一斉を風靡した懐かしいカルチャーの一部として大流行した“ボディコン”。

今やめっきり廃れてしまった為、最近では、「聞いたことが無い」「どんなものかわからない」なんていう人も多いと思います。

今回は、ボディコンを知らない人にもボディコンの魅力や文化に是非とも触れてもらおうと思います!

ボディコンを知らない世代のあなたへ

昭和の終盤から平成生まれ以降の方は、ボディコンと聞いても、いまいちピンとこないかもしれません。

それもそのはず、このボディコンはいわゆるバブル世代と呼ばれた時代に流行したものです。

1980年代のファッションの象徴的存在でもあるので、それ以降に生まれている人には馴染みが薄いと思います。

1. ボディコンとは?

まずは、そもそもボディコンとは一体何なのか?どんなものなのか?という所から解説しましょう。

ボディコンは、80年代に流行った女性向けファッションスタイルの一つです。

80年代、いわゆるバブル時代に栄えた独特のファッションはさまざまあり、人気アイドルだった松田聖子さんのヘアスタイルをリスペクトした『聖子ちゃんカット』や『肩パッド入りジャケット』などがこの時代のお洒落最先端のファッションとして知られています。

『ボディコン』もそんな80年代ファッションの象徴の一つです。

バブル景気と呼ばれている1986年から1990年ころは、日本は経済が泡(バブル)のように膨らみ本当に好景気でした。

景気が良いことから、人々の生活やカルチャーはとても派手で煌びやか。

実に華々しいものでした。

この時代に流行っているファッションはその景気に表すように華美なものが多くなっています。

バブル時代の流行や人々のライフスタイルについては、後に詳しく紹介したいと思います。

2. ボディコンは何の略?

まずは『ボディコン』の基本中の基本から見てみましょう。

はじめに、ボディコンという言葉の意味やその特徴について紹介していきます。

1. 日本語に訳すと?


ボディコンの語源は、英語の『body consciou(ボディ コンシャス)』。

これを略したものです。

『body consciou(ボディ コンシャス)』は訳すと、体を意識している・体に注意がいく、というような意味合いになります。

ボディコンは、1981年に開催されたミラノコレクションにおいて、アズディン・アライアというデザイナーが発表したドレスで、正式名称がボディ コンシャスとなってるのですが、日本ではその略称のボディコンで浸透しています。

ボディ コンシャスと言うと逆に通じづらいかもしれません。

3. 見た目の特徴とは?

ボディコンの特徴は、名前の意味からも分かるように体を意識して作られたデザインのタイトドレス。

ボディラインを強調するように、ピッタリとしているので体のラインがくっきりです。

シェイプなデザインなので、スタイルが良い人が着ると一層そのスタイルの良さが際立つようになっています。

体形のコンプレックスを誤魔化せるようなデザインではないので、女性としての魅力や自信を惜しみなく披露するスタイルと言えます。

2000年代でこのボディコンを着ている人が街中に居たらそれはもう目立つだろうな、と言うデザインなのでボディコンという文化からはバブル時代の女性たちの堂々たる自己主張精神がうかがえます。

4. 素材は?


