これがわかれば、最初から相手にしなくて済むようになります。
面倒臭がり屋
面倒臭がり屋は何かに興味を持つこと自体が少ないので、率先して意見を述べる気はありません。
大体のことは“どうでもいいこと”“自分には関係のないこと”です。
誰かが決めたことに従うときは従うし、嫌だったら黙ってトンズラするだけ。
面倒臭がり屋の説明しなさ加減は、男女に関係なく高めといえます。
そしてもちろん、説明する手間も面倒臭いと考えています。
察してくれればラッキーだけど、誤解されたり嫌われたりしたところで、その相手にすら興味がないので弁解する気も起きません。
本当に何も考えていない
意外と多いのがコレ。
賢い人ほど寡黙であるとも言われますが、おバカさんすぎても喋りません。
というのも、相手の話に理解が追いつかず反応できないからです。
一見するとミステリアスで魅力的にも映るでしょう。
しかし、付き合いが長くなってくると「あ、こいつ何も考えてないぞ」というのが分かってきます。
仕事関係の飲み会に同席してみると、この特徴がよく表れます。
周囲は大笑いしたり質問したり、はたまた悩んだりしているのに、微笑みながら黙ってお酌をしているような女です。
仕事関係だと共通する話題というのが少なからずあって、それを前提として話は進みがち。
ところが、普段から何も考えていない女は、前提となる話が頭に入っていないので、最初から何の話だかがよくわかっていません。
そのため、笑うポイントもわからないし、質問も浮かばないし、なぜ皆が悩んだ顔をしているのかも察することができなくなります。
そこで愛想よく微笑んでお酌に徹しているのです。
下手に口を出すよりマシですが、会話には発展しません。
自己中で興味のないことはどうでも良い
面倒臭がりの「どうでもいい」と自己中の「どうでもいい」は少し異なります。
面倒臭がりは何事にも熱意が感じられないのですが、自己中の場合は熱意を持つときもあります。
それは利害が絡んだときです。
逆に、利害が生じないことについては心底どうでもいいという顔をします。
これは自分が好かれたいと思っている相手かどうかでも変化するので、人によって接し方が全然違うというのも多いです。
好かれたい人からの頼まれごとはキッチリやるのに、どうでもいい人からの頼まれごとは、その重要性が高くてもやらなかったりします。
人に頼りきりで人任せ
何をするにも自分でやる前に人を頼り、判断すらも人任せという女は、説明することがないので説明しません。
自分でできないのかと尋ねられても「えーわかんなーい」とだけ返答し、最終的に全部誰かにやってもらいます。
なおかつ、やってもらって当たり前くらいに思っているので感謝もしません。
甘やかされて育った
こういった行動は、親が何でもやってきてあげた子供によく見られます。
勉強の仕方、友達づきあい、進路に至るまで全て親が先回りしてレールを敷いてあげ、本人はその上をひたすらのんびり歩いてきただけというタイプです。
でも、これはちょっと可哀想な人ともいえます。
自分自身も楽だから甘んじて受け入れてきた節はあるでしょうけど、親の歪んだ愛情を受け入れなければならなかった状況も想像に難くありません。
親に逆らえばどうなるかという恐怖心もあったことでしょう。
赤ちゃんの頃から間違った教育を施された人に「いい歳して自分で判断できないのはおかしい」と言うのも酷な話です。
周りの人が何とかフォローしてくれるのを待っている
親によって全てが決定されてきた人は、自分の判断に自信を持つことができません。