どんなことでもマンネリはやってきます。
人は変化を嫌う生き物だといわれているので
マンネリをマンネリとは思わずルーティーンととる場合もあるかもしれませんが。
マンネリは心の堕落
ここではマンネリは心の堕落としてマンネリ化を防ぐための対策を考えてみたいと思います。
マンネリという言葉の語源
語源由来辞典によると、「マンネリの語源は芸術や文学、演劇などの型にはまった手法や、様式や態度への強い固執を意味する英語のマンネリズムの略である」とあります。
マンネリズムとは「行儀、作法、礼儀やきまりきった癖や作風を意味するマナーから生まれた言葉である」となっています。
私は最初「強い固執」というところにちょっと興味がわきました。
マンネリと聞くとなんとなくダラっとしたイメージがないですか?固執もなにもないところにマンネリがあるような気がしていたのですが、そこには固執があるのですね。
慣れは老化の原因
人が何かを行う上で、人間関係を続ける上で慣れてくるというのは良いことだと思うのです。
「習うよより慣れろ」っていいますよね。
慣れてはいけないのでしょうか?慣れには良い慣れと悪い慣れがあるのでしょうね。
仕事のやり方がわからずなかなか慣れないというときの「慣れ」は
新しいことを始めたときに通る道のようなもので本人のがんばりと時間が解決するもの。
あの人とは出会ったばかりだから一緒にいると緊張するというのもあまりいい慣れではないですが、でもそれも誰でもそういうものであってむしろ人としてちゃんと機能している証拠かもしれません。
仕事にようやく慣れてきたという使われ方をする「慣れ」は成熟、マンネリにつながる「慣れ」とは、老化につながる慣れと位置付けられるのではないでしょうか?
努力をやめた時、人の成長は止まる
努力という言葉の意味がわからない、大嫌いという人がいました。
みなさんは努力という言葉は好きですか?私は結構好きです。
努力をやめた時、人の成長は止まると言われています。
成長したいと思って生きているつもりはないのですが成長したと思えるとき、とても嬉しいと感じるので、私にとって自分自身の成長は生きている上で大きなウエイトをしめているのではないだろうかと考えてしまいます。
努力という言葉とともに好きなのが、イソップ寓話の「3人のレンガ職人の話」です。
簡単にいうと、世界中を旅しているある人が道を歩いているとレンガ職人がレンガを積んでいた。
そこで「あなたはここで何をしているのですか 」と尋ねると、「レンガを積んでいるんだ」といって愚痴をこぼし始めた。
旅人はそのレンガ職人に慰めの言葉を言って歩き始めた。
もう少し歩くとまた1人のレンガ職人に出会ったので同じ質問をすると、「大きな壁を作っている」と答えた。
「大変ですね」といたわりの言葉をなげかけると、「どうってことはない、自分はこの仕事のおかげで家族を養う事ができ食べていけるのだから、大変だなんていえばバチがあたる」
と答えた。
旅人は職人に励ましの言葉をかけてまた歩き始めた。
そしてもう少し歩くとまた1人のレンガ職人に出会ったのでまた同じ質問をした。
3人目の職人の答えは「自分は歴史に残る偉大な大聖堂を造っている」と答えたので、「それは大変ですね」とねぎらうと「とんでもない、大聖堂は多くの人が祝福を受けられ、悲しみを払う場所だから」と言って
自分の仕事の素晴らしさを喜んでいた。
最初の2人のレンガ職人へは旅人はねぎらいやいたわりの言葉を残してその場を去った旅人は3人目のレンガ職人へはお礼の言葉を残して、旅で疲れた心や体が癒され元気に歩き続けられたというお話です。
何を言わんとしている物語なのかというと人の「意識の違い」にほかなりません。
このお話と努力はいったいどういう関係があるのか?と思われるかもしれませんが、努力をするときに大切になるのが意識の高さの違いだと思うのです。
一番目のレンガ職人はレンガを積むことへの目的は特になく、やらされているから嫌だという精神状態。