常識から外れていることとは、根拠がないことでもあって、実現不可能なさまを表すのです。
「滑稽なスタイル」ということは、常識のないスタイルと言うことです。
明確な根拠がないのにも関わらず、堂々と持論を主張する人に至っては、「何を考えているのか分からない。
馬鹿馬鹿しくて滑稽に見える」などと揶揄するのです。
荒唐無稽な人と言うのは、その揶揄されているとこと自体にも考えが及ばずに、堂々としているところが滑稽なさまに見えるのです。
滑稽とは、笑いや悲しみを声て、哀れにも見える状況なのです。
馬鹿馬鹿しい
職場の仲間でフルマラソンに挑戦しようと言うので、乗り気ではなかったのですが家に帰ってからも家の周りをランニングする毎日でした。
みんなが前向きにチャレンジすることでチームワークを高めようという課長の狙いだったのです。
課長も頑張って挑戦すると宣言したくせに、脚が悪くなって止めると言い出し、他の仲間も到底無理だという考えであまり練習もしていないことが分かりました。
そんなことを聞くと、挑戦するという気持ちが馬鹿馬鹿しく感じてしまい、走ることを断念したのです。
これに近いことで、何かを頑張っていたけれども、急に何かの理由で馬鹿馬鹿しく感じてしまったという経験はあるのではないかと思います。
このように、「馬鹿馬鹿しい」とは非常にくだらないさま、普通では考えられないほどのひどさと言えます。
マラソンにチャレンジしようとやる気マンマンだったのに、みんなの様子を知った時に「非常にくだらない」と感じてしまったのです。
やりがいが消えてしまったようです。
「馬鹿馬鹿しい」の使い方は、「あまりにも事実を知らずに行動している先輩の言い訳に、聞いているのも馬鹿馬鹿しく感じた。」、「もっと外に営業に出て売りたいと思っているのに、事務所で電話番ばかりで毎日が馬鹿馬鹿しい。」などと使われます。
「本当のことを知らずに失敗して、うまく行かなかった言い訳を聞いているのも馬鹿馬鹿しい」というのを言い換えると、「真実を知らずに行動するのは荒唐無稽の行為だ」ということになるのです。
間抜け
「荒唐無稽」の人と言うのは、実現不可能なことを考える人でもあります。
こんな愚かな人、見当はずれな人のことを「間抜け」とも呼びます。
愚かであることから、その人をののしる時にも用います。
「この間抜けめ!」と叱るのです。
実現できそうにないことを平然と説明して、さもうまく行くように思わせるのです。
でも、その正体を知っている人から見ると「実現できる訳がない」と感じており、そんな様子を見て「荒唐無稽」な考えだと評価するのです。
「間抜けな考えだ」と言い切っているようなものです。
2.不条理な
「あの人は、不条理なことばかり言って来る」などと起こっている人がいました。
不条理とは道理にあわないことのようです。
筋が通らないことを繰り返し言うので、だんだんと腹が立ってきたようなのです。
このように、わけのわからないことを平気で言う人のことを「の人は不条理だ」と非難するようです。
よく考えると、わたしたちの周りには、不条理なことが多いようです。
「不条理」とは、筋道が通らないこと、道理に遭わないことです。
哲学的な意味では、良識や理性の法則に反することで、非論理的、矛盾的なことです。
人生に何の意義も見出せない、絶望的状況を表しているのです。
この世の無意味、非合理の概念から生まれた言葉です。
このような難しいことは抜きにして、道理に合わないことを押し付けてくるときに「不条理だ」と発するようです。
そしてその後には「なぜなんだ?」という疑問が残ってしまうのです。
めちゃくちゃ
「不条理な人だ」というのと同じように「理不尽な人だ」という時があります。
どちらも同じような言葉だと思うのですが、微妙に違っているようです。