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顛末とはどういう意味?よくある使い...(続き5)

「その顛末を眺めていた。」

「その顛末を眺めていた。」ということは、事の最初から最後までについて、その事実を第三者として知っていた、ということになりますよね?

「眺める」ということは、「かたわらで成り行きを見る」という意味があります。

つまり、その当事者としてではなく、第三者として事の一部始終を観察していたということですよね。

例えば、事故が起きた時に、自分は加害者でも被害者でもないとしても、その事故が起こった現場に居合わせたとします。

その出来事の最初から最後までの一部始終を見ていたなら、「顛末を眺めていた」ということになりますね。

まあ、事故を「眺める」という言い方は、少し当事者の方の気持ちを害してしまうかもしれません。

事故なら「見ていた」という言い回しのほうがいいのかもしれませんけどね。

ただ、その出来後についてはすべてを知っている、ということです。

あるいは、会社での人間トラブルについて第三者的に、それが今度どうなっていくのかを見てきたというケースもあるかもしれません。

当事者たちがどんな原因でトラブルを抱えるようになり、どのように事に対処していくのか。

そして、今に至る経緯をずっと見てきた、という時にも「その顛末を眺めていた。」ということになるでしょう。

「当時の顛末を思い出した。」

「当時の顛末を思い出した。」ということは、過去のことを振り返って詳細を思い出した、ということになりますね。

昔のことで今まではすっかり忘れていたことも、ふとあることがきっかけで詳細を思い出すことがあります。

例えば、遠い昔の元恋人に会って、「懐かしいな~」って思うこともあります。

それと同時に、「どうしてあの時、あの人と別れたんだっけ??」って考えるかもしれません。

昔の記憶ですっかり忘れていたことも、その人の顔を見た時に思い出すこともあります。

そして、その人との思い出について懐かしくあれこれと考えていた時に、「あ~そうか、あれがきっかけで、あんなことがあって、ああなって別れたんだ!」って思い出すかもしれません。

過去の出来事を詳細に思い出すことで、辛いことを思い出しちゃったということもあるかもしれません。

でも逆に、自分にとって今となると宝物のような経験を思い出すこともあるかもしれませんね。

あと、自分の身の回りで事件が起きて、刑事さんたちから事件当時のことを聞かれたとき。

ショックのあまりその時は思い出せなかったけど、ひとまず気持ちが落ち着いたときに「当時の顛末を思い出した」ということもあるかもしれません。

事件当時の詳細、一部始終を思い出したということですね。

そんな経験はめったにしないと思いますが、詳細な点を思い出したなら、あなたの記憶はかなり有力な事件解決のカギになるかも!?

「災難の顛末を思い返す。」

自分や知り合いの人の身に何か災難が起きた時、そのことが起きてしまった原因や過程などについて、「災難の顛末を思い返す」ということがあるかもしれません。

それは、つらい記憶についてフラッシュバックしてしまうという時なのかもしれません。

人生の教訓として思い起こすこともあるでしょう。

さらに、会社でミスをしてしまったり、事故を起こしてしまったときなどに顛末書を書いて、その情報を社内で共有します。

また同じミスが起きないように、みんなで「災難の顛末を思い返す」ということもあるかもしれませんね。

ただ何が起きたのか、ということだけでなく、そのように原因や過程、そして結果という事の全体を思い返すのです。

それによって、教訓を得ることができたり、再発防止のために改善点や対処法などを考えることができそうです。

「そうした顛末を知ってしまったからには。」

人から何かの出来事について、表面的な情報だけしか知らないなら、それは「へ~そうなんだ、大変だったね~」と他人事で済むかもしれません。

でも、事の全体、それも人が知らない、いや知るべき関係している重要な詳細な事実を知ってしまったときには、「そうした顛末を知ってしまったからには・・・」と他人事ではなくなることもありますよね。

知らなければ責任がなかったのに、知ってしまった以上、自分も関係者になってしまいます。

そして、何らかの行動責任が発生してしまう、ということありますからね・・・。

「知らなきゃよかった!でも事の顛末を知ってしまったからには何とかせねば!」ってことです。

「これから顛末をお話しします。」