「合点承知之助!」って聞いたことありますか?

なんか、ちょっと前、いやだいぶ前に誰かが言っていた気がする・・・。

そんな感じの方もいれば、いやいやおもいっきり使っていたフレーズだし!という方もいるでしょう。

そして、全く耳にしたことのない若い世代もいると思います。

このフレーズもさることながら、「合点」って言う言葉、意味を知っていますか?

合点とは?

「合点がいく」とか聞くこともありますけど、普段の生活の中であまり今までは使ったことがない言葉だ、という人も多いことでしょう。

そこで、今回は「合点」という言葉の意味と、その言葉の使い方についてご紹介していきたいと思います。

これを呼べば、あなたも今日から「合点」を正しく使えて、ちょっと学識のある人のように話せるかも!?

読み方

今回ご紹介したい感じは「合点」。

まず、この漢字ってどう読むと思いますか?

「ごうてん」?

それとも「あいてん」??

先ほどの「合点承知の助」というフレーズを知っている方なら、読み方はよく知っていることと思いますけど、知らない人にとったらちょっと難しいかもしれませんね。

「ガッテン」「ガテン」

合う点と書きますけど、正しい読み方はコレなんです♪

「ガッテン」または「ガテン」。

つまり、先ほどの「合点承知之助」というのは「がってんしょうちのすけ」と読むんですね。

「ガテン」というと、「賀点」と書かれ間違われることが多いようですが、”合う点”と書くのが正解です。

意味

では、合点ってどうゆう意味なんでしょうか?

承知すること

まず、承知することという意味があります。

承知する、というのは、誰からか何かを依頼されたときに、それを承諾する、引き受ける、受け入れるという意味がありますね。

さらに、物事についての情報について聞いたときに、それを受け入れ認めているときに使う表現と言えます。

合点は特に、そのように物事についての情報を認めているときに使うことが多いです。

普段、承知することを表現するときには「わかりました」とか「承知しました」、「了解しました」と言うことが多いかもしれません。

でも、「合点承知した」という言い方もある通り、合点という言葉を使うこともできるのです。

納得すること

そして、納得していることも意味合いに含まれています。

何かの情報を聞いて、それを理解し受け入れたことを「納得する」といいますね。

納得していることを示す際にも、「合点した」と表現したりします。

それで、今まで事情が分からずに「どうして?」「なんで?」と思っていたことでも、新たに情報を得たり、理解が深まったことによって納得できたときに「合点がいった」というように表現することができるでしょう。

同意すること

物事に同意していること、も意味しています。

同意している、ということはそのことに対しいもはや異論はない、ということですね。

そして、物事を良いと認め、それを受け入れていることになります。

それで、「いっこうに合点がいかない」というフレーズは、「全然同意できない」とか、先ほどの意味の、「全然納得できない」という意味になりますね。

うなずくこと

そして、うなずくという意味もあるそうです。

それで、小説などで「合点しながら」というようなフレーズが出てきた場合、その人がうなづいている様子を想像することができるでしょう。

納得しているとき、同意しているとき、承知しているとき、人間はうなずきます。

その動作のことも、合点という言葉の中には含まれているようです。

合点の同義語

合点には、承知すること、納得していること、同意していること、うなづくこと、という意味があるということがわかりました。

では、合点と同じような意味の言葉ってあるのでしょうか?

同義語を調べてみました。

心得る

よく時代劇の中などで「この場を何だと心得るか!」というフレーズを聞くことがありますよね。

この「心得る」が「合点」の同義語であります。

心得るとは、物事についてこうなんだと理解する、よくわかる、わきまえるという意味です。

なので、「この場を何だと心得るか!」と言われたときには、「この場を何だと理解している(もしくはわきまえている)のか!」と言われていることになりますね。

さらに、事情をよく知ったうえである事柄を引き受けるということも意味しています。

理解し納得したうえで、ある事柄を引き受けるという面で「合点」と同義語であることがわかりますね。

「しかと心得た!」というフレーズもありますけど、「しかと」はつまり「はっきりと」、「確かに」という意味なので、「物事をしっかりと理解し、事情をよく飲み込んで受け入れましたよ」という意味になりますね。

