わたしの近所に、いつもおもしろい話をしてくれるおじいさんがいました。

まだわたしが小学生の頃には、いつも公園の片隅のベンチに座っていて、本を読んだり何かを考えていたりしていた様子を覚えています。

暑い時も寒い時も、よく座っていたことを思い出します。

暑い時には木陰のベンチに、寒い時には日当たりの良いベンチにと場所を変えてはいたのですが、座り方も様になっていて公園に溶け込んでいるように思えました。

何をするという目的もないようなのですが、公園で子供達が騒いで遊んでいるのをぼんやりと見ていたようです。

公園で弁当やパンを食べているところを見たことがないので、食事時には自宅に帰っていたと推測するのです。

いまから振り返ると、年齢は70代だと思えます。

事情があって家にいるよりは公園の方が過ごしやすかったのかも知れませんが、本当のところは何にも知らないのです。

ただ、ご近所のオバサン達とは愛想よく会話をしていたので、危険な人物では無いことは認識していました。

なぜそのおじさんのことをよく覚えているかというと、ある日友達3人とボールで遊んでいる時に、ボールがそのおじさんのところに転がって行って、それを拾ってくれた時に話しかけてきたのです。

「君たちは、あの小学校の生徒なの?」と聞いてきたので「そうです」と答えると、「あそこでおじさんはよく川遊びや魚取りをしたんだよ」と言ったのです。

「どこで?」とわたしは驚きました。

「今は小学校になっているけれども、昔はため池でそこから水が流れて小さな小川があったんだよ」と、さらに続けて「小学校にあった池で、フナや鯉も釣ったよ」と言ったのです。

わたしたち3人は、口をぽかんと開けて、おじさんの行くことが信じられなかったのを覚えています。

難しい言葉で言うと「荒唐無稽」な話に聞こえたからです。

今は立派な小学校になっているのですが、昔は池であったようです。

大きな運動場は池を埋め立てて作ったようです。

家に帰ってそのことをお母さんに尋ねても、そういえばそんな話を聞いたことがあったかな?というぐらいです。

お父さんは地元出身だから知っているだろうと聞いてみると、お父さんもその当時のことはハッキリと覚えていないようで、池を埋め立てたことは祖父に聞いたとのことでした。

間違いなく池はあったのですが、わたしたち子供にとっては、荒唐無稽な話だと感じたようです。

つまり、「嘘だろう!でたらめだろう!」と思ったのです。

荒唐無稽とは?

「荒唐無稽」とは、「荒唐(こうとう)」と「無稽(むけい)」が合わさってできている言葉です。

「荒唐無稽」とは、言うことがでたらめで根拠がないことを意味します。

平たく言うと「噓っぱちだ!」とでも言うのでしょうか。

普通の会話ではあまり使わない言葉でもあります。

しかし、いい加減な提案や申し入れに対して、文書で回答する時などには「こんないい加減な計画では・・・」とか「このような現実的でない噓っぱちの計画では・・・」などと書くよりも、「このような荒唐無稽の計画では・・・」などと表現すると真剣に対応している雰囲気を伝えることができます。

「荒唐無稽」の表現には、「人の言動などに根拠やまとまりがなくいい加減で現実性が無いことを表現しているのです。

「そんなはずはない!」とか「そんなことにはならない!」と強い否定が含まれているのです。

「この場所に出店すると、1年で元が取れるよ」という提案者と、「この場所では、赤字は間違いない。そんな考えは荒唐無稽だ」とやり合うのです。

現実的でない時に、よく使われる四文字熟語なのです。

読み方「こうとうむけい」


「荒唐無稽」は、「こうとうむけい」と読みます。

「荒唐」と「無稽」の熟語でできています。

意味

「荒唐」とは、言説などによりどころが無くとりとめのないさまのことです。

「無稽」とは、根拠がないこと、でたらめであることです。

「稽(けい)」という文字は、練習ということと同じように「稽古(けいこ)をする」としても使われてます。

「稽」とは、昔の書を読んで物の道理や故実を学ぶことで、学問という意味でもあります。

稽古とは、古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味です。

「稽古に励む」とは「練習に励む」なのです。

根拠がなく、現実性のないこと

「荒唐無稽」という言葉が目に留まった記事がりました。

それは、楽天の三木谷浩史CEOの携帯事業への参入に関して、加盟店向けのイベント「Rakuten EXPO 2018」での演説に対する評価に関してでした。

三木谷CEOがそのイベントで基調講演をしたのでした。

楽天は、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクに続いて通信キャリア(MNO)として携帯電話事業に参入するということで、楽天の将来性についての講演をしたのでした。

