腑に落ちる
「あ~なるほど!これで腑に落ちた」と言うことがあります。
「腑に落ちる」とは、納得がいったときに使う言葉です。
「腑」とは、「はらわた」のことを指しています。
この「はらわた」には人の考えや心が宿ると考えられていて、心の底を意味しているそうです。
人の意見が心に入らないということが「腑に落ちない」という表現につながったようです。
それで、「腑に落ちない」とは、心の底では納得できていないということを意味します。
その言葉の肯定系が「腑に落ちない」という言葉になります。
肯定系が使われていたのは明治時代からのようです。
意味を調べると、そのまま「合点がいく」という説明がでてきます。
なので、納得できたときには、「腑に落ちる」と言っても「合点がいく」と言っても、同じ意味になります。
しかし、「合点」には、納得していることだけでなく、承知していることと、同意していることも意味に含まれていましたよね。
でも「腑に落ちる」という時には、納得はできたけど、その物事に同意しているかどうかは、ちょっと違ったりすることありませんか?
納得している、という点では同じ意味を伝えています。
ですが、その物事を支持しているのか、受け入れているか、それとも納得はしたけど受け入れていないのか、というところではちょっと違いますよね。
それで、「合点がいく」と表現した場合、もしかしたら相手はあなたが納得して同意してくれたものだと思うでしょう。
もしその物事の成り行きや情報自体に納得はできたけど、まだ内容に同意はしていない場合。
「腑に落ちた」と表現するほうが誤解が生まれにくいのかもしれませんね。
しかし、「ずっと気になっていたことが、これでやっと腑に落ちた」などと使う時には、やはりそれを納得して受けいられている状態を指す場合が多いから、あまり違いはないのかもしれません・・・。
そして、面白い点ですが、この「腑に落ちる」という言葉自体が、日本語として正しいのかということがけっこう議論されていたりします。
もともと「腑に落ちない」という否定形で生まれた言葉です。
それ自体が慣用表現である、と辞書に載っているとすると、それを肯定系にして「腑に落ちた」というのは日本語の誤りではないか、という意見もあります。
しかし、ただ聞きなれない表現ではあるかもしれませんが、ちゃんと「納得した」という意味の正当な日本語だという人たちもいます。
小説などでも使われている表現でもあります。
元々の意味
現代人ではあまり「合点」という言葉を使う機会がないかもしれません。
「合点がいく」という正確な言葉の意味を知らない人も実は多いかもしれません。
でも、この言葉、もともとはどこから発生した言葉なんでしょうか?
どうして承知したとか、納得した、同意したということを「合点」という、ちょっと難しい言葉で表現するようになったのでしょうか?
和歌の印をつけることから進んできた
「合点」について、その由来を調べてみると、実は和歌や連歌、俳諧などで使われている言葉が元となっているようなのです。
もともと、和歌や俳諧などで、よくできた作品の頭には、それを評価していた人たちが庵点「〽」(いおりてん)をつけていたそうです。
その作品の良し悪しを評価していた人たちは点者といわれてたそうです。
そして、その点者が良い、優れていると評価したものに印をつけたのです。
そのことを「点を合ふ」といっていて、それが漢文風に「合点」と書かれるようになりました。
和製漢字のようです。
「」のもとにもなった
そして、その優れたものに着けられる記号としての合点は、のちに優れたものではなくても和歌などで始めのところに着けられる記号となりました。
その結果今でいうかぎかっこ「」として変化して言った、という説明もありました。
さらに、回状などを確認した、内容を承知したということをカギ印として自分の名前の上に着けたことも由来しているようです。