「女という生き物は」という言い方をするときに想定される「女」の話。
女全般がそうであるとは言いませんが、男女を比べたときには女の方が説明をしない傾向にあると思います。
「察してよそれくらい」が口癖の女性も多いのではないでしょうか。
説明責任を放棄しがちな、説明しない「女」というのは、どういう思考回路をしているのかを掘り下げてみましょう。
説明しないは嫌われる
昔は「口うるさい女は嫌われる」と言われていたようです。
奥ゆかしく、男に付き従っていなければ、むしろ周囲から叱られるような時代。
その一方で、母としての肝っ玉の強さは求められ、体調におかまいなく家事と育児はしなければいけませんでした。
精神的には強いのに、それを表に出してはいけないという世界です。
しかし、男女ともに働くようになった今、お互いが同じ役割をこなすことが求められ“理想的な社会人像”に関しては男も女も大して差がないように思えます。
社会人という枠の中で見れば、自らの感情や考え方を明確に説明することが好まれるようになってきました。
これは良いことでもありつつ、時代によってはプラスの要素だった“説明しない女”が嫌われるように変化したともいえます。
説明しない女を周囲はどう見ている?
現代において説明しない女は比較的嫌われやすいですが、好意的にとる人もいます。
これは、周囲の人の立場によっても変化するものです。
説明しないことがイコール悪いこと、というわけではないので、良い面と悪い面の両方から確認しましょう。
ミステリアスで魅力的と感じる人もいる
男女の出会いの場においては、何でも開けっぴろげに話す女より、口数少なくほんのり笑みを浮かべる女性の方がモテるでしょう。
何を考えているのかを説明されないと、表情でしか判断することができず、それすらも微笑みで隠されてしまえば何もわかりません。
そのミステリアスな雰囲気は「開拓のし甲斐がある」と映ります。
そして相手のことを知りたいと感じたとき、恋心を覚えやすいです。
何を考えているのかさっぱり分からない
「開拓のし甲斐」もある程度の時期を過ぎれば「面倒臭い」に変化していきます。
相手のことを察してそれが当たっていたときの、言ってみればクイズに正解したような快感も、延々と続けば疲れてくるからです。
「どうして毎回こちらが察しなければいけないのか。姫気取りかよ」と思われ始めます。
また、正解しても大したものが得られないことも疲れてしまう理由の一つ。
たとえばデートにでかけて「何か食べたいものはある?」と聞いたとき女性から「ううん、なんでもいいよ」と言われたとしましょう。
よくある話ですが、本当はオシャレなイタリアンに行きたい女性は、男性が言葉を真に受けてラーメン屋に連れていくと不機嫌になったりします。
「だったら説明しろよ」と言いたくなるはずです。
何を考えているのか、さっぱり分からないことが続けば大抵の人は離れていきます。
会話がスムーズに続かないから疲れる
説明されないと会話なんてスムーズに続かないですよね。
学生の内はまだそれで良いかもしれません。
何せ大した話をしないから。
女同士ともなれば、さらに場当たり的なやりとりだけで済むことが多いです。
込み入った話があるとしても、誰が誰を狙っているから身を引けとか、仲良しならいつも話を合わせるべき、といった、わりとくだらない人間関係のことばかりで、テキトーに受け流していても成立します。
しかし、大人になると各々が考えることに幅が出てきて、何でもかんでも察することは不可能になります。
にもかかわらず学生時分のコミュニケーションの術しか知らない女は「察してもらって当然」と考えがちです。
社会人の考え方とは合わず疲れる存在になっていきます。