ボディコンは体のラインにフィットするよう、密着度の高い素材を用いています。

伸縮性の高いニットなどが使用されているものが主です。

また、伸縮性はありませんがツヤツヤしたレザーや合皮を使用したドレスもあり、それらは特にツヤがあり目立つデザインとなっていたため人気が高かったようです。

キラキラと輝く派手な素材が好まれる傾向が強かったんですね。

5. その他の特徴

ボディコンのデザインは、女性のアピールポイントでもある胸元とウエスト、そしてヒップラインが美しく見えるようにつくられています。

胸元が大きく開いているデザインが主流で、基本はノースリーブです。

スカートの丈は極端に短くミニとなっており、こちらもヒップラインに沿ってフィットするよう、とてもタイトに作られています。

ピッチリしすぎてパンティラインが出てしまうので、ボディコンを着る女性は基本的にTバックを着用しています。

肩も丸出しなので、ストラップが見えないようトップレスのブラジャーを着用したりと、ボディコンを着こなすにはそれ以外の部分も気を遣わなければいけないんです。

1. 髪型

バブル時代に流行した髪型には『ワンレン』や『ソバージュ』というものがあります。

『ワンレン』は髪型の種類である“ワンレングス”の略です。

髪に段を入れず、全体を同じ長さで揃えたロングヘアのことです。

80年代に人気を集めたアイドルの多くもこのワンレンスタイルでした。

『ソバージュ』というのは、毛先の方から細かくウェーブをかけたパーマのこと。

ソバージュはフランス語の“sauvage”のことで、“野生の”という意味を持ちます。

全体に細かなウェーブが入ったソバージュのロングヘアは無造作な雰囲気で全体的に広がりを持たせているので確かにどこか野性みがある印象です。

そして、これらの髪型に共通して『すだれ前髪』という前髪のスタイルも流行しました。

すだれ前髪は、前髪を軽くして、毛束にまとまりをもたせ、すだれのように下ろす独特のスタイルです。

今では前髪は重めに作って流すように作るのが主流ですか、バブル時代は薄く梳いた前髪をふわりと浮かせたすだれ前髪がセクシーだと人気だったんです。

松田聖子さんや中森明菜さんなどもこの髪型をしていました。

2. ボディコンの色

ボディコンの色は、とにかく派手!基本的に色は原色一択です。

赤・黄色・ピンク・青・白・紫…いずれにせよパキっとした色合いが人気の定番。

中にはヒョウ柄やスパンコールなどをあしらって、キラキラとさせたラメ製のゴールドやシルバーなどもありました。

2000年代では、淡いパステルカラーが流行っていることもあり、あまり原色そのものを使ったような派手なカラーのファッションは見かけませんね。

それに比べてボディコンは正に目が覚める様な色合いです。

ボディコンには模様や柄はなく、基本全体が原色ワンカラーとなっており、そこに一部レースやスワロフスキーなどをあしらっています。

3. 扇子

ボディコンに欠かせないアイテムの一つ『羽付き扇子』。

これもバブル時代のファッションの象徴的なアイテムです。

羽付き扇子なんていうのは、正直今やもう全く持って見かけないレアなものです。

ボディコンを着て、大きな羽付き扇子を持つというのが、バブル時代の象徴的な光景。

この羽付き扇子は、ほとんどが直径50㎝もある大きなサイズのもので、ボディコン同様、派手な原色カラーのふわふわしたファーで作られています。

通常の扇子のように涼を取るための用途ではなく、踊る際にかかげて目立つためのアイテムなのでいかに目立つかがポイントです。

フェイクファーで作られたものもあれば、正規の羽毛で作られたものなど種類も値段もさまざなだったようです。

今だと、催し物のネタでしか使わないような扇子ですね。

4. メイク

バブル時代のメイクの特徴と言えば、『太い眉毛』と『赤リップ』。

眉毛の細さや角度は、世代によって書き方に違いがあります。

2000年代に入ってからは細くて薄い眉毛が流行った時代もありますが、80年代と言えば、とにかく太く、シッカリした直線型の眉毛がポイントでした。

ペンシルタイプのアイブローではなくアイシャドウのようなパウダーで豪快に描いていき、眉頭から眉尻まで太さも濃さもほぼ一定。

ここ最近流行している太眉はナチュラルな雰囲気ですが、バブル時代の眉毛はだいぶ濃いめなので、今やると割と強烈なビジュアルです。

さらにこの時代の流行は『赤リップ』。

シッカリとした色合いでベタッと塗るのが主流でした。

この頃は主に色白というのが魅力的な女性の条件でもあったので、白い肌と赤いリップのコントラストが艶めかしい雰囲気でした。

赤い深紅のリップ、イコール大人の女性というイメージが強かったみたいですね。

ボディコンを着る人たちが好むアイシャドウやネイルもやはり色合いが派手で、目を惹くような明るいカラーのものが流行っていたようです。

今のようにグラデーションをかけたりせず、色がハッキリ分かるようにベタッの塗るのが肝でした。

5. 肩パッド

当時、ボディコンに次いで流行っていたファッションの一つに『肩パッド』というものがあります。

今でこそ、スーツなどに控えめについている程度ですが、80年代の肩パッドというのはとにかく広め。

肩幅を広めにして、ウエストにかけてキュッと絞る逆三角形のフォルムが女性らしいとされており、この頃発売されたジャケットやスーツはだいたい肩パッドが付いていて、ウエストが細めのデザインです。

