そうではなく、「一部始終」の「一部」は一冊の書物を表していて、その一冊の書物の始まりから終わりまで、という意味だったんです。
もともと、「全巻」という意味で「一部」という言葉が使われていたそうです。
今では一部というのは「全体の中の一部分」という意味として使われています。
そうなると、「一部始終」という四字熟語はちょっと矛盾のようなものを感じてしまいます。
ですが、もともと「一つの書物全巻」を「一部」と言っていた、ということを知ると、納得できますね。
顛末の由来とは
でも、「事の最初から最後までの事情」もしくは「一部始終」を意味する「顛末」という言葉の由来とはいったい何なのでしょうか?
どこからこの言葉が作られてきたのでしょうか?
全く初めて聞いた人にとっては、難しい漢字を使っているし、「てんまつ」と聞いただけでは意味を推測するのは難しい言葉ですよね。
では、由来についてもチェックしてみましょう。
顛(てん)とは「いただき」を意味し、末とは「すえ」を意味する
「顛末」の「顛(てん)」とは、「いただき」を意味しているようです。
「物事の先端」とか「てっぺん」という意味を持ちます。
なので、「山顛(さんてん)」と書き、使うこともあります。
もちろん意味は、山のてっぺん、山頂のことです。
「さんてん」は漢字としては、「山巓」とも書くことが多いですね。
そして、「末(すえ)」は、みなさんもご存知の通り、ある事柄の続いているものの先端の方のことです。
なので、「顛(てん」)が物事の最初のほうを指しているのであれば、「末(すえ)」はそれが続ているものの一番最後のことを指していますね。
なので、物事の最初から最後まで全部を表す言葉として「顛末(てんまつ)」という言葉になったようです。
一つ一つの漢字の意味がよくわかると、言葉の意味ってすごくよく理解できますよね。
「顛末」も初めて聞くと、意味はさっぱり分かりません。
でも、漢字の意味を知ったり、由来を知れば意味するところはすっかり理解できちゃいました。
顛末書とは
では、ここで「顛末書」について考えてみましょう。
ビジネスマンはよく「顛末書」と「始末書」について聞くことがあったり、さらには自分が書く必要が出てきたりするでしょう。
そして、この2つの違いについて頭を悩ますことがありますよね?
時に、ほとんど同じものとして扱われる「顛末書」と「始末書」。
ですが、やはりこの2つには違いがあります。
まずは「始末書」ですが、これは反省文が主になります。
何かトラブルやミスを起こしてしまったときに、そのことについて謝罪し、そのことについての経緯や対策案などを書きます。
それは、懲戒処分や訓告などを受けるようなことをしたときに社内に提出するため。
もしくは、社外に対して何か失礼なことをしてしまったりミスをしたときにも、先方に対して提出する書類となります。
それで、反省と謝罪がメインとなっているので、トラブルが起きた時にはすぐに提出するのが基本です。
この始末書は、労働者本人に自分の非を認めさせ反省をさせること。
そして、起こしてしまったトラブルやミスにしたいしてケジメをつけさせることによって同じミスを繰り返さないように再発を防止する、という意図があります。
さらには、もしその人を解雇することになった時には、その人の直筆の始末書が、解雇せざるを得なくなった証拠として使えるからです。
つまり、始末書の作成により労働者の側に何らかの非違行為があったこと、そして会社側は指導を行った、しかしそれにも関わらず改善が見られなかった、という証拠のもと解雇に踏み切ることができるわけです。
一方、「顛末書」の場合、トラブルやミス、不祥事などがあった時に、その問題について一部始終を報告するための書類となります。
それで「トラブル報告書」とも言われることがあります。