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反抗期の子供との上手な付き合い方【...(続き2)

では反抗期はどうでしょうか。

自分の人生を振り返ってみたとき、親につよく反抗したという時期が思い至らない人も中にはいるかもしれません。

子どもそのものの素質はもとより、兄弟の性格や両親の教育方針、家庭環境や学校での友達や地域住民との関わり合いなど生活環境によって一般的な反抗期というものを経験しない人、または軽微な反抗期で終わる人というのも少なからずいます。

反抗期がないということは、親にとっては手を煩わされずに済むので嬉しいもののように思えるかもしれません。

ですが反抗期は精神発達の過程ですから、反抗期がないことで独立した自我を確立できず、精神的に成長しきれないかもしれないというリスクを抱えることになります。

独立した自我を持たないため、優柔不断で自分の意見がなく、また行動力と責任感に欠けるなんてことに成りかねないのです。

一方で反抗期なしで成熟した精神を身につける人もいるので、反抗期がないことが一様に精神の未発達に繋がるわけではありませんが、もし自身の子どもに反抗期らしい反抗期がなかった場合、少し気に掛けておくべきなのは間違いないでしょう。

実際どんな変化がある?


子どもはロボットではありませんから反抗スイッチがオンになってとたんに反抗期に突入するわけではありません。

日頃の生活の上で様々な物事を考えていく過程で自分の考えと他者の考えとの差が刺激になり、その積み重ねで徐々に発露していくものです。

親が「この子、反抗期に入ったな」と実感するのは割と遅かったりします。

反抗期のピーク直前が多いのはないでしょうか。

なので親としては急に反抗的な態度をとられて動揺してしまい、うまく対処できないということになります。

事前に反抗期の片鱗を察知することで「そろそろ来たかな」と親の心構えをするために、反抗期に入る子どもがどういう行動をとりがちか、傾向をみていきましょう。

親と距離を置きたがる

反抗する相手として最も代表的なのが親ですよね。

なぜ親に対して反抗するのでしょうか。

それまでは「あれは何?これは何?」と愛らしく首をかしげて訊いてきていたはずなのに、質問はおろかその他の会話もしたがらず、返事もろくにしなくなるというのはありがちの例です。

「大人」という括りよりも一番身近にいる「人間」に対して反抗していると考えた方が実は適切かもしれません。

親しい間柄だからこそ辛辣な態度を取ることができるのです。

ある種の信頼関係が成せることでしょう。

しかし、親にとっては辛いものですし、信頼関係がある証だと達観してもいられないのが現実ですよね。

「子どもは親の背中を見て育つ」なんて言いますが、親は子どもに対してそれまでの人生において最も身近な模範でした。

大袈裟に言えば幼児にとっては唯一の模範であったことでしょう。

母親のしていること、父親のしていることを真似て行動し、謎や疑問の答えがわからなかったときは親に正解を聞いて、その答えを疑うことをしません。

心身が成長するにつれ親以外の模範を見つけ、それを理想としたり、自分の理想と違った解答を押しつけられたとき、不愉快な気持ちがこみ上げてくるというのは容易く想像がつきます。

その理想が学校の先輩であったり、部活の顧問の先生や友人、マンガや小説のキャラクター、テレビの向こうのタレントや世界で活躍するスポーツ選手などいろいろあるでしょうが、親ではないのです。

「勉強をしろ」、「本を読め」、「早寝早起きをしろ」、「朝ご飯はちゃんと食べろ」、
「赤点をとるな」、「悪い奴とつるむな」などなど、親は子どもに押しつけているつもりはこれまでもこれからもないはずの台詞ばかりのはずです。

正しい方へ導こうと、良いものと悪いものの分別を与えようとしているはずの台詞なのですが、親以外にこういうことを言うのは学校の先生くらいなもので、これも「身近な人間」ですが、それが正しいことだと分かっていても親が言うと理想とはほど遠く正解ではないのです。

正解でないのに反復して言い続けてくると腹が立ってきます。

「お前の意見を押しつけるな!」と言うわけです。

こうして親、あるいは先生への反抗的な態度につながるわけです。

友達第一になる

友達というと同世代で共通の意識を持つ仲間です。

なので友達第一になるのは自然な流れと言えます。

「親にそんな酷いこと言わない方がいいぞ」、「後でちゃんと謝れよ」なんて否定的な意見を友達が言うはずはありません。

同世代で、その友人も反抗期で自身のことを一番よく理解してくれている存在なのですから。

「なんでもかんでも押しつけてくるよな」、「自分のことくらい自分で決められるのにな」などと同調するに決まっています。

親である自分の過去を振り返ってみて、反抗期に自分に否定的な友人が近くに居たでしょうか。