もちろん出勤用のスーツもこのスタイル、この肩パッド入りのジャケットやスーツをボディコンの上から羽織るスタイルもよく見かけます。

6. ヒールの高さ

女性がヒールを履くのには、いくつかの理由があります。

ヒールを履くことで足を長く、身長を高く見せる効果を狙っていること、そしてヒールを履くことでウエストヒップが持ち上がり体形が補正して見えること。

さらに全体のスタイルアップがされることで、等身が高く見えて小顔効果が期待できます。

ヒールの靴は80年代でも女性らしさを惹きだすためのマストアイテムでした。

ヒールの高さはプライドの高さだ、と言い表すこともある位、ヒールというのは女性にとって重要なもの。

バブル時代のボディコンは、正に体形がバッチリ出るデザインなので、このヒール効果を最大限に活かそうと皆が皆高いヒールを選んだものです。

ヒールはヒールでも、主にピンヒールと呼ばれる類のものが特に女性らしいとされ人気が高かったようです。

ヒールの高さは少なくとも5㎝、高い人だと8㎝~10㎝越えのいかついヒールを履いていました。

その見た目はまるで竹馬…歩くのも大変そうです。

身長の低めの女性程、高いヒールを好みスタイルが目立つように工夫をしていたみたいですね。

6. 平野ノラのイメージ

バブル時代と言うと、最近ノリにノっている人気芸人『平野ノラ』さんが思い浮かぶのではないでしょうか。

ワタナベエンターテインメントに所属する平野ノラさんがネタに使用しているのはバブル時代のあるあるネタ。

これが意外にもバブル時代と全くかすりもしない年代の人たちからも支持を受けており、バブル時代の文化を世に広めるキッカケともなっています。

平野ノラさんのネタには、80年代が現役時代だった人が見ると、とても懐かしく共感できるようなバブル時期の用語を多数散りばめており、その時代をなんとも絶妙に反映した本人のキャラクターと相まって笑いを誘います。

平野ノラさん自身のスタイルもバブルの流行をそのまま使用しており、肩パッドの入った真っ赤なスーツにソバージュヘア、更に太眉に真っ赤な口紅ときている。

そのいで立ちはなんとも懐かしく、現代社会に居たのであればネタにしかならない。

彼女はバブル時代に流行した言葉を取り入れたネタを繰り出すのだが、きっとバブルを体感していない人には分からないものが多いはずなのに、なぜかウケています。

その上、そのネタが全くバブルにかすりもしない若者の間で流行ってさえいるのだから驚きです。

ネタの中身はその時代に流行っていた曲の歌詞、芸能人などある意味トレンディなものばかりなので、ちょっとした歴史の掘り返しです。

ボディコンが流行った理由

ボディコンが流行した理由には、バブル時代の代名詞ともいえる『ディスコ』の存在が一役買っています。

バブル時代は、ボディコンを着てディスコに通う女性が大勢いたのです。

ディスコで夜な夜な踊る…なんていう文化は2000年になった今ほとんど見かけることはありません。

これは好景気だからこそ流行した文化だったのだと言えるでしょう。

1. ジュリアナ東京の歴史

バブルと言えばディスコ、ディスコと言えば『ジュリアナ東京』です。

ジュリアナ東京とは1991年から1994年にかけてブームメントを巻き起こした伝説的なディスコで、正式名称は『JULIANA’S TOKYO British discotheque in 芝浦』です。

