だから、妄想によって病的な状態で判断されたことについては、慎重に考えておく必要があるのです。
もうすぐ地球に大きな隕石が衝突して、その衝撃で都市が破壊されたり、地球の気候の大変動が起こって地球上の生物は絶滅するとか、まことしやかに自論を展開する人もいます。
多くの人を不安に陥れるのは、荒唐無稽の考え方であって、可能性はあるけれども極めて起こり得ないこと、根拠が乏しい考え方であるのです。
単なる自分の空想で済ませばよいのに、わざわざみんなに知らせることなど、荒唐無稽な人と言えます。
錯覚
「あれはわたしの錯覚だった」と謝る時があります。
「確かに、あの箱に入っているのを見たことがある」と断言したのでしたが、実際には入ってはいませんでした。
何かを探している時に、あの箱に入れたという人と、あの箱に入っているのを見たという人がいると、きっとあそこに探している物があるはずだとみんなは喜ぶのです。
そこで、みんなでその箱を開けてみると、まったく別のものが入っていました。
そんな時に、あの箱に入っているのを見たという人は「錯覚だった」と言って謝るのです。
このように、錯覚とは感覚器に異常が無いのにも関わらず、実際とは異なる知覚を得てしまうことなのです。
対象物に対して、誤った感覚や認識を持ってしまうのです。
錯覚に、恐怖心が加わったりするとどうなるか、これのことわざが古くから残っています。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」です。
幽霊というものの存在を信じてはいませんが、幽霊自体は怖いものだという認識はあるのです。
そして、夜道をひとりで歩いているときに、風が吹いてサワサワという音が聞こえてくると、何かが潜んでいるように感じられるのです。
恐怖心もあってその方角を見ると、そっと手を前に突き出して立たずむ幽霊を見つけるのです。
「ギャッ」と言って腰を抜かすほど驚いたのですが、冷静になってよく見るとそれは枯れたススキの穂であったということわざです。
恋愛のシーンでも多いようです。
日頃の言動や態度から、きっと彼女は自分に惚れているんだと思っていたのですが、ある日別の男性と楽しそうにデートしているところを見てしまったのです。
「これは錯覚なのだ」と彼女を信じていたのですが、その後その彼氏と婚約をしてしまったりすると、一挙に夢が壊れてしまったのです。
荒唐無稽の夢を見ていたと言えるのです。
神話
「神話」という言葉は、書物にはよく登場する言葉です。
何気なくですが、これまで人類が経験した超偉大な歴史話というように考えていました。
そこで意味を調べてみると、「人類が認識する自然現象、または民族や文化・文明などの様々な事象を、世界が始まった時代における神などの超自然的・形而上的な存在や文化英雄などと結び付けた、一回限りの出来事として説明する物語で、諸事情の起源や存在理由を語るものということです。
(Wikipediaより)非常に長い説明ですが、神話となると、時空を超えた超人的な神の話と言うことでしょうか。
同じように、「伝説」というのがあります。
こちらの方は、「神話」よりは時代と史実が明確であって、現実的な話のようにも思えます。
「神話」の方は、存在したかどうかも、起こり得るかどうかも十分に推測できない話のようで、いわゆる「荒唐無稽」に近い表現になるようです。
「神話」と言えば、あまりにも現実離れしています。
「荒唐無稽」も同じように現実離れした話と言えるのです。
絵空事
「それは絵空事だよ」と言われると、自分が提案したことは実現できるはずがないと完全に否定されてしまったことと同じです。
あれだけ根気よく真剣に考えたのですが、肝心なところが抜けているという失態でした。
「根本的な考え方が間違っているよ!」とさらに追い打ちを食らってしまうと、意気消沈です。
「絵空事」とは、絵画には美化や誇張が加わって、実際とは違っていることから、大げさで現実にはあり得ないこと、誇張した表現という意味です。
つい自分の考えを採用してもらおうと思うと、成果もつい大きく描いてしまうのです。
自分では誇張とは思っていないのですが、冷静に判断すると実際とはかなり違っていたりするのです。
このような性格の人は、私生活でもつい誇張して話したり、恋愛のシーンでもふたりの将来を、ついつい美化してしまうのです。