その理由は、6~7年前には考えられなかったのですが、PCからよりもスマホから楽天にアクセスする割合が増えたことです。

そこで、改めてスマホの重要性を認識して急遽携帯電話事業に参入することを決断したそうです。

また、家計に置いても通信費の比率も増え続け、楽天の会員(9700万人)を考えると十分採算が合うとの考えです。

しかし、この講演の中で、NTTドコモ、KDDI,ソフトバンクを抜いて国内No.1の携帯キャリアになることや、日本人の半分は楽天を使うなどと言い切ったのです。

そのためのネットワークの整備についてかなり疑問視されていましたが、今までにない技術でブレイクスルーすると胸を張ったそうです。

この講演会場には楽天市場に出展している通信サイト関係者4000人ほどが参加していましたが、どういった技術でブレイクスルーするのかは明確にはされませんでした。

そして、ソフトバンクでさえも契約者数ではNTTドコモを超えていないことなどから、三木谷CEOの発言は、かなり「荒唐無稽」に聞こえるとの意見が多かったそうです。

つまり、ネットワークの整備の方法や日本でNo.1の携帯キャリアになることについては、根拠がなく現実性のないことだと批判されたのでした。

最近の事例をご紹介しました。

でたらめ

荒唐無稽の同義語で「でたらめ」という言葉があります。

「あいつは、でたらめなことばかり言う」などと批判したりします。

「でたらめ」とは、当て字の漢字は難しくて書けないですね。

「出鱈目」と書きます。

「目」とはサイコロの「目」のことで、「出たら出たその目」ということです。

サイコロ賭博で使われるサイコロは、四角い立方体で面の数は6個です。

サイコロを振ると、六分の一の確率(約17%の確率)でどの面が出るかは分かりません。

博打ではこの六分の一の確率の運命に従わなくてはならないので、思った通りの目が出ないこと、すなわちサイコロはいい加減だ、となったのです。

そこで、いい加減なことを「出たら目」というようになって、それの「たら」の当て字に白身の魚である「鱈(たら)」が使われたようです。

「鱈」の漢字を使ったこともいい加減だったのかも知れません。

「でたらめ」とは、筋に通らないことやいい加減なことを言ったりしたりすることです。

「でたらめな話」とか「でたらめを言う」「でたらめな人」などと使います。

荒唐無稽の類語や関連語


「荒唐無稽」とは、言うことがでたらめで、根拠がないことを意味しています。

「荒唐」とは話や考えによりどころがなく、とりとめのないことで、「無稽」とは根拠がなくでたらめのことです。

これらの言葉が合わさってできた四字熟語なのです。

古くは中国の「荘子」という書物に出てくる「荒唐之言」と、「書経」に出てくる「無稽の言」とが合わさったものと考えられています。

言うことがでたらめなことと、話に根拠がないことから、「馬鹿ばかしい」とか「滑稽な」「愚かな」「事実無根」「無茶苦茶」などと表現されることもあります。

1.滑稽な

「滑稽」とは、笑いの対象となるおもしろいことです。

もう一つ、おどけた様を意味することもあります。

笑いの対象でおもしろいことから、あまりにも馬鹿馬鹿しいことを表現する時に使われます。

あまりにも馬鹿馬鹿しいので、常識を外れたおかしさを意味するのです。

常識から外れていることとは、根拠がないことでもあって、実現不可能なさまを表すのです。

「滑稽なスタイル」ということは、常識のないスタイルと言うことです。

明確な根拠がないのにも関わらず、堂々と持論を主張する人に至っては、「何を考えているのか分からない。

馬鹿馬鹿しくて滑稽に見える」などと揶揄するのです。

荒唐無稽な人と言うのは、その揶揄されているとこと自体にも考えが及ばずに、堂々としているところが滑稽なさまに見えるのです。

滑稽とは、笑いや悲しみを声て、哀れにも見える状況なのです。

馬鹿馬鹿しい

職場の仲間でフルマラソンに挑戦しようと言うので、乗り気ではなかったのですが家に帰ってからも家の周りをランニングする毎日でした。

みんなが前向きにチャレンジすることでチームワークを高めようという課長の狙いだったのです。

課長も頑張って挑戦すると宣言したくせに、脚が悪くなって止めると言い出し、他の仲間も到底無理だという考えであまり練習もしていないことが分かりました。

そんなことを聞くと、挑戦するという気持ちが馬鹿馬鹿しく感じてしまい、走ることを断念したのです。