この時代、東京都港区芝浦はウォーターフロントと呼ばれ、若者たちが夜な夜な集う街として栄えていました。

東京都港区芝浦1-13-10 第三東運ビル1階にオープンしたジュリアナ東京は、なんとその総面積1200m²、収容人数は驚きの2000人。

いまやこの規模が収容できるディスコはどこにも存在しないでしょう。

このジュリアナ東京には、ボディコン姿で羽付き扇子を持った女性たちが連日大勢押しかけていました。

このディスコ内は、DJブースをはじめダンスフロア、雛壇と呼ばれるステージや高度な音響設備やスモーク・レーザー・モニターなどが完備してあります。

ダンスフロアの真ん中には、立派なシャンデリアが飾られたり、迫力のある壁画や豪華なオブジェなども設置され、なんともアーティスティックで非日常な空間が演出されていたようです。

最寄りだったJR田町駅からは、高いヒール姿で闊歩する派手な女性たちが列をなしてジュリアナ東京へ向かっていったという。

田町は今も昔もオフィス街で知られているので、ビル街に華美に装った女性が駅から降りてくる風景は、どこかアンバランスでふしぎな光景だったとか。

ちなみにジュリアナ東京のシステムは、エントランスフィー、いわゆる入場料として男性が5000円、女性が4500円。

週末や祝日は500円追加されるシステムになっていました。

入場料や席料としては高いな、と思うかもしれませんが入場時にはこのエントランスフィーで3500円相当の飲食チケットが14枚付与されるので、飲み食い含めた値段だと思えばそう高くもないのではないでしょうか。

日曜はレディースナイトで女性は入場料無料など、いろいろな企画や催しがあったようです。

そんなバブルの象徴ともいえる一世を風靡したジュリアナ東京は1994年に景気の衰退に伴う経営不振から閉店となっています。

1. お立ち台

ジュリアナ東京の数ある設備の中でも、特に象徴的な部分として語られているのが『お立ち台』の存在です。

お立ち台とはダンスホールの両脇にある130㎝ほどのステージのことで、その上でボディコンの女性たちが足の置き場がないほど集まって、羽付き扇子をひらひらと掲げながら舞っていました。

お立ち台に立つ女性たちが使う羽付き扇子はジュリ扇とも呼ばれていました。

2. 音楽の特徴

ジュリアナ東京で流れるミュージックは、有名DJやMCが手掛ける流行のナンバーとなっており、時期によっていくつかの変化がありました。

黎明期と呼ばれるオープン当時は、イタロハウスというハウスとイタロ・ディスコをミックスした音楽がメインでした。

これはイギリス・イタリア・アメリカで人気の高かったハウスミュージックです。

熱狂的な激しい曲調で、主に英語歌詞を用いたエレクトリックなナンバーが中心となっていました。

その後、ジュリアナ東京の絶頂期と称される1991年の冬から1992年頃はハードコアテクノが流行りました。

特に無機質なリズムが奏でるオーケストラ・ヒットを筆頭としたレイブサウンドが人気だったようです。

邦楽も洋楽もアレンジを加え乱造されては、間奏でラップを挿入したナンバーが目立ちます。

その後1993年頃、安定期と呼ばれる頃も絶頂期に主流だった曲調をユーロビート風にしたハイパーテクノが流行りました。

3. パラパラ

『パラパラ』というのも、バブル時代に流行した文化の一つです。

ユーロビートなどのダンスミュージックに合わせて左右への規則的なステップと上半身(主に腕)を使った振付をするダンスのことです。

上半身では主に2拍子か4拍子からなる動作をするもので、動き自体はそこまで複雑じゃないことから、運動神経の善し悪しに関わらず楽しめるダンスとして多くの人に親しまれました。

パラパラの動きにはYOU・ME・アオキンなどいろいろな通称があり、「イントロはアオキンで最後はYOU」といったようにパラパラをしている人の間では共通語とされ意思疎通をしていたようです。

