えばいいのかを分かっていなければ、せっかく意味を知っているのに上手く使いこなすことが出来ません。
それどころか場違いな使い方をしてしまうこともありますので、意味だけでなく使い方についてもしっかりと理解を深めておいた方が良いでしょう。
「頭が下がる」はどのような場面で、どのように使うのが正しい使い方なのでしょうか?これから例文をご紹介していきますので、参考にして自分でも使っていきましょう。
言葉は実際に使わなければ身に付きませんので、「間違えたらどうしよう」と恐れずに、積極的に使っていきましょう。
例文
「頭が下がる」は、相手に対する敬意や尊敬の気持ちを表す言葉です。
「自分では到底出来そうにない」と思うことや、普通ではやれないようなことを堂々とやっている人に対して「すごいなぁ」という感心や尊敬の気持ちを込めて使いますので、あまり頻繁に使うことはありません。
自分が心から本当にすごいと思った時にのみ、その気持ちを伝えるために口にするのが理想的な使い方でしょう。
以下に具体的な例文を挙げていきます。
彼の勤勉ぶりには頭が下がる
あなたの周りに勤勉な人はいますか?
学生の内は真面目に勉強に取り組む人も多いですが、社会人になってからも勤勉さを忘れない人というのは意外と多くありません。
社会人になれば自分の仕事は一生懸命にやりますが、時には自分の仕事以外でも積極的に取り組んだり、他人を手助けしたりするような勤勉な性格の人がいます。
いわゆる「仕事人間」と言われる人ですが、仕事に関するものであれば本来自分の仕事でないことにも一生懸命に取り組む人や、または仕事の傍らで資格の勉強に励む人など、一般的な人よりもとにかく真面目で一生懸命な人が勤勉な人です。
そして誰もが勤勉になれるかというと、そういうわけではないでしょう。
元来の性格がありますので、怠け癖がある人が勤勉になることは難しいですし、なかなか意識しなければ勤勉でいることは出来ないでしょう。
自分よりも勤勉で、そんな人に憧れの感情を抱いたり、もしくは尊敬したりすることがあるのなら、その相手に対して「彼の勤勉ぶりには頭が下がるよ」と使うことが出来るでしょう。
友人のその愛国心には頭が下がる
愛国心と聞くと、偏った価値観を想像してしまう人もいるかもしれません。
けれどもそれは、「愛国心」という言葉からそのようなイメージをしてしまうだけであり、簡単に言えば「母国を愛する気持ち」です。
それはどの世界中の人にも共通して存在するものですし、自分が生まれ育った土地を愛するように、自分の国を愛する人も大勢います。
そんな愛国心を持った人たちの中でも、一際愛国心が強い人というのも存在します。
国に関する行事には欠かさずに参加したり、自分の国を少しでも他国の人に貶されたら、自分のプライドが傷ついたとでも言わんばかりに反論したりします。
愛国心が強いことは悪いことではありませんが、その愛国心を他人に押し付けてしまうと迷惑がられてしまうでしょう。
しかしそんな押しつけをせずに、個人的に強い愛国心を持っている人に対して、「きみの愛国心には頭が下がるよ」などと使うことがあります。
あの健気さには頭が下がる思いだった
健気な性格の人っていますよね。
あなたの周りにも一人や二人いるのではないでしょうか?
「健気」とは心がけや態度がしっかりしているさまですが、現代では立場の弱い者が、それでも一生懸命に困難に立ち向かっていく様を表わす際に用いられることの多い言葉です。
例えば妻が亭主関白な夫を一生懸命に支えたり、また上司に怒鳴られながらも必死になってその後をついていく部下の様子だったりと、弱い者が奮闘している姿を見た時に「あの人は健気だね」などと言うことがよくあるでしょう。
どんな人にも自尊心がありますので、自分の自尊心を貶されれば当然不愉快な気持ちになるでしょう。
そしてそれが続けば、自分に心無い言葉を向ける相手や自尊心を傷つけるような相手の側にはいたくないと、決別して離れるのが普通です。
しかしどんなに自分の自尊心が傷つけられたり、辛い仕打ちを受けることがあったりしても、それでもめげずに向かっていく人がいる時には、そんな人に感心や尊敬の気持ちを込めて「あの健気さには頭が下がる思いだったよ」などと使うことがあります。
「頭が下がる」と「頭が上がらない」の違い
「頭が下がる」と似た言葉に、「頭が上がらない」という言葉があります。
言葉の意味をよく理解していない人は、どちらも同じ意味として使うことがありますがそれは間違いです。
言葉を使い間違えないためにも、「頭が下がる」だけではなく、「頭が上がらない」という言葉の意味もきちんと理解しておきましょう。
「頭が上がらない」とは?
「頭が上がらない」とは、「相手にかなわないと思ったり負い目があるなどの理由で、対等に振舞えないこと」です。