小学生の頃、夏休みの宿題を最終日にまとめてやって焦りまくった経験のある人も多いのではないでしょうか。
その状態を日々続けてしまっているようなタイプは何が起きても焦りやすくなっています。
プレゼンがあるとわかっているのにギリギリまで別の業務をやってプレゼン内容が頭の中から飛んでしまっていたり、たくさんの人とご挨拶する場だとわかっているのに名刺を忘れたり、スーツがしわくちゃだったり…自らの準備不足によって焦る環境を構築しています。
細かいことを気にし過ぎ
あとは、どうでもいいことを気にし過ぎるタイプも焦りやすいです。
家のリモコンはきっちり真っ直ぐ等間隔で並べないと気が済まない、カーテンはぴったり閉じていないと気になる、エアコンは消してきたっけ、あの広告曲がってるの嫌だな、椅子の高さとテーブルの高さが合ってないよ…もう毎日これだけ気にすることだらけだったら、脳がキャパオーバーして当たり前です。
そりゃ焦りもします。
自己中心的
ぶっちゃけた話、自己中心的ではない人間なんて存在しません。
こういうこと言うと穿った見方をする奴だと言われそうですけど、ボランティアをやってる人だって自分がやりたいからやっているわけだし、子育てしている親も自分が子供が欲しいから産んだわけだし、どんなに辛い仕事でも辞めないで働いているのは自分で決めたことですよね。
自分の意志の伴わない行動なんて、一切ありません。
これだけは勘違いしないでくださいね。
でも、まぁ限度ってものがあります。
極端な例でいくと、お金が欲しいから強盗をする、お金はないけど商品が欲しいから万引きをする、あの人が好きだからストーカーをする、などは限度を確実に超えています。
ただ、こんなレベルでなければ、自己中心的というのは相対的な評価であって、自己中心的な人間の集まりならそれが普通だし、同調性を重んじる場なら浮くってだけのことです。
ただ、わりと日本は同調性を重んじる傾向が強いので、一般的に見ると自己中心的な人は情緒不安定に見えるのだと思います。
不安症
ネガティブな思考や不安の多い人は、実を言うと頭が良いのです。
まだ人類が狩りをしながら暮らしていた頃の話。
「美味しい木の実がなっている場所」「今は嵐が来ているし、その場所に行くのは危険」という2つの情報があった場合、生存するのは後者の情報を重視する個体です。
みんなポジティブバカだったら「でも美味しい木の実食べたいから行こうぜー!」になって滅びていたことでしょう。
不安は、先にあることへの予測が伴わなければ存在しない感情です。
つまり、自覚しているか無自覚かに関わらず、ある物事に対するリスクを感じ取っていることを示しています。
そのため、不安に思うこと自体は全くもって悪いことではありませんし、そうした感情が一切生じない人間よりは成功しやすいです。
ただ、不安“症”まで進行してしまうと、このメリットはなくなります。
全ての物事に対して良い側面を見ることができなくなり、何をやっても不安が付きまとうため、何もできなくなってしまうからです。
その結果、長期間何も得ることができず、自己肯定感もどんどん失われていくため、情緒不安定になっていきます。
決断力がない
決断力がない人だって決断の連続で生きてきたわけですから、全く持ってその能力が無いってわけじゃないですよ。
先ほども記載したように、人間である限り自己中心的ななんですもの。
だから、親が敷いてくれたレールの上を歩いてきただけの人だって「親が敷いたレールの上を歩くぞ!」と決断しているのだし、お金がないから大学に行けなかったという人も「借金してまでは大学行かないぞ!」と決めているのです。
あーだこーだ言われそうな話なんであれですが、現実には借金してまで大学に行っている人がいるのですから、決断したことは間違いないのです。
とはいえ、決断が遅い早いはあります。
レストランのメニューをじっくり10分眺める人もいれば、店に入る前から食べたい物が決まっている人もいますよね。
その差です。
で、決断が遅い人は他者から見ると感情がブレブレに見えるので、情緒不安定だと認定されます。
感受性が高い
良いことだと思いますけどね。
絵画を見たって感受性が高い人の方が感動できるだろうし、同じ漫画を読んでも感受性が低い人よりたくさんのメッセージを受け取れるから楽しめるでしょうし。
ただ、自分でコントロールできないことが問題なのでしょう。