一族という防波堤がなければ、とても暮らしていくことはできないでしょう。
世界中に拡散している中国人(華人)たち
先日中国のネットニュースサイトに中国人(華人)の多い国トップ10が掲載されました。
それによると多い順に、インドネシア767万人、タイ706万人、マレーシア639万人、アメリカ346万人、シンガポール279万人、カナダ136万4000人、ペルー130万人、 ベトナム126万人、フィリピン115万人、ミャンマー110万人となっています。
東南アジア各国では、ほとんど現地名を名乗り、溶け込んで暮らしています。
また出身地も福建省、広東省など圧倒的に南方に偏っています。
したがって大陸の大半の中国人は、彼らのことを中国人とは認識していません。
華人と呼ぶのが普通です。
それもほとんど南方出身のため同胞意識もありません。
大陸の中でも意識はまったくまとまりがありません。
北京と上海がいがみ合っているは有名です。
また神戸生まれの台湾人作家・陳舜臣は、北京人、上海人、広東人の差は、日本人と韓国人の差より大きい、と言っていますが、筆者も全く同感です。
さらに辛亥革命を成功させた孫文は「中国人は砂のようにバラバラだ。」と嘆きましたが、この状況は今日でもそう大きく変わっていません。
人口はどれくらいになったの?
IMFの推計による中国の人口(2017年)は、13億9085万人です。
一人っ子政策(1979~2015)が始まったばかりの1980年は9億8705万人でしたから、政策の期間中でも結構増え続けていたのがわかります。
中国という国の特徴
先述のように中国の地域差は大きく、バラバラですが、儒教の影響の強い地域としてはまとまっています。
その特徴は、社会の公益より家や一族などパーソナルな倫理を最優先させることと、形式主義にあります。
社会秩序は形式だけであり、それを壊さない範囲内にルールはありません。
儒教的徳目を身内と上司に対しては守るけれども、社会正義はどこにもない、秩序は力で維持するという独特な社会ができあがりました。
歴史が長い
よく中国4000年の歴史などと言われますが、実際に今につながる中国ができたのは紀元前220年、秦の始皇帝による統一からです。
次の漢王朝で儒教が国教の地位につきました。
これ以降、中国の思想界は停滞します。
例外は唐王朝でした。
唐朝では三蔵法師の活躍もあり、インド発祥の仏教が盛んとなります。
またササン朝の滅亡に伴いペルシャ文化も大量に流入します。
さらに玄宗皇帝時代には、日本人留学生阿倍仲麻呂が試験に合格し、政府の高官に上っています。
仲麻呂は大詩人の李白や王維とも交流がありました。
また時代は少し下りますが、日本留学僧・空海は中国密教の正式な後継者となります。
国際性は群を抜き、その懐の深さも比類ありません。
中国全史を通じての全盛時代ではないかと思います。
しかし唐朝以降、文化の衰えは決定的になります。
その原因は隋朝から始まった科挙の試験です。
すべての優秀な青年が、この儒教価値そのものの試験を目指すようになりました。
これが中国人から仏教など高度な思索を奪っていきます。
その結果、中国では庶民のために仏教に新しい解説を加えた、法然、親鸞、日蓮などのような人は出ませんでした。