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「ビジョナリー」とはどういう意味?...(続き4)

道なき道を行き迷い込んでしまう可能性の方が高いです。

目指すものがあって、そのためにいろんなルートがある中で、誰も行ったことのないルートを選ぼうとする。

それがビジョナリーな人たちです。

「みんなと違うやり方を試してみたい」「やったことのないやり方でやった方が面白い」と考えられるのは、好奇心が旺盛だからそういった発想ができるとも言えるでしょう。

失敗してもすぐ諦めない

失敗してすぐに怖気づいてしまい、もうやめておこうと諦めてしまう人も多いのではないでしょうか。

ビジョナリーといわれる人たちは、失敗してもすぐに諦めない人が多いです。

自分の失敗に落ち込んでしまうよりも、「このやり方じゃだめだったか。

じゃあこっちのやり方ならどうだろう?」と別のやり方を試していくトライ・アンド・エラーを楽しむ傾向にあります。

目的意識がはっきりしているので、多少失敗したくらいではへこたれません。

目的を実現するためには、あの手この手で頑張るわけです。

精神的に強い

メンタル面が強く、失敗して落ち込むということがあまりありません。

もちろん反省点は考察しますが、それは次回のトライに活かすためであり、落ち込むためではありません。

ましてやチームでなにか失敗したときに犯人探しに時間を使う、ということもしません。

なぜだめだったのか、どうすれば成功するのかのみを念頭においています。

挑戦する過程を楽しむことができますし、失敗してもそれで終わりではなく、まさに「失敗は成功の母」だと思っているので失敗することを恐れないのです。

だからこそ何度でも思い切りよく問題にぶつかっていくことができます。

ある意味では執着心があるとも言えます。

成功するという目標に執着し、成功のために何度でも立ち向かいます。

諦めるということをしません。

なぜなら飽く迄も成功に向かっている途中なのであり、失敗したからといってそこで終わりにはならないと考えているからです。

失敗から多くを学ぶ

失敗するということそれ自体は、楽しいことではありません。

そこは、ビジョナリーと呼ばれる人たちと雖も同じはずです。

違うのは、失敗を失敗のままにしないということです。

人間ですから、一度も失敗しないで生きていくということは不可能に近いです。

失敗してしまったときにただ落ち込んで、もうトライするのをやめようと逃げてしまうようでは進歩は見込めません。

失敗したときにただでは終わらず、まず失敗したことを潔く認めます。

言い訳をして「この条件が違っていたら成功したはず」「あの人が担当者でなければうまくいっていたはず」というような、既に終わってしまったのに言っても仕方ないような内容で落ち込んでいては、時間を無駄にするばかりです。

必要以上に落ち込んだり自分を責めたりしても発展性がありません。

そこは発想を転換して、ピンチをチャンスに変えるというのが成功者としての王道というものです。

必要であれば自分に足りないものを持っている人を頼って助けてもらうというのも、成功への近道かもしれません。

むしろこれは失敗ではなく、プロトタイプであると前向きに考えます。

プロトタイプとは、叩き台のようなものです。

あとで改良するのを前提として、取り敢えず大筋として形にしたものなので、最初からうまくいくはずがありません。

何度も試行錯誤して、やっと本番になる、本番でさえ成功すれば良い、という考え方です。

失敗を分析して、なぜうまく行かなかったのかという原因を正しく理解し、次はその点を改善してチャレンジできる分析能力とメンタル面の強さが物を言います。

失敗したということは、挑戦したということです。

挑戦から逃げていれば失敗することしかできないのですから、なにもしていないときに比べたら失敗というのは大きな進歩なのです。