これに近いことで、何かを頑張っていたけれども、急に何かの理由で馬鹿馬鹿しく感じてしまったという経験はあるのではないかと思います。

このように、「馬鹿馬鹿しい」とは非常にくだらないさま、普通では考えられないほどのひどさと言えます。

マラソンにチャレンジしようとやる気マンマンだったのに、みんなの様子を知った時に「非常にくだらない」と感じてしまったのです。

やりがいが消えてしまったようです。

「馬鹿馬鹿しい」の使い方は、「あまりにも事実を知らずに行動している先輩の言い訳に、聞いているのも馬鹿馬鹿しく感じた。」、「もっと外に営業に出て売りたいと思っているのに、事務所で電話番ばかりで毎日が馬鹿馬鹿しい。」などと使われます。

「本当のことを知らずに失敗して、うまく行かなかった言い訳を聞いているのも馬鹿馬鹿しい」というのを言い換えると、「真実を知らずに行動するのは荒唐無稽の行為だ」ということになるのです。

間抜け

「荒唐無稽」の人と言うのは、実現不可能なことを考える人でもあります。

こんな愚かな人、見当はずれな人のことを「間抜け」とも呼びます。

愚かであることから、その人をののしる時にも用います。

「この間抜けめ!」と叱るのです。

実現できそうにないことを平然と説明して、さもうまく行くように思わせるのです。

でも、その正体を知っている人から見ると「実現できる訳がない」と感じており、そんな様子を見て「荒唐無稽」な考えだと評価するのです。

「間抜けな考えだ」と言い切っているようなものです。

2.不条理な

「あの人は、不条理なことばかり言って来る」などと起こっている人がいました。

不条理とは道理にあわないことのようです。

筋が通らないことを繰り返し言うので、だんだんと腹が立ってきたようなのです。

このように、わけのわからないことを平気で言う人のことを「の人は不条理だ」と非難するようです。

よく考えると、わたしたちの周りには、不条理なことが多いようです。

「不条理」とは、筋道が通らないこと、道理に遭わないことです。

哲学的な意味では、良識や理性の法則に反することで、非論理的、矛盾的なことです。

人生に何の意義も見出せない、絶望的状況を表しているのです。

この世の無意味、非合理の概念から生まれた言葉です。

このような難しいことは抜きにして、道理に合わないことを押し付けてくるときに「不条理だ」と発するようです。

そしてその後には「なぜなんだ?」という疑問が残ってしまうのです。

めちゃくちゃ

「不条理な人だ」というのと同じように「理不尽な人だ」という時があります。

どちらも同じような言葉だと思うのですが、微妙に違っているようです。

「不条理」が道理に合わないこと、道理に反することを指しますが、「理不尽」は道理を尽くさない、道理が足りない、納得できないという意味です。

「理不尽」の方は、道理を尽くさないことなのです。

簡単に言うと「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)」なのです。

「無茶苦茶(むちゃくちゃ)」とも言いますが、意味は同じです。

まったく筋道が通らないことです。

さらには、どうにもならないほどに壊れてしまい混乱することです。

「くちゃ」は「めちゃ」の強調語で、「めちゃ=とても、すごく」を強調しているのです。

「めちゃ」は関西に多い表現で、京言葉にも「めちゃ」はよく出て来るようです。

「荒唐無稽」なことなら「めちゃですわ」とでも言うのでしょうか。

TVの人気番組で、「めちゃ×2イケてるッ!」という番組があったり、「めちゃコミック」という国内最大級の電子コミックストアもあるのです。

若い人も、「ものすごく大きい」というのを、「めちゃでかい」などと、「めちゃ=ものすごく」を多用するようです。

「めちゃくちゃ」を縮めて「めちゃ」と一言でも表現しますが、「めちゃ」の意味は広いようです。

「荒唐無稽な計画だ」というのも、「めちゃな計画だ」と表現もできます。

若い人には、「めちゃ」のほうが使いやすくて理解しやすい言葉でもるようです。

筋違い

「それは筋違いな話です」と言われると、「それは見当違いな話です」と言われていることと同じです。

「筋違い」とは、本来ある物に対して斜めの方向に位置することで、道を聞かれたときに「そのお店は、交番の筋違いにあります」などと位置関係を表現する時に使われる言葉です。

