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ふつつかものとは?挨拶で使う時の3...(続き2)

これは言い方にもよりますが「ふつつかもの」と言うと少し相手もどの様に対応をすれば良いのか分からないという事にもなるのです。

大事なのは例えそうだとしても別の言い方などをして、言うというような挨拶もあるので、そちらを覚えておくと良いかもしれません。

行きとどかない者

行き届かない者という意味もあります。

様々なことに対しての配慮などができず、周りを見ることに欠けているというような意味でもあるのです。

例えばですが、先ほども仕事を例にして言いましたが、自分から動くというような事は基本的にはその仕事に慣れてからこそできるようなもの、というような考えを持つ人が多いと思います。

最初の仕事というのは初めての事だらけなので、誰でも分からないです。

いきなりできてしまうというような事はあっても、自分から進んで挑戦をして動くというような人は少ないですよね。

ある程度その仕事の知識を持っているというのが前提となり、それが行動へと変わっていくのではないかと思います。

行き届かないというのは、別の言い方をすれば「未熟」というような意味もあります。

誰でも最初は未熟者ですよね。

仕事の事などをしている時でも失敗をしてしまったりするのは当然のことなのです。

そんな時に「ふつつかものですが」というような言い方をしてしまうと誤解をされてしまうような可能性もあるという事なのです。

時代が進むにつれてどんどん変化をしていく意味ですが、皆さんが使うような意味の場合はこの「未熟」というような意味が強いのではないかと思います。

漢字で書くと「不束者」


漢字で書くと「不束者」と書いて「ふつつかもの」という風に読むのです。

意外にも思うかもしれませんが、この漢字というのは昔からあった言葉であり、今でと意味が少し違っているという事なのです。

昔の漢字から今の時代の意味になるには様々なことがあり変わってしまうというような事もありますが、この「不束者」もその1つで、昔と今とでは意味が少し異なっているという事になるのです。

語源

そんな不束者の語源ですが語源というのは「太束」と呼ばれるものが最初であり、「不束」というのは当て字だという事を覚えておきましょう。

今では未熟者であったり行き届いていないというような意味がありますが、昔はその様な意味などではありませんでした。

太束(ふとつか)

「太束」と書いて「ふとつか」と読みますがこの意味をご存知でしょうか?不束者でも教えた「未熟者」というような意味ではなかったのです。

時代というのはどんどん変わっていきますが、昔使われていたものが今となっては意味が違うというようなものもありますよね。

太束というのは基本的には「太くて丈夫」というような意味があったのです。

短い柱のことをさしていた

短い柱のことをさしていました。

これは平安時代より前から使われているものでもあり、最初の意味は短い柱のことを太束という風に呼んでいたのです。

なので太束というのは基本的には未熟であったり、気の利かないというような意味は一切含んでいなかったのです。

しかしながら時代が進むにつれてその様になっていったのは何故なのでしょうか?

不束者が使われ始めた頃は柱のように太くて丈夫な人を意味した

不束者という風に使われたのは、柱のように太くて丈夫な人を意味したものだったと聞きます。

時代が進むにつれてどんどん価値観というものが生まれてしまい、意味もどんどん変わっていくようになったのです。

なのでこの不束者というのは時代が進むにつれて意味が変わっていくようになり「下品な人」という事や「不格好な人」というような形で使われたことが多かったそうです。

今でもその様な意味で使う人もいるかもしれないですよね。

時代が進むにつれて変化をしていった漢字でもあるのがこの太束であり、不束者へと変わっていったのではないかと思います。

皆さんは普段はどの様な意味で使っていましたか?本来の意味から少し違った使い方をしていたのではないかと思います。

しかし今の時代ではこの様な使い方をするのが一般的にもなっているので、元々の意味というのを知らないという人が多いのではないかとも思います。

例文


ではそんな不束者という言葉を聞くと思いますが、皆さんはどの様な時に使いますか?一般的に使われる場所というのは仕事などのビジネスで使われているという事が1つあるのではないかと思います。