さらに、「心得がある」という表現もしますが、これはある事柄がすっかりと身についている人に対して使いますね。

そのことをしっかりと理解している人でなければ「心得がある」とは言えません。

「お茶の心得がある人」と言うときには、お茶をたしなんでいる人、そしてお茶を会得している人のことを指しています。

さらに、心得るという言葉には、気を付ける、用心するといった意味もあります。

この場合は、合点とは少し意味が違ってくるところですね。

説明がつく

「これで説明がつく!」というフレーズもよく使う言葉ですね。

これで筋が通るとか、これで納得がいく、という意味合いで使っていることが多いのではないでしょうか?

「説明がつく」という言葉は、筋道を理解し、把握することを意味しています。

この「つく」という日本語は、いろいろな意味を持っている言葉ですけど、この場合は「ちゃんとした説明が加えられる」という意味です。

それで、「合点がいく」と同義語になります。

「合点」も、ある事柄について情報を得ることによって、物事をよく理解でき、納得できるという意味でしたね。

「ある程度説明がつく」とよく言いますけど、「ある程度合点がいく」と言っても、同じニュアンスを伝えることができるわけです。

まあまあ物事を理解でき、まあまあ納得できたな、という時に使える表現ですね。

腑に落ちる

「あ~なるほど!これで腑に落ちた」と言うことがあります。

「腑に落ちる」とは、納得がいったときに使う言葉です。

「腑」とは、「はらわた」のことを指しています。

この「はらわた」には人の考えや心が宿ると考えられていて、心の底を意味しているそうです。

人の意見が心に入らないということが「腑に落ちない」という表現につながったようです。

それで、「腑に落ちない」とは、心の底では納得できていないということを意味します。

その言葉の肯定系が「腑に落ちない」という言葉になります。

肯定系が使われていたのは明治時代からのようですが、意味を調べると、そのまま「合点がいく」という説明がでてきます。

なので、納得できたときには、「腑に落ちる」と言っても「合点がいく」と言っても、同じ意味になります。

しかし、「合点」には、納得していることだけでなく、承知していることと、同意していることも意味に含まれていましたよね。

でも「腑に落ちる」という時には、納得はできたけど、その物事に同意しているかどうかは、ちょっと違ったりすることありませんか?

納得している、という点では同じ意味を伝えていますが、その物事を支持しているのか、受け入れているか、それとも納得はしたけど受け入れていないのか、というところではちょっと違いますよね。

それで、「合点がいく」と表現した場合、もしかしたら相手はあなたが納得して同意してくれたものだと思うでしょう。

それで、もしその物事の成り行きや情報自体に納得はできたけど、まだ内容に同意はしていない場合は、「腑に落ちた」と表現するほうが誤解が生まれにくいのかもしれませんね。

しかし、「ずっと気になっていたことが、これでやっと腑に落ちた」などと使う時には、やはりそれを納得して受けいられている状態を指す場合が多いから、あまり違いはないのかもしれません・・・。

そして、面白い点ですが、この「腑に落ちる」という言葉自体が、日本語として正しいのかということがけっこう議論されていたりします。

もともと「腑に落ちない」という否定形で生まれた言葉です。

それ自体が慣用表現である、と辞書に載っているとすると、それを肯定系にして「腑に落ちた」というのは日本語の誤りではないか、という意見もあります。

しかし、ただ聞きなれない表現ではあるかもしれませんがちゃんと「納得した」という意味の正当な日本語だという人たちもいますし、小説などでも使われている表現でもあります。

元々の意味

現代人ではあまり「合点」という言葉を使う機会がないかもしれませんし、「合点がいく」という正確な言葉の意味を知らない人もじつは多いかもしれません。

でも、この言葉、もともとはどこから発生した言葉なんでしょうか?

