友達と写真を共有したいなどの意図であれば鍵アカウントを使いましょう。
そうすれば全世界の見知らぬ人間に公開され、勝手な悪口を書きこまれてしまうリスクは下がります。
5.女でいることを諦めない
ブスまっしぐらの「女を捨てる」という行為。
女としての自分を否定したいわけではないのに否定してしまう人はどうしてそうなってしまうのでしょうか。
その理由を紐解き、女としての自分を諦めないための気持ちのリフレッシュと改善策を考えてみましょう。
認知的不協和によって女を捨ててしまう
『すっぱい葡萄』というイソップ寓話をご存知でしょうか。
お腹をすかせたキツネがおいしそうに実った葡萄をみつけ、食べようとして飛び跳ねるも、全然手が届きません(キツネが葡萄を食べるのかは置いておく)。
そこでキツネは悔しさのあまり「どうせこんな葡萄は酸っぱいに違いない。
食べなくて正解」と捨て台詞を吐いて去って行きました、というお話です。
人は自分にとって不都合な事実をつきつけられたとき、それまでの自分の行いや感情とのズレが起きることを嫌うので、前提をくつがえして正当化しようとします。
キツネの例では、「おいしそうな葡萄」という認識を「すっぱい葡萄」にすり替えることで、手が届かなかったという不都合な事実を解消しています。
ブスが女を捨ててしまうのも同じ原理です。
女として愛されたいと思う自分がいるのに、好きになった人にはいつも別の恋人ができてしまう、女としての美しさを認められたのに一度も容姿を褒めてもらったことがないという矛盾を、前提となる「女としての自分」を捨て去ることで正当化しようとします。
「女として愛されない」ではなく「女ではないから愛されなくて当たり前だ」という状況にもっていくのです。
こうすることで強烈な不快感をブロックしていると考えられます。
人類の最先端にいるのだから醜いはずがない
現代人は皆、誰かに素敵だと思われた人たちの間に生まれており、その遺伝子を受け継いでいるわけですから、誰がどうみても醜いということはないはずです。
美醜を言い換えると、万人受けするレベルの違いにすぎません。
万人受けレベルが高いと女優さんやモデルさんになれますが、レベルが低いからといって誰からも愛されないわけではないと覚えておきましょう。
誰からも愛されないわけではないのだから、女を捨てる必要もないです。
認知的不協和を別方向へ移管する
なぜ「人類の最先端にいるから醜くはない」という跳躍した理屈を繰り出したかというと理由はこれです。
認知的不協和には『すっぱい葡萄』以外の例があります。
「タバコは癌になるらしいよ」と聞いた喫煙者が「でもタバコ吸ってても長寿の人いるじゃんね」とタバコを吸うことをやめない理屈にするのもその1つです。
新たな角度の情報を引き出してきて自分を肯定します。
次に、「甘いレモン」をご紹介します。
レモンはそのまま食べれば絶対すっぱいのに、レモンしか得られないので甘いと思い込んで食ってしまうという話です。
ブラック企業に勤めていてそろそろ限界でも転職という選択肢がないと「この仕事は好きで続けているのだ」「私は必要とされているのだ」と思い込むなどが例として挙げられます。
これらの認知的不協和は悪いものではありません。
自分で自分を正当化して守っているのであり、多かれ少なかれ誰しもがやっていることです。
そこで「女ではないから愛されない」という認知的不協和をタバコや甘いレモンの方向へ置き換えてみましょう。
「美人だからといって好きな人と絶対付き合えるわけではないから美人でなくてもいい」「生まれ持った姿にこそ真の美しさがあるはずだ」といった感じです。
しかも、これらはある意味正しいと思います。
美人は「おかちめんこ」にはならないけど「ブス」にはなる
容姿の整った美人が目鼻立ちのつぶれた「おかちめんこ」になることはありませんが、内面が美しくないと「ブス」にはなってしまいます。
写真の撮り方1つとっても、自分だけが綺麗に映るように仕向けたり、そういった写真ばかりSNSにアップするような女はブスです。
「私は絶対ブスじゃない」と思っている女ほどブスですから気を付けましょう。
日本人は大概おかちめんこ
そもそも論ですが日本人は大概がおかちめんこです。