パラパラの振り付けや曲目は、何千曲というレパートリーがあり、踊れる曲数に応じてレベルわけがされていたようです。

初心者は50以下、初級者は100曲程度、中級者は~500曲、それ以上が上級者とされました。

2. バブル時代の日本

パラパラも主にデジスコやクラブで開催されているイベントにおいて披露するものです。

バブル時代の日本は、実に陽気で浮ついており、踊ったり飲んだりといったお祭り騒ぎが好きだったみたいですね。

景気がいい国というのは、やはり人々もどこか開放的になり、そこからさらに消費が起こることで、経済がまわって行くんです。

ボディコンを着る女性の特徴

バブルを象徴する『ボディコン』は、時代を経て2017年となった今再びブームが起きようとしています。

ただ、バブル期のボディコンと比べてシンプルで日常使いができるようなデザインに改良されており、最盛期のようにボディコンを着てディスコに行くなんてこともありません。

今やスタイルが良く見える大人のスマートなファッションとして知られているドレスとなったボディコンですが、バブル期にボディコンを着ていた女性たちはどんな理由からお立ち台に立つ際の一張羅にボディコンを選び着用していたのでしょうか。

1. 目立ちたい

まずボディコンを纏った女性たちのいで立ちを見てお分かりいただけるように、バブル時代のボディコンは実に派手で目を惹くものです。

ビビッドな原色カラーは夜の街でも華やかで目立ち、肩や腕や脚を露出したスタイルは男性たちの目線を集めたことでしょう。

ボディコンは、とことん目立つために自分を着飾るアイテムでした。

控えめな色になんて目もくれず、それはもう派手な色の服を纏い、高いヒールを履き、誰よりも自分こそが主役なのだとお立ち台で大きな扇子をヒラヒラと舞わせる。

さらにゴージャスさと派手さをプラスするためにこれまたカラフルなファーのマフラーのような羽ショールを首元から巻いている人も多かったですね。

われがわれがと前に出る姿勢は現代社会に足りない部分なのかも知れません。

2. 自分に自信がある

ボディコンは、その人のスタイルが露わになるドレスです。

バスト・ウエスト・ヒップ、女性としての自分の魅力を惜しげもなく晒し、そのスタイルをステータスとし周囲より一層引き立つ存在になる、自己主張の強さも表しています。

日本の女性はどこか控えめで、海外に比べると肌の露出に対しても抵抗があるイメージが強いですが、この時代の女性はまさにエナジェティック。

バブル期にボディコンを着て踊っていた女性たちは、スタイルも立ち居振る舞いも堂々としており、自分に自信があるということが分かります。

3, 恋愛経験が豊富

ボディコンを着ている女性たちは、自分の魅力を最大限に活かしています。

その確固たる自信は、恋愛経験などの経験値からも計れるものです。

多くの男性からアプローチされ、数々の恋愛を経験してきた女性というのは、自ずと女性としての魅力が高まります。

もちろんのことながら、バブルの時期だからといって、すべての女性がボディコンを着ていた訳ではありません。

ボディコンを着ている女性達は、女としての経験に長けているような人が多く、夜の遊び方を心得ていたのでしょう。

女性として、最大限に楽しむ術を知り、ボディコンという勝負服で街を闊歩する姿はそれはもうかっこ良かったでしょうね。

4. 男に媚びない

ボディコンは露出が多いので、男性に媚びている衣装だと思われがちですが意外とそうではありません。

この頃の女性はとても強いので、男に媚びるような真似はせず、我が道をゆくスタイルです。

自ら媚びたりせずとも男性から声がかかるような人こそ、いい女たるステータス。

この頃は露出が多い=軽い女という印象では決してなく、ボディコンというグラマラスなスタイルでいかにいい女としてお高く強かに振る舞うかがポイントでした。

ファッションの個性や主張もさることながら、化粧も濃いめなのは強い女を演出するための一貫だったのでしょう。

5. 仕事よりも遊び

ボディコン姿で羽付き扇子を持ち、ダンスに合わせて舞う、そんな刺激的でエネルギッシュなライフスタイルを送っていたバブル時代。