どうして承知したとか、納得した、同意したということを「合点」という、ちょっと難しい言葉で表現するようになったのでしょうか?

和歌の印をつけることから進んできた

「合点」について、その由来を調べてみると、じつは和歌や連歌、俳諧などで使われている言葉が元となっているようなのです。

もともと、和歌や俳諧などで、よくできた作品の頭には、それを評価していた人たちが庵点「〽」(いおりてん)をつけていたそうです。

その作品の良し悪しを評価していた人たちは点者といわれてたそうです。

そして、その点者が良い、優れていると評価したものに印をつけたので、そのことを「点を合ふ」といっていて、それが漢文風に「合点」と書かれるようになりました。

和製漢字のようです。

「」のもとにもなった

そして、その優れたものに着けられる記号としての合点は、のちに優れたものではなくても和歌などで始めのところに着けられる記号となり、その結果今でいうかぎかっこ「」として変化して言った、という説明もありました。

さらに、回状などを確認した、内容を承知したということをカギ印として自分の名前の上に着けたことも由来しているようです。

そして、「合う」という言葉自体には、「重なる」「一致する」という意味があります。

それで、「合点」が「納得する」「同意する」という意味としても広く使われるようになったと言われています。

「合点」フレーズ集

では、「合点」を日常で使えるどんなフレーズがあるでしょうか?

「合点」だけで考えると、あんまり日常ではよく使う言葉ではないかもしれませんけど、フレーズとして見てみると、意外と使えるというか、なじみのあるフレーズがけっこうあることに気づくかもしれませんよ♪

がってん承知!

なんといっても、「がってん承知!」はよく使うフレーズですね。

なんだか、どこかの方言のようにも聞こえてくるような言葉ですけど、方言ではありません。

江戸っ子がよく使っていたであろうフレーズです。

江戸時代の男性が使い始めた言葉と言われています。

「OK,わかったよ!私に任せておいてよ!」という意味で使われていますね。

けっこう、軽いノリで使われていることもありますが、軽くOKした、承知したというよりも、「合点」がつくことで、ちゃんと理解し納得したうえで承知した、という意味になるので、もっと信頼のおける「承知した」という意味になりますね。

まあ、現代人ではほとんど使わない言葉ですけど、たまにノリでふざけて使うこともあるかもしれません。

例文

例えば、ある女将さんが、自分のところに急遽大事な客が入って、ある男にお使いを頼みます。

女将さんは、何を、どこで、どのように買い付けるかということを説明すると、急使を頼まれた男は「がってん承知!」と言います。

つまり、「よ~くわかった、俺に任せとけぃ!」という感じです。

まあ、この男が本当に信用なるかどうかは別として、このように物事をよく理解したうえで承知した時に使うわけですね。

がってん承知の助

「がってん承知」に洒落をかけて言っているのが「がってん承知の助」です。

承知した、ということを人名っぽく言っているのです。

「がってん承知」って言おうとすると、やっぱりどうしても「がってん承知の助!」って言いたくなりませんか?

