確かに今までの環境下ではそれも通用していたのでしょう。
いわゆるコップの中の秀才、というやつですね。
狭い世間の中で我が物顔が通っていたため、自分のやる事成すこと、全て「完璧」と思ってしまっていたからです。
ところが実際はそうではありません。
世の中というものは自分の思い通りにはなりません。
自分の行った事がいつも周囲の人に認めてもらえるとは限らないのです。
何度でもやり直しを命じられてやっと先方の希望する形の結果にたどり着けるものなのです。
それに対して我慢が出来ず、自分の主張ばかり通そうとしていたら、確かに周囲と軋轢が生まれ、あなたの居場所はなくなってしまうかも分かりません。
もし、そんな境遇になってしまったらきっと「自分に才能がないからだ」といった言い訳めいた理由をつけて自分を納得させるようにしてしまうのでしょう。
才能というものは突発的に生まれてくるものではないでしょう。
何度も繰り返し同じ事を行い、失敗を重ねて何かを見つけ出した時に初めて感じるものではないでしょうか?
よって結果をすぐに出そうという焦った考えを持つ必要はさらさらないのです。
周囲とよく協力し、同調しながら結果を探してゆけばいいのですよ。
6.努力が苦手
才能がないと思うことが多い理由とその心理についての最後の6つ目は「努力が苦手」です。
この理由は先ほどの「結果をすぐに出そうとする」と関連しているかもしれません。
つまり失敗してもその度に努力し直す「労」を惜しんでいる。
だから結果をサッサと出してあとは楽をしよう、と思っている考えを察することが出来るのです。
確かに「努力」はすぐには報われません。
必ずや長期戦となります。
大学受験にしても高校受験にしてもほんの1ヶ月前から勉強を初めてすんなり合格、という訳にはいきませんよね。
合格するためには何年も前から綿密に計画を練ってコツコツ努力を積み重ねてきた人が勝利を得るのです。
こういった努力を惜しむ人に限って「自分には才能がない」などと言ってしまうのでしょう。
努力しても報われないと思っている
努力することを避ける人達の言い分は「いくら頑張って努力してみても無駄。
報われた試しがない」と言い張ります。
でも、果たして本当にそうでしょうか?
恐らくそれらの人々の努力にはどこかに欠点があったのでしょう。
やり方がまずかったのか、我慢が足りなかったのか。
先程も申しました通り、努力の結果というやつはそう簡単には表れません。
努力の結果はいつも長期戦なのです。
そう思うと、自分に才能がない、と思っている人々は真の努力をやっていない事になりますね。
そして目の前にある問題を「過小評価」している嫌いもありそうです。
考えてください。
大学受験や高校受。
それまで全く勉強せずにたった1ヶ月の勉強で合格の栄誉を勝ち取れるでしょうか?
そんな簡単に結果が出るのなら誰もしんどい受験勉強などやりませんよね。
時間をかけなければばらない案件だから人は努力するのです。
そして努力は誰にでもできる「才能」なのです。
それに気付く事が出来たなら、あなたも立派な「才能」の保持者、という事が言えるでしょうね。