これが転じて、道理に外れた言動をするさまや、見当違い、おかど違いという意味に使われます。

「筋違いな要求を突き付けられた」とか、「わたしに文句を言うのは筋違いだ」などと使われます。

「筋違い」も現実とは異なることを押し付けるので、荒唐無稽と同じ感覚で使用されます。

大工さんや接骨院でも「筋違い」の言葉が出てきます。

建築家の言葉では「筋違い」は「すじかい(筋交い)」と呼んで、地震や台風などによって家が傾かないように壁に斜めに取りつける柱のことを言います。

家を補強する時には必要な補強部材で、木造建築では耐震性を高めるための工夫なのです。

また、スポーツ障害で起こりやすい症状が、「肉離れ」と「筋違い」「捻挫」です。

「肉離れ」や「筋違い」は、筋肉や腱(けん)が衝撃を受けたり、無理に伸ばされてしまって起こる外傷のことです。

これがひどくなると故障となって運動を制限されてしまうのです。

首の筋を寝違えると、痛くて首が回らなくなることのもなります。

筋違いとは、道理に反することを指しますが、建築業界や整体の業界でも使われる言葉なのです。

3.連想される言葉

「荒唐無稽」という熟語には、いろいろと連想される言葉があります。

空想

誰でも、時にはボーっとしていろんな空想をする時があります。

電車に乗って座って窓の外の景色を見ながら空想にふける時もあるのです。

昨夜に仲間と入った居酒屋のアルバイトの娘のことを思い出します。

なんだか雰囲気が良くて、自分には特に優しかったように思えたのです。

一言二言話しかけた時の会話の内容から考えると、きっと文系の大学で学んでいるはずだとか、会話の時のイントネーションから東北の出身ではないかとか、空想してしまうのです。

さらには、今はもちろん独身で彼氏もいないはずだとか、彼女目当てに来ている客も多いはずだとか、私生活に関することまでいろいろと空想してしまうのです。

空想はいくらでも夢を膨らませることができて楽しいものです。

しかし、この夢だけを追いかけて、現実離れした空想、つまりは妄想を語ってばかりいると、みんなに敬遠されてしまうのです。

妄想とは、病的な状態でもあるのです。

だから、妄想によって病的な状態で判断されたことについては、慎重に考えておく必要があるのです。

もうすぐ地球に大きな隕石が衝突して、その衝撃で都市が破壊されたり、地球の気候の大変動が起こって地球上の生物は絶滅するとか、まことしやかに自論を展開する人もいます。

多くの人を不安に陥れるのは、荒唐無稽の考え方であって、可能性はあるけれども極めて起こり得ないこと、根拠が乏しい考え方であるのです。

単なる自分の空想で済ませばよいのに、わざわざみんなに知らせることなど、荒唐無稽な人と言えます。

錯覚

「あれはわたしの錯覚だった」と謝る時があります。

「確かに、あの箱に入っているのを見たことがある」と断言したのでしたが、実際には入ってはいませんでした。

何かを探している時に、あの箱に入れたという人と、あの箱に入っているのを見たという人がいると、きっとあそこに探している物があるはずだとみんなは喜ぶのです。

そこで、みんなでその箱を開けてみると、まったく別のものが入っていました。

そんな時に、あの箱に入っているのを見たという人は「錯覚だった」と言って謝るのです。

このように、錯覚とは感覚器に異常が無いのにも関わらず、実際とは異なる知覚を得てしまうことなのです。

対象物に対して、誤った感覚や認識を持ってしまうのです。

錯覚に、恐怖心が加わったりするとどうなるか、これのことわざが古くから残っています。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」です。

