たとえば子供に欲しいものがあるとしましょう。
それを周りの大人が与え続けるとどうなるかというと、子供は何も努力もせず与えられることを体と心で覚えてしまいます。
すると、欲しいものややりたいこと、うれしいこと、喜ばしい状況を自分の手で手に入れていこうという心理が薄れ、気力を奪ってしまうのです。
勉強も言われたらしたくなくなり、欲しいものやうれしいものも相手から言われて与えられると、得ようとする気力がなくなるということなのです。
この現象は、大人でも同じなんですね。
本当に子供のためになるのは、子供自身の自発的な行いからなのです。
ましてや「勉強をしろ」と上から押さえつけるように命令口調で言われようものなら、子供は反発こそすれ、何一つ良いことはないでしょう。
人に何かを与えられることと同じ意味を持つということと、その他にも「勉強をしろ」ということにはブーメラン効果という心理も働きます。
大人から「勉強をしろ」と言われたら、「やりたくないな」という気持ちが発生します。
これは先にご説明した人に与えられることになるのですが、そのときに「いやだな」と思った気持ちをより強固に自分自身に言い聞かせ、そのことによって人から指図をされたり、人に誘導されたりするのではないんだぞ、という自分の自主性を自分自身に指し示す心理です。
カリギュラ効果という言葉をご存じでしょうか?
これは逆に、人から禁止されるとやりたくなってしまうということです。
「絶対に見ちゃだめよ」と言われれば見たくなる。
「絶対にやっちゃだめよ」と言われればやりたくなるのは大人も子供も同じです。
このように心理面から効果があることとないことを知ることで、具体的な対処法も見えてきます。
勉強に嫌なイメージを持ってしまう
人から与えられることにつながる「勉強しろ」という言葉ですが、言われた子供は無意識に反発心を持ちます。
その時だけで済まされるのであれば被害は少ないかもしれませんが、言われ続けた子供は、勉強そのものに嫌なイメージを持つようになります。
まるで条件反射のように「勉強しろ」、ひいては「勉強」そのものに悪いイメージを持ち始めてしまうこともあります。
これは恐ろしいことですよね。
一度そういったイメージを持ってしまうと拭い去ることが難しくなります。
なんとなく頭ではわかっていることでも反発したくなるのが子供です。
自由にやりたいことをしていたい
子供だけではなく大人であっても、人は本来自由にやりたいことをしていたいものです。
それが本来の人間に備わった本能です。
自我がまだしっかり確立していない小さな子供や、思春期、青少年たちは大人以上に自由を求め、自由を阻害されることに反発心を持つ傾向があります。
反発心とともに勉強をしてくれる子供がいるとしたら、勉強をすることがもともと好きで、有り余るエネルギーを勉強へとぶつけてくれていると考えられますが、そういうことはきわめて稀だと思ってください。
通常は本心では勉強をしたほうが良い、本当はちょっとは勉強したいと思っていても、行動は真逆へと向かうことでしょう。
子供の話を聞いてあげられていない
本当に子供のためを思って「勉強して欲しい」と思うのであれば、どうしたら子供にとって勉強することの重要性を実感してもらえるのかを考える必要があります。
ただ、大人の感情をぶつけるだけでは子供は嫌気がさしてしまうでしょう。
勉強をして欲しいというこちらの気持ちを伝えるからには、子供の話も聞いてあげなければフィフティーフィフティーとはいえません。
勉強に関して子供の話を聞くのではなく(もちろん勉強に関しての場合もありますが)、子供の日々の生活をよく観察し、子供の気持ちに寄り添うようにすることで子供は大人の言葉に耳を傾けやすくなります。
遠回りでも、子供が今何を感じているのか、生活態度の変化や体調の変化に少し目を向けてみましょう。
何度も命令されることで嫌気がさす
勉強をすることを促すために、子供が勉強をしようという気持ちを削ぐようなことはどういうことなのだろうかということを考えてみましょう。
その最たるものが、「命令されること」です。
先にもお話ししましたが、人は勉強に限らず人から何かを与えられ続けるとやる気がなくなるものなのです。
与えられるというと、何かありがたいことのように思いますが、欲しいものを与えられるのとは違い、命令というのも〇〇をしろという強制を与えられるもののひとつなのです。
欲しいものであったとしても、いつもいつも与えられ続けると、自分で獲得していこうという意欲を削がれるために反発はしないかもしれませんが、意欲は無くなっていきます。