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ボディコンってどういう服?バブルが...(続き4)

バブル時代のボディコンは、正に体形がバッチリ出るデザインなので、このヒール効果を最大限に活かそうと皆が皆高いヒールを選んだものです。

ヒールはヒールでも、主にピンヒールと呼ばれる類のものが特に女性らしいとされ人気が高かったようです。

ヒールの高さは少なくとも5㎝、高い人だと8㎝~10㎝越えのいかついヒールを履いていました。

その見た目はまるで竹馬…歩くのも大変そうです。

身長の低めの女性程、高いヒールを好みスタイルが目立つように工夫をしていたみたいですね。

6. 平野ノラのイメージ

バブル時代と言うと、最近ノリにノっている人気芸人『平野ノラ』さんが思い浮かぶのではないでしょうか。

ワタナベエンターテインメントに所属する平野ノラさんがネタに使用しているのはバブル時代のあるあるネタ。

これが意外にもバブル時代と全くかすりもしない年代の人たちからも支持を受けており、バブル時代の文化を世に広めるキッカケともなっています。

平野ノラさんのネタには、80年代が現役時代だった人が見ると、とても懐かしく共感できるようなバブル時期の用語を多数散りばめています。

その時代をなんとも絶妙に反映した本人のキャラクターと相まって笑いを誘います。

平野ノラさん自身のスタイルもバブルの流行をそのまま使用していますよね。

肩パッドの入った真っ赤なスーツにソバージュヘア、更に太眉に真っ赤な口紅ときている。

そのいで立ちはなんとも懐かしく、現代社会に居たのであればネタにしかならない。

彼女はバブル時代に流行した言葉を取り入れたネタを繰り出すのだが、きっとバブルを体感していない人には分からないものが多いはずなのに、なぜかウケています。

その上、そのネタが全くバブルにかすりもしない若者の間で流行ってさえいるのだから驚きです。

ネタの中身はその時代に流行っていた曲の歌詞、芸能人などある意味トレンディなものばかりなので、ちょっとした歴史の掘り返しです。

ボディコンが流行った理由

ボディコンが流行した理由には、バブル時代の代名詞ともいえる『ディスコ』の存在が一役買っています。

バブル時代は、ボディコンを着てディスコに通う女性が大勢いたのです。

ディスコで夜な夜な踊る…なんていう文化は2000年になった今ほとんど見かけることはありません。

これは好景気だからこそ流行した文化だったのだと言えるでしょう。

1. ジュリアナ東京の歴史

バブルと言えばディスコ、ディスコと言えば『ジュリアナ東京』です。

ジュリアナ東京とは1991年から1994年にかけてブームメントを巻き起こした伝説的なディスコで、正式名称は『JULIANA’S TOKYO British discotheque in 芝浦』です。

この時代、東京都港区芝浦はウォーターフロントと呼ばれ、若者たちが夜な夜な集う街として栄えていました。

東京都港区芝浦1-13-10 第三東運ビル1階にオープンしたジュリアナ東京は、なんとその総面積1200m²、収容人数は驚きの2000人。

いまやこの規模が収容できるディスコはどこにも存在しないでしょう。

このジュリアナ東京には、ボディコン姿で羽付き扇子を持った女性たちが連日大勢押しかけていました。

このディスコ内は、DJブースをはじめダンスフロア、雛壇と呼ばれるステージや高度な音響設備やスモーク・レーザー・モニターなどが完備してあります。

ダンスフロアの真ん中には、立派なシャンデリアが飾られたり、迫力のある壁画や豪華なオブジェなども設置され、なんともアーティスティックで非日常な空間が演出されていたようです。

最寄りだったJR田町駅からは、高いヒール姿で闊歩する派手な女性たちが列をなしてジュリアナ東京へ向かっていったという。