ディスコは基本、夜からなので仕事が終わったあとに、そのままの足で遊びに出かけるというのも珍しくありませんでした。

仕事より遊び優先という豪快な生活を送る人々の姿は、まさに好景気ゆえの姿ですね。

この時代の人は、生活環境もお金の感覚も今とは大きく異なります。

ゆえに、バブル時代を生き抜いた世代の人たちの性格はパワフルでとても強かです。

今の若者たちに対して「なよなよしている」「覇気が足らない」なんて言うような苦言を呈することもしばしば…。

とはいえ、今の日本はバブル時期の経済状況とは大きくかけ離れているため彼らのスタイルを見習おうとした所で、残念ながらうまくいくはずがありません…。

6. スタイルは良い

ボディコンを着こなしている女性は、体にピッタリとフィットしたシェイプなドレスを見事に自分のものにしていました。

この頃の流行は程よく肉付きメリハリのある体つきでしたから、みんなハリのあるバストとヒップを強調するボディコンで自らの自慢の体をアピールしていたのです。

肩から露になったデコルテ、短くてタイトなスカートというセクシーなスタイルはそうそう簡単にできるものではありません。

ボディスタイルを維持する努力、露出する肌を磨く努力など、女性達にはたくさんの努力が必要だったでしょう。

今は細すぎるくらいのモデル体型が流行っていますが、男性目線からすると、きっとバブル時代の女性の体型の方が好みだという人が大半だと思います。

体にせよ性格にせよ、自分の魅力を上手くひきだして磨き、自信に変えられることはセルフプロデュースに長けているということです。

これは、処世術としても有効ですね。

7. 肉食系女子

ボディコンのセクシーさは、女の武器を最大限に活かす特攻服のようなものでもあります。

その武器を駆使して、いかにハイスペックかつ好みの男性を射止めるかというのが、女性達の楽しみの一つでもありました。

衣装のギラギラした様子はそのまま彼女達の本質を表していたのかも知れませんね。

ディスコやクラブでは男女の巧みな駆け引きが夜な夜な繰り返され、官能的な体験をしたという人も多いことでしょう。

最近ではめっきり肉食系の女性は減りました。

そもそも現代は女子も男子も草食系で、あまりガツガツとした恋愛体質ではありません。

少子高齢化に拍車がかかる一方です。

バルブの頃の勢いや力強さというのは見習った方がいい部分が多いのも確かです。

私たちを勢いづけ、後押ししてくれる好景気が訪れるといいですね。

8. みんなでやれば怖くない

クラブやディスコの様子を見てみるとわかるように、こういう場所を訪れる女性の大多数がボディコン姿です。

あんな大胆な服、恥ずかしくて切れない…なんて思う人もいるでしょう。

着てみたいけどなかなか踏み切れない…、きっとこの時代にもそんなシャイな女性もいたはず。

ですが、1人ではなかなか踏み切りにくいことも仲間と一緒にやるとなると話は別です。

1度ディスコクラブの門を潜ってしまえば、もはやボディコン姿じゃない方が目立ってしまう程に皆がネオンに映えるカラフルはドレスに身を包んでいます。

1度クリアしてしまえば、あとは楽しむだけ。

隣に並ぶ相手よりもっと目立ちたい、もっと注目されたい、と思う気持ちで互いに高めあった結果、強く魅力的な女性が多く生まれたのでしょうね。

9. 感情表現が雑

バブル時代の人達は皆大胆。

言い方を変えてみると割と大雑把です。

細かい事は気にせず、終わり良ければ全て良しという精神は、やはり好景気ゆえの余裕から来るものでしょう。

性格もざっくばらんで、とてもフレンドリーな感じの人が多く、男女共に分け隔てない明け透けな付き合いをしていたイメージがあります。

この頃の人はあまり繊細でセンチメンタルな感情表現はせず、どんなことも白黒はっきりくっきりという性格の人が多かったようですね。

ものの善し悪しにせよ、自分の感情表現にせよ、ゼロか百かという極端な判断で、くよくよ悩んだり感傷に浸るようなこととは縁が薄かったと思われます。

この時代の人が親になると、意見がはっきりした肝っ玉母さんや、ちょっと頑固な父さんタイプになることが多いみたいです。

感情表現が豊かだけど、細かくは語らないというタイプなので分かりづらい部分もあるかもしれません。