似た言葉には、次のような言い方があります。
「軽んじる」とは、相手の実力の程度が自分よりも低いと観るときに使われます。
「認識に欠けている」とは、物事に対する重要さを軽視しているために、実態を見過ごしている様子を意味しています。
「甘く見る」とは、相手や物事の存在が重要であるにも関わらず、軽視したことで、本質を見逃して後悔することを意味しています。
たかがしれている
「たかがしれている」は、漢字で「高が知れている」と書きます。
「高」は、生産量、数量を意味します。
武士の時代であれば、農民が収める年貢の量が「石高」になります。
「高が知れている」とは、驚くほどの石高ではなく、ありふれた量であることを表わしています。
「たかがしれている」は、特別視する必要がなく、「大した事ではない」と軽微に扱うことを意味します。
つまり、物事の程度を真剣に把握せずに、軽視し見過ごしても影響が及ぶことが無いと判断する様子を表わしています。
たかをくくるの例文
「たかをくくる」というコトバは、物事を真剣に受け止めずに、軽々しく扱う場面で使われます。
特に、自分が興味を抱かない物事には、安易に軽々しく扱うことが多々あります。
また、勝負の世界で、対戦相手とで実力の差が歴然としているとき、優勢の立場にある者が劣勢にある相手の実力を低く評価する際に、「たかをくくる」と言います。
また、たかをくくるの例文には、次のようなパターンがあります。
試合相手の実力が、自分よりも低いと「侮って」いたために油断した結果、敗退に終わり、後悔の念に駆られてしまう様子を表わします。
自分のチカラを過信するあまり、相手の実力を軽んじる軽率な振る舞いをした結果、相手の実力が自分のチカラを上回っていて敗退を喫してしまい、悔いる姿は、たかをくくる姿と言えます。
また、目の前に直面した物事が、今までに何度も乗り越えてきたケースと同じであるために、「軽んじて」取り組んだところ、実は難しくて思い通りの結果を出せずに後悔する様を表わします。
自分自身の経験知を過信したために陥るケースです。
簡単な問題だと思ってたかをくくっていた
目の前に直面する問題の内容を詳しく把握しないまま、自分勝手な思い込みだけで、安易に決めつけることがあります。
つまり、物事の本質や重大さに気付くことが出来ずに、軽率に扱ってしまうことがあります。
仕事を進めていく過程で、直面する課題を簡単に解決できると思い込み、たかをくくっていたところ、予想に反して、困難な内容だったために、期待通りの結果を出せずに、お客様に迷惑をかけてしまい、後悔の念に駆られることがあります。
自分のチカラを過信する人ほど、自己研鑽を怠ることから、自分のチカラが低下していくことに気付けないことが少なくありません。
また、試験が間近に迫っているとき、簡単な問題だと思い込んで、たかをくくっていて、対策勉強に手を抜くことがあります。
真剣に準備せずに本番に挑んだことから、期待通りの結果を出せずに後悔することがあります。
勝てる相手だとたかをくくって試合に臨んだら大敗した
スポーツの世界では過去の実績に拘り、対戦相手の実力が自分よりも低いと甘く見ることがあります。
しかし、スポーツ選手は日々練習に励みますので、実力が次第に向上していきます。
練習方法などにより、いつの間にか、対戦相手の実力が自分を上回るという逆転現象が起こることも珍しくありません。
自分の実力を過信している人に限って、自己研鑽を怠るため、チカラの衰えを招く傾向があります。
ですから、対戦相手の実力が進歩していることに気づかずに「勝てる相手だ」と、たかをくくって試合に臨み大敗を喫することになります。
自分の過去の栄光にシガミ付いている人は慢心から、自己の実力の衰えに気付かずに安易な考えに浸ることがあります。
このため、勝てる相手だと、たかをくくって試合に臨んだところ、自分のチカラの衰えに狼狽えて、相手の実力に打ちのめされて大敗するケースがあります。
すぐに終わる作業だとたかをくくっていたら案外時間がかかった
日常携わっている作業が、周りの条件の変化などにより、今までとは異なる状態になることがあります。
作業を取り囲む外部環境の変化のため、作業の進め方が複雑になるケースもあります。
外部環境の変化を甘く見て作業に取り掛かることで、すぐに終わる作業だと、たかをくくっていたため、変化に対応できずに、案外時間がかかってしまうことがあります。
日々携わる仕事であっても、同じことの繰り返しに終始するとは限りません。