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たかをくくるとはどういう意味?難し...(続き2)

漢字では「高を括る」

たかをくくるとは、漢字では「高を括る」と表します。

「高」である「石高」を重要視せずに、他と一緒にまとめて扱う様を意味します。

つまり、「高を括る」とは、状況判断の甘さにより、自分自身の軽率さを思い知って、後悔の心理状態に陥る姿を表わしています。

日々の生活の中で直面する軽微な物事は、高を括ることをしても、影響を及ぼさないこともあります。

しかし、大切な物事であるにも関わらず、高を括ることで重要な点を見過ごしてしまい、深い後悔の念に包まれることがあります。

たかをくくるの意味

「たか」は、生産高、数量を意味します。

「くくる」は、ひとまとめにして扱うことを意味します。

つまり、物事の一つ一つに特徴があっても個々を大切に扱わずに、まとめて扱うことで、そのものが持つ本来の姿を無視する結果になり、たかをくくる事になるのです。

たかをくくることは、物事の本質を観ずに表面だけを見て安易に判断してしまい、後悔する結果を招くことを意味します。

日々の生活で直面する出来事を真摯に受け止めて対応することを心掛けている人は、高を括ることはしません。

程度を安易に予測する

「たかをくくる」というコトバには、物事の程度を安易に予測するという意味があります。

また、相手の知識や技術力を軽々しく評価していたが、実は自分を上回る知識や技術力を持っていることが判明して、後悔の念に駆られる様を表わします。

高を括ることで味わう後悔の念は、相手の能力を軽々しく見誤ることで起きるのです。

相手が持つ本来のチカラを的確に把握せずに、安易な思い込みで評価してはいけないのです。

人生経験の豊富な人は、人生の奥深さについて、身をもって体験しています。

ですから、相手のチカラの程度を安易に予測するという、たかをくくる考え方はしません。

一方、人生を歩んでいく過程で、直面する物事に向き合わずに逃げることを繰り返していると、物事の本質を観る観察眼が身に付きません。

このため、物事の上辺だけを見て決め付ける安易な癖が付いてしまいます。

上辺だけで問題の程度を安易に予測した結果、予想外の重要さに気付いて、「後の祭り」になることがあります。

「後の祭り」になってしまうことで、問題の本質に気付くことが出来ないため、期待通りの結果を出せずに後悔する事態を招くことになります。

たかをくくるの由来

たかをくくることは、漢字表現の「高を括る」が示す通り、「高」である土地の穀物や野菜などの生産量を表わす意味をもっています。

生産物の中でも、戦国時代では、最も大切である農民の米の生産量を表わす「石高」を意味する使われ方がされていました。

当時は、敵である相手の戦力を推し量るために、「石高」を拠り所としていました。

つまり、「石高」は兵力を示すものとなり、敵に対峙する戦略を練る際の重要な判断基準となりました。

戦略を練る過程で、相手の石高を如何に的確に推し量ることができるかで、勝敗を分けると言われていました。

一方、「括る」は、ひとまとめにするという意味があります。

つまり、括るは、一つ一つの個々を重要視せずに、まとめて一括りで扱うという軽率さや安易さを意味する面があります。

括ることで、重要な物事やキーポイントを見過ごしてしまうことがあります。

たかをくくることは、相手のチカラを甘く見た結果、敗北に至る様を表わします。

武士の時代からくる由来

武士が活躍していた時代は、まさに戦国時代です。

戦国時代には、敵の石高の大小が戦力を如実に物語っていました。

戦国時代の戦で勝利を挙げるためには、敵の戦力を事前に把握して戦略を練ることで勝利に結びついていました。

勝利に結びつく戦略を練るためには、相手の戦力を示す石高を見誤ることなく把握することで、勝利を導く戦法を練ることができたのです。

たかをくくるに似た言葉


たかをくくるというコトバは、色々な場面で使われますので、似た言葉が幾つもあって、それぞれの状況に応じて使い分けされています。