かなり語呂がいいというか、楽しいというか・・・。

「がってんしょうちのすけ」とだけ聞くと、いったい誰なの?って思って、このフレーズは人名だと思っている人もいるくらいですね。

「のすけ」ってついていますからね。

これに似ているのは、「冗談は由之助(よしのすけ)」です。

これは「冗談はよしてくれ」を「由之助」にかけているわけです。

このようなダジャレが江戸時代に流行っていたようですね。

もちろん、「がってん承知!」って言われるより、「がってん承知の助」のほうが、印象としては軽いノリですね。

だから、シリアスなシチュエーションでは絶対に使いませんね。

使ったら、空気が壊れます。

例文

江戸時代に流行った洒落なわけですけど、「おれはがってん承知の助だ!」といえば、「おれは納得して同意しているぜ!」と言う意味になりますね。

さらに現代バージョンで考えると、例えば、とあるお母さんと息子の会話。

お母さんから今日は大事なお客さんが来るから、部屋を絶対にきれいにしておきなさい、そうでないと本当にあとで困るわよ、と言います。

それで息子が、「がってん承知の助~!」と言っている感じですね。

「状況はよくわかったよ、それなら片付けなきゃだね!OK、やっとくよ!」

そんなことを言っていますが、ちょっと不信感が残るのが「承知の助~」ですね。

面白いけど、ちょっとオチャラケていますからね。

本当に、片づけをやるのかどうか・・・。

というよりも、現代人の息子がこのフレーズを知っていること、もしくは使うことはほとんどないので、使うとしたら大体の場合ふざけて言っていますね。

合点がいく

「合点がいく」と表現される場合、それは「理解できる」「納得できる」という意味になります。

「なるほど、これで納得できた」というようなときに使います。

逆に、「まだ納得いかないんですけど!」というときには「合点がいかない」といいます。

例文

「どうして彼があの時あのように行動したのかは、彼の性格を知っているわたしには”合点がいく”ことだ」という風にもつかいますね。

さらに、刑事物のドラマなんかでも使われる言葉なので、もし犯人の証拠が出そろってきて、いろいろな情報を一つにつながったときに、こんなフレーズが飛び出すかもしれません。

「この証拠と当時の状況を重ね合わせれば・・・彼があの時ああ言ったものも合点がいくぞ!」

そして、否定形としても使えます。

「彼がどうしてあの情報を知っているのか、合点がいかない。」

「当初、あの人がどうして私ではなくて、彼女を好きになったのか合点がいかなかったが、今になった考えてみると、合点がいくことばっかりだ。」

合点がいくということと、その否定形の合点がいかないという両方を使うこともできますね。

おっと合点

「おっと、合点」というフレーズもあります。

この場合の「おっと」って、どうゆう意味で使っているの?と思いますよね。

「おっと」は、一般には驚いたときとか、何かに気づいたときなどに使う表現でしょう。

しかし、もう一つ意味がありまして、相手の呼びかけに答えるときにも使います。

それが「おっと合点!」です。

何かを持ちかけられたり、提案されたり、お願いされたときに、「おっと合点」ということで、それに好意的な受け答えしていることになります。

このとき、大体「承知の助」がくっついて、「おっと合点承知の助!」と言ったりします。

この場合、かなり洒落っぽく、承知したことを表現する言葉になりますね。

例文

例えば、「○○ちゃん、これから一緒におばあちゃんちに行こうよ!」「おっと合点!」みたいな。

こんな会話を現代人の親子とか、兄弟同士でしていたらけっこうびっくりですよね。

でも、「おっと合点」というフレーズは、すごく言葉として言いやすくて、リズムもいいので子供たちも結構好きになりやすいフレーズみたいです。

ある幼稚園では、「おっと合点承知の助」という齋藤孝さん文・つちだのぶこさん絵の絵本
が人気で、子どもたちは、何か頼みごとをされると「おっと合点承知の助!」と答えているそうですよ。

子どもたちにとっては、なんだか面白い言葉遊びのような感覚なんですね。

この言葉をよく知っている大人たちも聞いているとなんだかほっこりする、楽しくて気持ちがあたたかくなるフレーズかもしれません。

今でも使われる場面とは?

では、現在でもどんなシチュエーションで「合点」という言葉が使われることがあるのでしょうか?
今まで、あまり使ってこなかったという方も、小説や本、そしてダジャレでしか知らなかった言葉だ、というかたも、実際に今でも使われている場面がありますので、それを真似してちょっと粋な表現をしてみるのはどうでしょうか??

おじさんがシャレで言う場面

現代で使われているシチュエーションの一つは、やっぱりおじさんたちの洒落ですね。

江戸っ子気質をまだ受け継いでいるおじさんたちが、「おっと合点承知の助よ~」なんて言っているところに遭遇したことありませんか?

