“口幅ったい”という言葉を使うときには、主に“自分自身をへりくだたせるとき”でしたね。
そのとき、ニュアンス的には“自分がへりくだっていることが「絶対的」である”ということを表現しています。
つまり、あなたの周りの誰かが「私がいうのも口幅ったいけれど・・・」なんて表現している際に「そんなことない!君は口幅ったくはないよ!」なんて否定するのは、あまりよろしくはないんですね。
相手が謙遜していると、どうしてもそうではないという言葉をかけてあげたくなるものです。
しかし、「口幅ったい」という言葉を使っているときには「文句をいわせない」「今自分が言っていることが絶対的である」というニュアンスを含んでいるということを忘れないでください。
…なんて、まさにその点でどこか“生意気さ”が感じられる言葉ですよね。
ひけらかす
“口幅ったい”という言葉をさらに別の言葉で説明するとなると“ひけらかす”という言葉がしっくりくるかもしれません。
“ひけらかす”なんて日常生活であまり使ったことがない方もいるかもしれません。
この言葉には「(そうでもないのに)あたかも得意であるかのように見せかける」「見せびらかす」「自慢をする」という意味があります。
そんなことを伝えると「ええ!?“口幅ったい”という言葉はどこか謙遜しているときに使う言葉だったんじゃないの!?それじゃあ違うじゃん!」と思われることでしょう。
たしかにそうですね。
しかし、ひとつ前の項目でお伝えしたように“口幅ったい”という言葉は、“誰かにこの発言に対して異論を唱えさせない”という意味までも含んでいるんです。
要するにその態度こそが“生意気”で、それを“口幅ったい”というんですね。
それにそもそも、どんなに謙遜していたとしても身分をわきまえずに、相手に何か大きな口をたたくのってどう考えても“生意気”ではないでしょうか。
偉そうに言う
これまでに“口幅ったい”という言葉へのイメージが大きく変わったという方がたくさんおられるかもしれません。
さらにそのような常識を覆すかのような衝撃を感じるかもしれません。
ずばり、“口幅ったい”という言葉を使う際には、多くの方がどこか“偉そうにそのものをいう”んですよね。
さきほどもお伝えしましたように、身分をわきまえず―たとえ謙遜していたとしても―身分以上のものをいうというのは、生意気です。
そして、その生意気さというのも“偉そうに伝える”ことによって、さらにその言葉のニュアンスを助長させます。
つまり、“口幅ったい”という言葉を使う人というのは、身分をわきまえていると相手に伝えながらもどこか偉そうで、傲慢な態度をしていることが多いものです。
とはいっても、どんなに身分が低くても上の身分の者よりも良い結果を残していたり、実績を持っていたりすると周りの人はどうしてもそのように感じてしまうのかもしれません。
一種のひがみを感じさせてしまうような言葉なのかもしれないですね。
嘘っぽい
“口幅ったい”という言葉を使っている人に出会ったことがある人は、その人の発言をどこか信じることができなかったのではないでしょうか。
なぜならば、生意気ながらに謙遜しながらもその気持ちを誰かに伝えるのって、どう考えても“チョット”おかしいからなんです。
何度もお伝えしていますように、もしも本当に謙遜しているのであれば、相手がどんなに悪いことをしていたとしても間違っていることをしていたとしても、それを伝えないはず(だと多くの人は思っているでしょう)なんです。
そのため、そのような常識のままでいると「ええ!?本当に謙遜しているのであれば、自分の意見を伝えるんじゃなくて相手の意見を反対に支持するんじゃないの!?」と思うようになるはずなんですよね。
そこで相手の心と相手の態度にギャップを垣間見るわけです。
そして「ああ、アイツは謙遜しているなんて嘘をついているんだな」と感じるようになります。
あなたも、“口幅ったい”という言葉をもしも周りで使う人がいるようであれば、少しでもそのように感じるのではないでしょうか。
また、“口幅ったい”という言葉を使う人ってどこか傲慢で生意気な態度をしていることが多いので、なおさらそのように感じてしまうんですよね。
鼻高々
謙遜しているにも関わらず、どこか生意気で傲慢で、だからこそ嘘っぽく感じてしまう“口幅ったいという発言”…。
その発言をしている人ってどこか“鼻高々”であることが多いものです。
傲慢であるということは、自分を大きく見せており―いや、自分自身をどこか大きな存在だと感じていることが多いですね―、さらにその気持ちを誰かに伝えているわけです。
それって、自分で自分を高くみせようとしている、まさに“鼻高々な態度”ということができるでしょう。
“鼻高々”という言葉には、“とても得意そうにしているさま”という意味を持っています。
つまり、“口幅ったい”という言葉には、ただ単に生意気に謙遜しているだけではなく、どこかその発言のなかに得意げな気持ちまでも表現されていることになります。