敷居が高いは相手の役職が上、相手が金持ちだから上に見てしまうと言うことではなく、自分が非を認めることで、相手を高くしてしまうことを表しているのです。
ただ、心が貧しい人が本当にこのことを理解しているかは疑問ですね。
しかし、謝るのが嫌なのはなんとなくわかりますが、実際先に謝ってしまった方が楽ですよ。
いつまでも同じ土俵にいる必要がなくなりますから、謝れないのはいつまでも同じ土俵で争っているからです。
同じ土俵で争っても意味がありませんし、あなたの価値を下げているだけですよ。
さっさと謝ってしまった方が楽なのです。
よく、電車でセクハラや痴漢でつかまる方はいらっしゃいますが、たとえ自分でなくても、さっさと認めて払ってしまった方が楽です。
いつまでも認めずに争っているとそれだけ無駄な時間とお金がかかってしまうのです。
つまり、誤認の痴漢に狙われやすいのは心が貧しい人たちなのかもしれませんね。
自分が悪いと思わない
謝罪できない。
感謝できない。
この大きな原因になっている根元はと言いますと、自分が悪くないと思っていることです。
特にこのようなタイプは、自分が悪いとおもわないために、みんながなどの言葉を使って、自分だけではないことをアピールするのです。
ある意味、みんなを盾にしている卑怯なやり方ですね。
理想が高い
考えが狭いくせに理想だけは高い人っていますよね。
まさに心が貧しい人の例です。
理想は高く持つのはいいのですが、結局挫折してしまうのが目に見えているのがわかります。
なぜかと言いますと、考えがせまいし、心が貧しいので、それに向かう力がないと言っても過言ではありませんし、周囲を納得させることも、説得させることもできないのです。
なぜなら、心が貧しいからです。
このようなタイプは自分がすごいと言うような感じのことしか言わないので、説得材料に欠けるのです。
そのため、簡単に相手から見透かされてしまうのです。
理想を高く持つことは悪いことではありませんが、今の自分をよく見直して、理想を高く持つことができる器を持っているのかどうかをまずは見極めるべきです。
そうでないと、空回りしてしまい、誰もついてきませんよ。
理想を高く持つ前に、心を広くしないといけないのです。
心が狭いのに、高い理想を支えることができるわけがありません。
まずは、マイナスに考えたり、ネガティブとらえたりするのを辞めて、心の貧しさを外すようにしましょう。
そうすることで心が広く、豊かになれば理想を高く持っても空回りする心配はございません。
何かすると見返りを求める
自分だけというような姿勢でいる割には、自分だけが損することをものすごく嫌がります。
特に、何かお手伝いなどをしたときに見返りを頂けないのであれば、ものすごく嫌がるのです。
見返りを求めて、お手伝いなどしていると言う状態がもうすでに終わっているような感じではありますが、そのような人が日本をはじめ世界には多くいらっしゃるのも、また、事実なのです。
悲しいことに見返りがないことで、相手を冷たくあしらったりするのです。
特にこの傾向が多いのが、学生の頃に優秀だったと言われている人たちです。
要は、優秀になるために親や先生からご褒美を多くもらっていた可能性が高いのです。
勉強で一番になるのも、運動で一番になるのも、ご褒美のためというの理由が実は結構多いのも事実なのです。
このような育て方に関して危惧を示したのが心理学者のアルフレッド・アドラーです。
そのような育て方をすると見返りを目的に生きてしまうと説いていましたが、まさにそのような人たちが増えてしまったと言っても過言ではありません。
見返りを求めても意味はありません。