田町は今も昔もオフィス街で知られているので、ビル街に華美に装った女性が駅から降りてくる風景は、どこかアンバランスでふしぎな光景だったとか。
ちなみにジュリアナ東京のシステムは、エントランスフィー、いわゆる入場料として男性が5000円、女性が4500円。
週末や祝日は500円追加されるシステムになっていました。
入場料や席料としては高いな、と思うかもしれません。
しかし、入場時にはこのエントランスフィーで3500円相当の飲食チケットが14枚付与されます。
飲み食い含めた値段だと思えばそう高くもないのではないでしょうか。
日曜はレディースナイトで女性は入場料無料など、いろいろな企画や催しがあったようです。
そんなバブルの象徴ともいえる一世を風靡したジュリアナ東京は1994年に景気の衰退に伴う経営不振から閉店となっています。
1. お立ち台
ジュリアナ東京の数ある設備の中でも、特に象徴的な部分として語られているのが『お立ち台』の存在です。
お立ち台とはダンスホールの両脇にある130㎝ほどのステージのことで、その上でボディコンの女性たちが足の置き場がないほど集まって、羽付き扇子をひらひらと掲げながら舞っていました。
お立ち台に立つ女性たちが使う羽付き扇子はジュリ扇とも呼ばれていました。
2. 音楽の特徴
ジュリアナ東京で流れるミュージックは、有名DJやMCが手掛ける流行のナンバーとなっており、時期によっていくつかの変化がありました。
黎明期と呼ばれるオープン当時は、イタロハウスというハウスとイタロ・ディスコをミックスした音楽がメインでした。
これはイギリス・イタリア・アメリカで人気の高かったハウスミュージックです。
熱狂的な激しい曲調で、主に英語歌詞を用いたエレクトリックなナンバーが中心となっていました。
その後、ジュリアナ東京の絶頂期と称される1991年の冬から1992年頃はハードコアテクノが流行りました。
特に無機質なリズムが奏でるオーケストラ・ヒットを筆頭としたレイブサウンドが人気だったようです。
邦楽も洋楽もアレンジを加え乱造されては、間奏でラップを挿入したナンバーが目立ちます。
その後1993年頃、安定期と呼ばれる頃も絶頂期に主流だった曲調をユーロビート風にしたハイパーテクノが流行りました。
3. パラパラ
『パラパラ』というのも、バブル時代に流行した文化の一つです。
ユーロビートなどのダンスミュージックに合わせて左右への規則的なステップと上半身(主に腕)を使った振付をするダンスのことです。
上半身では主に2拍子か4拍子からなる動作をするものです。
動き自体はそこまで複雑じゃないことから、運動神経の善し悪しに関わらず楽しめるダンスとして多くの人に親しまれました。
パラパラの動きにはYOU・ME・アオキンなどいろいろな通称があり、「イントロはアオキンで最後はYOU」といったようにパラパラをしている人の間では共通語とされ意思疎通をしていたようです。
パラパラの振り付けや曲目は、何千曲というレパートリーがあり、踊れる曲数に応じてレベルわけがされていたようです。
初心者は50以下、初級者は100曲程度、中級者は~500曲、それ以上が上級者とされました。
2. バブル時代の日本
パラパラも主にデジスコやクラブで開催されているイベントにおいて披露するものです。
バブル時代の日本は、実に陽気で浮ついており、踊ったり飲んだりといったお祭り騒ぎが好きだったみたいですね。
景気がいい国というのは、やはり人々もどこか開放的になり、そこからさらに消費が起こることで、経済がまわって行くんです。
ボディコンを着る女性の特徴
バブルを象徴する『ボディコン』は、時代を経て2017年となった今再びブームが起きようとしています。
ただ、バブル期のボディコンと比べてシンプルで日常使いができるようなデザインに改良されています。