「たかをくくる」行為は、相手の人柄や物事に真摯に向き合わずに、軽視する心理状態が起因になっています。
たかをくくる心境は、慢心から生まれてきます。
たかをくくるは、漢字で、「高を括る」と書きます。
「高」の意味は、「この程度」、「括る」の意味は、「まとめる」とか、物事に区切りをつけることを表わします。
たかをくくるとは、「この程度だろう」と安易な予測をしたために、悔いることを意味します。
「高」は生産高の数量やお金の金額を表わします。
「たかをくくる」は、物事の数量や程度を安易に軽々しく扱ってしまったことで、後悔する事態に直面する様子を表わしています。
昔の戦国時代から使われるようになったと言われています。
近世の江戸時代には、「高」は、敵の領地の石高を意味します。
石高は、土地の米の生産量を「石」という単位で表わしていて、農民への年貢の徴収量を石高で表していました。
江戸時代の幕藩体制の中では、「石高」が大名の権力や武士の給与額を示す単位として使われていました。
当時は大名が所有する「石高」が多いほど、大きな権力と兵力を持つとされていました。
ちなみに、江戸幕府直轄の江戸城は、約420万石と言われています。
「石高」の高さが大名の格式を表わしているとされていました。
たかをくくるは、相手の石高を安易に予測したために、戦に負けることを例えています。
物事を安易に観てはいけないという教訓を表わしています。
たかをくくるってよく聞くけど…
「たかをくくる」という言葉は、相手や周りの物事について、軽々しく扱った結果、状況判断の誤りに気付き、後悔する事態を招いたときに使われます。
まさに、「後悔先に立たず」という諺どおりです。
たかをくくる、という言葉を聞く場面には色々あります。
例えば、スポーツの世界では、実力が上位の立場の者が、相手の実力を安易に軽々しく観ていたために、勝負の結果で予想に反して負けることがあります。
相手の実力は日々進化していることまで考えが及ばずに、安易な態度で臨んだ結果、相手の実力が自分を上回っていたことに気付かされて後悔する様子が、「たかをくくる」姿と言えます。
また、初めて経験する物事について、事前の下調べもせずに軽々しく観ていたことを、実際に直面してみると、予想以上に難しくて、良い結果を出せないことがあります。
このように、たかをくくるとは、軽率な行為を表わす代名詞と言えます。
「たかをくくる」言葉には、世間知らずの意味も込められています。
人生経験の浅い人の中には、物事の表面だけを「見て」、本質を「観ない」傾向があります。
このため、物事の重要さを認識できずに安易に捉える姿を指して、たかをくくると言います。
たかをくくるとは?
たかをくくるは、「高」を「括る」と書きます。
漢字で表わすと意味が分かり易くなります。
「高」とは「石高」を意味します。
石高は江戸時代では、所有する土地の広さを表わしますので、土地の米の生産量を表わすことになります。
言い換えますと、土地の広さが権力(チカラ)の強さを示しています。
つまり、戦国時代には、「高」=チカラや戦力、権力を意味する使い方をしていました。
「括る」は文字通り、ひとまとめにすることです。
重要な物事であれば、一つ一つを大切に扱いますので、ひとまとめにして扱いません。
しかし、軽微な物事は、ひとまとめに括ります。
ですから、「括る」とは、重要視しない物事を軽率に扱うときの考えになります。
たかをくくるとは、相手のチカラを軽々しく観てしまい、自分の軽率さを後悔する心境を表わしています。