幽霊というものの存在を信じてはいませんが、幽霊自体は怖いものだという認識はあるのです。

そして、夜道をひとりで歩いているときに、風が吹いてサワサワという音が聞こえてくると、何かが潜んでいるように感じられるのです。

恐怖心もあってその方角を見ると、そっと手を前に突き出して立たずむ幽霊を見つけるのです。

「ギャッ」と言って腰を抜かすほど驚いたのですが、冷静になってよく見るとそれは枯れたススキの穂であったということわざです。

恋愛のシーンでも多いようです。

日頃の言動や態度から、きっと彼女は自分に惚れているんだと思っていたのですが、ある日別の男性と楽しそうにデートしているところを見てしまったのです。

「これは錯覚なのだ」と彼女を信じていたのですが、その後その彼氏と婚約をしてしまったりすると、一挙に夢が壊れてしまったのです。

荒唐無稽の夢を見ていたと言えるのです。

神話

「神話」という言葉は、書物にはよく登場する言葉です。

何気なくですが、これまで人類が経験した超偉大な歴史話というように考えていました。

そこで意味を調べてみると、「人類が認識する自然現象、または民族や文化・文明などの様々な事象を、世界が始まった時代における神などの超自然的・形而上的な存在や文化英雄などと結び付けた、一回限りの出来事として説明する物語で、諸事情の起源や存在理由を語るものということです。

(Wikipediaより)非常に長い説明ですが、神話となると、時空を超えた超人的な神の話と言うことでしょうか。

同じように、「伝説」というのがあります。

こちらの方は、「神話」よりは時代と史実が明確であって、現実的な話のようにも思えます。

「神話」の方は、存在したかどうかも、起こり得るかどうかも十分に推測できない話のようで、いわゆる「荒唐無稽」に近い表現になるようです。

「神話」と言えば、あまりにも現実離れしています。

「荒唐無稽」も同じように現実離れした話と言えるのです。

絵空事

「それは絵空事だよ」と言われると、自分が提案したことは実現できるはずがないと完全に否定されてしまったことと同じです。

あれだけ根気よく真剣に考えたのですが、肝心なところが抜けているという失態でした。

「根本的な考え方が間違っているよ!」とさらに追い打ちを食らってしまうと、意気消沈です。

「絵空事」とは、絵画には美化や誇張が加わって、実際とは違っていることから、大げさで現実にはあり得ないこと、誇張した表現という意味です。

つい自分の考えを採用してもらおうと思うと、成果もつい大きく描いてしまうのです。

自分では誇張とは思っていないのですが、冷静に判断すると実際とはかなり違っていたりするのです。

このような性格の人は、私生活でもつい誇張して話したり、恋愛のシーンでもふたりの将来を、ついつい美化してしまうのです。

絵空事に取られないように、地に足をつけた計画を立てるべきです。

絵空事が大きくなると、荒唐無稽の話になってしまうようです。

虚栄

街を歩くと、ブランドのロゴマークがついたバッグやシャツを身に付けた人をよく見かけます。

いかにもこのブランドを持っていると誇示したいようにも見えるのです。

偽物か本物かは別として、ロゴマークにはご執心の人が多いことは知られています。

このように、ロゴマークを誇示するのは、虚栄心が強いことを表しています。

身に付ける物だけでなく、いわゆるお受験と呼ばれる子供の進学に関しても、母親たちは虚栄心むき出しで有名校に進学させるのです。

「虚栄」とは、①実質の伴わないうわべだけの栄誉、②外見を飾って、自分を実質以上に見せようとすること、見栄のことで、「虚栄を張る」などと使われます。

「虚栄心」とは、見栄を張りたがる気持ちのことで、自分は他のひととは違うというプライドが高いのです。

虚栄心が強いと、自分の考えることは他の人の考えることとは比較にならないほど優れていると虚栄を張ってしまうので、まともな人からは荒唐無稽の話だと笑われてしまうことになるのです。

使い方

荒唐無稽と表現するからには、実現できそうにない滅茶苦茶な考え方だと指摘する時に使用されます。

例文

荒唐無稽を使った例文を参考のためにまとめてみました。

彼は荒唐無稽な仮説を語っていた

何かについて考え方を述べたり、研究の成果を報告する時に、その考え方には無理があるだろうという時に使われます。

この度、無名の高校のサッカー部の監督に就任した先生が、部員の父兄を前にして持論を展開したのです。

「わたしはサッカーの経験がありません。しかし、誰よりもこのチームを育てるという熱意を持っています。1年目は基礎を作り、2年目は地方大会でベスト4に入り、3年目では地方大会で優勝を目指したい。5年後には全国制覇を目指します。」と報告したのです。