特に、お酒を楽しく飲んで、ちょっと酔っぱらっているときなんかに、飛び出すフレーズかもしれません。

おじさんが楽しく飲んでいて、なんだか気分がよくなっているときに、お会計をお願いしちゃったりなんかしたら、ノリよく「おっと合点承知の助~」と言って、お財布から数万を出してくれちゃったりもするかもしれません。

そんな、羽振りのいいおじさんたちばかりではないけどね。

まあ、何かを頼んだりお願いしたときに、シャレで返してくれるくらいなら、きっと気分よく承諾してくれているんですよね。

別に酔っていなくても、「おれは、合点承知の助だ!」なんて言って、気前よく引き受けてくれることもあります。

でも、その時に「がってん承知の助・・・だれ?」とか思って、そこを疑問に思うと「なんだお前、知らないのか!?」って長~い説明が始まる可能性がありますから、注意しましょう。

でも、おじさんたちにとってはちょっと嬉しい情報がありまして、おやじギャグの中でも、まあ今の若い人は言わないであろうフレーズ、例えば「当たり前田のクラッカー」とか「よっこいしょういち」「冗談はよしこさん」などと比べて、「合点承知の助」は、笑えるギャグだと思っている現代人が多いらしいです。

もちろん、その全部が寒すぎて反応に困る・・・という人が大多数なんですけど、でも、じつは現代の若い世代にも、あの「試してガッテン!」で「ガッテン」が馴染みのあるものだったり、「がってん寿司」というお店もあることから、意外となじみやすい言葉だったんですね。

だから、おじさんたちも「合点承知の助~」というシャレは、若い世代からもまだ許されるシャレだから、言っても大丈夫な可能性が高いらしいですよ!

会議などの場面

さすがに会議では、ダジャレとして「合点承知の助」とは言いませんけど、「合点がいく」などと表現すると、すごく言葉を巧みに操っている人、知的な人という印象を与えることができますね。

会議などで、新しい企画案が出た時も、必要な情報がまだ十分とは言えなかったり、内容に穴がある場合に、「それでは合点がいかないよ」というなら、まだ「こちらとしては納得し、受けいられれる状態ではないね」と言う意味で表現することもできるでしょう。

あと、相手側がもともと発言していたことを、まんまと変更して、自分に都合のいいように内容を変えてきたときに、「これでは合点がいかない」と言うこともあるでしょう。

納得ができない、まだ同意することはできない、まだ整理できていない段階だ、とうことを「合点がいかない」と会議ではよく使っていますね。

物事を評価する場面

何かの物事を評価する場面で、「合点がいく」「合点がいかない」というように表現することがあるでしょう。

物事を評価するためには、その基準となるものが必要です。

もし、厳正なすべてに当てはまる基準がある場合であれば、それと照らし合わせて、基準に沿っているのか、基準値を十分に満たしているのか、といことで「合点がいく」のか、「合点がいかない」のか、ということを評価できるでしょう。

つまり、その物事が適正であり、基準を十分に満たしている、説明がつく、納得させる内容である、という時には「合点がいく」と評価できるでしょう。

しかし、そうでない場合、もしかしたら基準から大きく外れていたり、大事なポイントが抜け落ちている場合には、「合点がいかない」と評価を受ける場合もあるでしょう。

でも、「評価する」という面で難しいのは、多くの場合人は物事を評価するときには、その人の価値観というものが入りますよね。

絶対の基準というものがあれば別ですけど、そうでないと主観的になり、その人の価値観・見方・感じ方が大きく反映された評価をすることもあります。

なので、物事を評価するときにその人の価値観が大きく繁栄されているのであれば「合点がいく」というのは、その評価した人にとって納得できる、という一つの意見と受け止めることができるかもしれません。

例えばよくあるのが、とある政治家の主張が、以前とは違ったり、説明があいまいだったりしたときに、報道機関は国民の意見を調査したりすることがあります。

その中である国民が「あんな態度は合点がいかない」というように酷評するかもしれません。

それは、政治家の言動・行動が納得できず、自分はその姿勢を受け入れることができない、と言うことを、自分の意見として主張していると思われます。

そして、みなさんはあの大人気の番組、NHKの「ためしてガッテン!」を見たことはありますか?

