そんな彼が持つお笑いセンスや絵の才能が、その障害があってこそ生まれたものだというようなことを、萩本欽一さんは「天然」だと表現したのだそう。
そう考えると、今使われている「天然」の意味は、使われていくうちにそれこそ、ズレてしまったようですね。
今だと、知的には普通だけど、ちょっと人と変わっている人に天然が使われます。
本来の言葉の成り立ちを知ると、人に対して天然と言うのも、ちょっと立ち止まって考えてみたくなりますね。
でも筆者は、天然って悪いことではなく、褒め言葉のようなニュアンスも含まれていることも多いと感じています。
だって、思考や価値観を人とすり合わせようとがんじがらめになって、頭でっかちになっている人のほうが、人工的で息苦しいって思いませんか?
だけど、どんな意味で使われるか、またその言葉を受け取る側の気持ちになってみたら、どう感じるかは人それぞれなのかもしれません。
実際筆者の母がよく、天然だと言われるようですが、とても嫌がっています。
そんな人の子供である筆者も、たま~に天然だと言われますが、筆者の場合は褒め言葉として受け取ってしまいます。
そんな母も筆者も、仕事は一応、ちゃんと出来ます。
認識出来ていないだけかもしれませんが、トラブルメーカーだとも思っていません。
ただもちろん、ミスやトラブルを起こしてしまうこともあります。
そういった時は、天然が原因と言うより、うっかりのほうが原因だと思います。
ですので結局は、注意力不足なんですよね。
天然っぽい人で、トラブルメーカーな人がいるのなら、やっぱり、「天然」で片づけるのではなく、原因の本質を見極めることが必要なのかもしれません。
知的には普通なのですから、やれば出来るはずですからね!
ミスが多い
悪意の無いトラブルメーカーな人は、“ミスが多い”のも特徴と言われています。
トラブルメーカーな人が起こすトラブルの内容には、様々なものがあると思います。
ですが、その多くはミスによって引き起こされるものだったりするのでしょう。
ミスとは、英語のmistake(ミステーク)からきた外来語。
“誤り”や“失敗”の意味です。
ただ日本でミスが使われる場合は、軽い間違いや、簡単なことなのに不注意によって引き起こされた失敗に対して、使われるイメージがありますよね。
悪意の無いトラブルメーカーな人が引き起こしてしまうミスも、うっかりミスであることが多いのではないかと思われます。
つまり、注意力不足によってミスをしてしまうということです。
うっかりだったり、もしくは天然だったりして、物事に対する注意力が不足していた。
とも言えるのかもしれませんね。
トラブルメーカーな人は、トラブルを人よりも多く起こしてしまう人です。
注意力に欠けていることは間違いないのでしょう。
それは確かに、悪意はないと言えます。
だけど悪意はないとはいえ…ミスが多過ぎるのはやっぱり問題です。
そのミスに、周囲の人も巻き込まれてしまうことが多いでしょう。
何か対策を講じなければならないと思います。
ミスを起こしやすい人を見ていて思うのは、注意力不足もそうですが、意識が散漫していることが大きな原因のような気がします。
一点集中することが出来ずに、いろんなことが気になってしまう。
そんな人が多いです。
しかも、その気になる事柄を同時に気に掛けているので、全てのことに手を付けてしまったりするんですよね。
結果、ひとつのミスだけではなく、同時にいくつものミスを引き起こしてしまうんです。
「ミスが重なる」とはよく言われますが、それはいくつものことを同時に進めたりするからですよね。
その同時進行した全ての事が、全て注意を注げない状態になってしまいます。