また、「サッカーの基本は脚力です。

まずは走り込みをして脚力を伸ばしたい。

サッカーで勝つためには、ドリブルよりも脚力が重要。

しばらくはボールに触れなくても良い」と説明したのです。

すると父兄の中から、「サッカーの経験のない先生が指導するというのも理解できない。

しかも、3年目で地方大会で優勝できるなんて荒唐無稽な仮説だわ」と冷ややかな感想を漏らしたのです。

彼は、荒唐無稽な仮説を語っていたようなのです。

私は荒唐無稽な約束に非常に驚いた

わたしを好きだと告白してきた人は、「結婚したら、地中海に別荘を構えて日本と地中海を行き来して暮らし、世界の有名なグルメを堪能させてあげる!」などと告げたのです。

しかし、語学も苦手な彼が海外で暮らすことにも疑問があるし、それだけの資金も持っていないように見えたので、わたしは荒唐無稽な約束に非常に驚いたのでした。

あまりにも荒唐無稽な話で信じられないのは当然だった

空想が好きな彼は、時々不思議な話を仕掛けてきます。

先日も、街を連れだって歩いていると、「都会には、みんなには分からないけれどもエイリアンがたくさん住んでいるんだ。

都会の人口の約1割がエイリアンだよ。

見かけは分からないけれども、特徴があって区別できるんだ」などと言いました。

特徴を教えてあげると言われましたが、興味もないので信じられないと断った。

あまりにも荒唐無稽な話で信じられないのは当然だった。

荒唐無稽な人の5個の特徴

荒唐無稽な人はどのような特徴を持っているのでしょうか。

まとめてみました。

1.いいかげんである

荒唐無稽な人と言われる所以は、やはり言動がいいかげんであるのです。

何に関しても美化したり誇張したりと事実とはかけ離れた表現が好きなのです。

初めて会った男に対しても、「彼は政治家に向いている。総選挙の時には立候補すべきだ。政党はどこでもいいだろう」などといいかげんなことを言うのです。

根拠も何もないのです。

2.言動に一貫性がない

「地球は寒冷化に向かっている。

あと20年もすれば東京も北海道並に冷えるよ」などと寒冷化を説いていた学者が、40℃超えをする気温に、「こんなに暑い日が続くのは、温暖化が原因だ」と寒冷化から温暖化に変更した。

周りの人が、考え方をかえたのですか?と尋ねると、「君子は豹変するんだ」と不思議な答えを出すのです。

言動に一貫性がない人は、荒唐無稽な人の典型です。

3.大雑把

荒唐無稽な人は、何事も大雑把です。

ある場所にレストランをオープンする計画を立案した人が、オーナーから計画について尋ねられました。

「この場所なら、一日に何人ぐらい集客できるか?」すると「さあ、200~300人位だと思われます」、「それで利益は確保できるのか?」「はい。

できなければ単価を上げましょう」「それでお客さんが離れたらどうする?」「では、別の商売を始めましょう」などと大雑把なのです。

4.思い付きで行動する

荒唐無稽な人は、切り替えも速いようです。

ひらめきが得意で、都合が悪くなると、すぐに思いつきで行動するようです。

5.信憑性に欠ける発言が多い

根拠がないことが多いので、当然信憑性にかける発言が多いのです。

ひらめきが得意で、次々に滅茶苦茶な展開になることも多いのです。

正しい意味を知って正しく使おう(まとめ)

人間は、誰もが自分を誇張して見栄を張る時があります。

どうだ、こんなにすごいんだと思わせたいのです。

そして、その差を埋めようと頑張るのですが、その努力をして実力をつけないで口だけでカバーしようとすることがあります。

その方が楽であるしみんなが注目してくれるからです。

ところが、話が大きくなればなるほど現実との差が開いてしまいます。

できもしないことも、簡単にできると持論を展開したリ、空想の話を持ちかけたりと妄想が膨らんでいきます。

すると、誰の目にも絵空事だと分かるようにもなって、でたらめを言っていると烙印を押されてしまいます。

簡単な表現では、滑稽で滅茶苦茶な話だと思われるのです。

そんな無茶な話を持ちかけられた時には、「それは無茶ですわ」と関西弁で断るよりも、「それは荒唐無稽な話です」と返すことのほうが真摯に答えているようにも思われるのです。

文書で表現する時には、「荒唐無稽」という言葉を知っているだけで、相手から一目置かれることになるようです。

「そんなバカなことを言うな」と言うよりも、「そのような荒唐無稽の話には応じられません」と断るのが大人の対応とも言えるのです。

荒唐無稽な出来事は周りには多く見られます。

この言葉を使う機会も多いはずです。