わたしたちの毎日の生活の中で、役立つ食に関する情報や、健康に役立つことなどをたくさん取り上げてくれていて、すごく面白いし、ためになる番組ですよね。

あの番組のタイトルについている「ガッテン!」とは、「合点」のことですよね。

内容は、いつも身近な生活の関係するテーマを、化学的な視点で取り上げ、美や健康に役立つ情報を提供しています。

そんな、情報をゲストと一緒に見たり、実際に試しながら番組は進んでいくのですが、その中でゲストは「ガッテン」ボタンを押しますよね!
あれも、客観的な意見として「納得~!」ということを、表現しているわけです。

なので、「なるほど!」「腑に落ちた!」「納得した!」という自分の主観的な意見として、「ガッテン!」と言うことができるでしょう。

主観的な意見というのは、自分から見るとこう見えるし、自分はこう思う、という意見です。

それで、評価する際に、自分の見方、考え方、そして意見などが入っているなら、それアハ主観的な意見と言い換えることもできるでしょう。

さらに、物事の良しあしについて述べる際にも、「これは合点がいく」とか、「わたしは○は合点がいかない」と言うことがあるかもしれません。

もともと、短歌や蓮歌で評価の高いものに、点をつけることが「点を合ふ」と言われ、そしてそれが合点になったことを考えると、「合点」という言葉を、何かを評価するときに使うのは、言葉の流れとしては当然なのかもしれませんね。

客観的に意見する場面

評価する、というよりも客観的な意見として、「合点」を使うこともけっこう多いのではないでしょうか?

客観的な意見とは、自分から見た意見ではなくて、自分以外つまり他の人から見るとどう見えるかという意見です。

極端に言えば、あなたにとって今日の気温は「寒い」と感じるとして「寒いです」と意見するのは主観的な意見、しかし他人にとったら「暑い」かもしれず、その意見には違いがありますね。

この他人にとっての「暑い」という意見が、客観的な意見でもあるわけです。

それで、主観が入っていない意見を客観的な意見とも言います。

例えば、何かの物事についてだれかに意見を求められたときに、自分が公平な立場で意見するときにも、「客観的にみると・・・」というように使います。

つまり、自分個人の好みとか自分個人の価値観、感じ方で意見しているのではなく、一般的に見て、という意味で使っているのでしょう。

それで、もし人間関係のトラブルを抱えている人に客観的な意見を述べる場合、「そこが,
彼にとったら合点のいかない部分なんじゃないかな?」と言うことがあるかもしれません。

自分が感じること、思うこととは別として、ある事柄が、”彼”にとったら納得できない、承知できない部分である、という意見です。

トラブルや問題が起きた時に、自分もどちらかに属していたり、自分が当事者だったときには、主観的な意見となりやすいですよね。

でも、一歩引いてみたときに、物事の全体を把握し、偏った見方や独りよがりな考え方をするのではなく、誰が見てもそう見える、という時に”客観的な意見”として、合点がいくのか、いかないのか、ということを意見することができるのでしょう。

でも、”意見”であるならそれはもう、その人の主観が入っていることがほとんどなので・・・、もし客観的に見た事実を伝えることとして、「合点」を使うことがあるとしたら、それは”客観的な事実”と言えます。

でも、「合点」自体が、承知するとか、納得できる、同意する、という意味なので、事実を伝えるというよりは、自分のあるいは他の人の意見を表している言葉なんですよね。

だから、「合点」を使って、客観的な事実を伝えるときには、「彼は合点がいったようです」つまり「彼は承知したようです」ということだったり、「彼は合点がいかないみたいです」つまり「彼は納得していません」というように使えるのかもしれません。

日本語って難しい・・・。