それまでは、他の何も見えなくなってしまうほどに熱中していたはずなのに、急に目が覚めて、その物事にねっちゅできなくなってしまう状態のことです。
それは、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。
子どものころに夢中だったキャラクターが、今では特に熱中するべきものではなくなってしまったというのがそうです。
得るものがなくなってしまった
今まで行っていたものが得るものが何もなくなってしまったとき、人は基本的にそれに対してのやる気や熱を失ってしまいます。
それが「飽きた」状態だといえます。
そもそも、その物事に対して熱中しているときには、何かを得ている状態になります。
それが楽しみであっても、日常の中で利益になるものであっても、何でも構いません。
自分にとって良いと思うものを得ている状態なら、飽きることがないのです。
ですが、急に、それをやっていたことで得られる利益がなくなってしまうのなら、その物事に対してはすぐに「飽きて」しまうでしょう。
急に熱が冷めえしまっているのなら、それは飽きているからだということです。
虚無感
例えば、それが利益になるものではなくても、楽しいと感じているのなら続けていることができるでしょう。
楽しいという気持ちそのものが、自分にとっての利益だからです。
ですが、それが得られなくなってしまった、もしくは、楽しいと感じられなくなったことは飽きへと直結します。
端的に言えば、それをしていて虚無感が感じられるようになると、それは、飽きているということになるでしょう。
さらに言えば「楽しいには楽しいけれど、これをやっていて何になるのだろう」と思ってしまうと、それを続けることには虚無感しか感じません。
それが「飽きた」という言葉を生み出すことになります。
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感心がなくなった
飽きたということは、それに対しての興味や関心を失ってしまった状態のことを言うでしょう。
興味がなくなると、それに対しては全く関心もなくなってしまいます。
それまでは熱中して情報を仕入れようとしていたのに、全く意識にさえ上らなくなってしまったものが、誰にでも一つくらいはあるでしょう。
それが「飽き」です。
以前に夢中になっていた何かを思い浮かべ、例えばそれについて人に聞かれたときには「飽きた」という言葉で説明しなければいけません。
積極的にやらなくなってしまった
積極的にやめたいと思ったときだけではなく、「積極的にそれをやらなくなってしまった」ときも、それに飽きてしまっている状態だといえます。
例えば、人に「どうして最近はあまりしないの」と聞かれたら、それに対しては「飽きた」と答える人が多いのではないでしょうか。
必ずしも、それに対する悪感情が生まれているわけではなく、ただ、それに対しての熱を失ってしまっているときにも飽きたという言葉が使われるのです。
これはもちろん、本人比であって、例えばあるスポーツを週に5回行っている人が、一週間に1回しか行わなくなってしまったときにも「飽きた」という言葉が使われるでしょう。
その「週に1回」という頻度が、一般人よりも多い状態であったとしても、それは関係ありません。
自分の中で以前と比べて積極的に行えなくなってしまったものがあれば、それを説明するために「飽きた」という言葉が使われるのです。
飽きたが口癖にならないように気をつけよう(まとめ)
いかがでしたか?
「飽きた」という言葉は、色々な物事に悪影響を与えます。
「飽きた」と口にするたびに、何か嫌な影響が及ぼされるのです。
「飽きた」が有効になるのは、辛い恋を忘れたいときだけです。
辛い恋を忘れるために「飽きた」と自分に言い聞かせて失恋から立ち直るのは良いかもしれません。