毎日、テレビや新聞、ネットの速報などで、様々な情報が飛び込んできますが、良いニュースは非常に少なく、多くの場合は、耳を塞いだり、目を背けたくなるようなものが多いですね。

また、自分の生活環境でも、悲惨な出来事やを目にしたり、理不尽な扱いを受けたり、心が折れてしまいそうなほどのプレッシャーを感じておられる方も多いことでしょう。

そんな時に感じる感情を、皆さんはどのように表されますか?「いたたまれない」と表現されるかもしれません。

日本語には、感情を表す豊かな表現方法がありますが、今日はこの「いたたまれない気持ち」とはどんな感情で、どんな時に使うのか、掘り下げていきたいと思います。

️いたたまれないってどんな気持ち?

漢字で書くと「居た堪れない」となります。

つまり、自分の良心やプライド、周りの圧力や仕打ちで、その場にとどまるのが辛い、気まずい、堪えられないという感情です。

似たような言葉には、「身の置き場がない」「居場所がない」「居心地が悪い」「息がつまりそう」「行き場がない」「きまりが悪い」などが挙げられます。

そのように感じるには、様々な異なる原因があると思います。

例えば、みんなが見ている中で派手に転んでしまって、恥ずかしくてその場から逃げ出したく感じたり、子供が病院などで泣き叫んでいる姿を見ても、どうしてあげることもできないのが辛くて、その場にい続けることが堪えられないと感じたり、自分以外は全員親しい友達で、自分の知らない内輪話で盛り上がっている時なども、身の置き場がないと思うかもしれません。

このように様々な原因や状況の中で、「居た堪れない」と感じることありますよね?

精神的にその場にこれ以上いられない


「いたたまれない」とは、「その場にいれない」ということですが、文字通り移動しなければならない状況ということではなく、気持的、感情的にその場にいるのが辛いということです。

つまり精神的な問題を表現しています。

人の冷ややかな視線を感じても、出て行けと言われたり、無理やりつまみ出されない限り、その場に止まることは可能ですが、自分を冷ややかにみる人の蔑視的な感情や考えを感じ取ると、自分の気持ち的にそこにいるのが辛くて、その場から逃げ出したくなりますよね。

ですから、繊細な人やナイーヴな人、多感な時期の若者は特に感じやすい感情かもしれません。

また、普段ならあまり気にならなかったり、堪えられることも、落ち込んでいる時や精神的に弱っている時などは、周りの視線を敏感に感じたり、人の感情を深読みしたりしやすくなるので、今までなら何も感じなかった場面で、いたたまれないと感じることもあるかもしれません。

そう考えると、ある意味自分の感情をコントロールできなくなったり、目にしていることや聞いていることが、自分の許容範囲を超えた時に感じる感情を「いたたまれない」と表現するのかもしれません。

いたたまれなくなる感情

「いたたまれない」と感じるということは、辛いことや、恥ずかしこと、緊張することなど、プレッシャーがかかる場面や、ネガティブな感情と繋がっています。

誰もがそれを避けて、幸せな気持ちで毎日を過ごしたちと思っていますし、周りの人にも幸せになって欲しいと願っていますが、残念ながら、利益第一主義や利己的な考え方が主流になりつつこの世の中では、さらには、完璧を望みながらも失敗をたくさんをしてしまう自分自身の弱さのせいで、いたたまれなくなることにたくさん遭遇します。

これから具体的な感情や場面を見ていきましょう。

恥ずかしくていたたまれない

恥ずかしいとは、自分の欠点や失敗を意識したり、面目ないと感じたり、人前でどう振る舞って良いかわからない気持ちと言えます。

例えば、服のファスナーを閉め忘れて家を出てしまい、電車の中で気づいた時や、誰かから指摘された時は、恥ずかしくて顔が真っ赤かになり、この場から立ち去りたいと思うかもしれません。

そして実際に電車の車両を変える人もいることでしょう。

また、買い物に行った時に、レジのところに来てお財布を忘れたことに気づいても、自分のミスが信じられない気持ちと、並んでいる人の視線などを感じて、恥ずかしさでいたたまれなくなりますね。

もちろん、お金を取りに行くか、品物を返却するためにその場を去りますが、なるべく人と目を合わせないようにしたり、戻ってくるとしても居心地の悪さを感じますね。

また、好きな人の前で照れ臭く感じたり、褒められすぎてどうしてわからなくなるような、時も恥ずかしくて逃げ出したくなるかもしれません。

辛くていたたまれない


辛いという感情も、心を締め付けるのでいたたまれなくなります。

辛くなるのは、悲しかったり、かわいそうだったり、無力さを感じる気持ちが強くなりそのように感じるのかもしれません。

それをどうすることもできない自分の無力さを痛感すると、さらに辛く感じますね。

辛いという感情は、自分がそれを原動力にして立ち上がることを望んでいると考えることもできるそうです。

辛いと感じるのは、その反対の幸せを知っているので、それを求めている合図ということです。

かわいそうでいたたまれない

かわいそうとは、弱い立場にあるものに対して同情を感じたり不憫に思うこと、そして、その不幸な状況から救ってあげたいと感じることと言えます。

つまり、相手のことを思いやる時に現れる優しい同情心とも言えます。

戦争に巻き込まれて、家族や家を奪われたり、命からがら逃げている人達のニュースを見ると、遠い国で起きていることで、苦しんでいる人と面識がなくても、心からかわいそうに思い、いたたまれない気持ちになります。

そして耐えられずにチャンネルを変えるかもしれません。

また、動物や小さな子供達が虐待されているニュースを見ても、なんの罪もない純粋なものが苦しんでいる姿がかわいそうでたまらなくなりますよね。

それは、人間には良心があって、弱いものは守ったり、優しく世話をすべきと自然に感じるからです。

そういう状況を見聞きすると、虐待している人や苦しめている存在にい苛立ちを感じると同時に、かわいそうと感じながらも自分ではどうしてあげることもできないことにも腹が立ち、いたたまれない気持ちになります。

イライラしていたたまれない

仕事ができないのに偉そうに指示してくる上司や、やる気がない部下に囲まれている職場だと、イライラが溜まって、オフィスから飛び出したくなることありますよね。

また、子供が駄々をこねてスーパーなどで泣き叫んだり、ぐずって歩かなくなった時も、イライラしながら騒いでいる子を引きずるように出て行ったり、放置して知らんぷりしている母親を見かける時もありますよね。

さらに、親族会のたびに、結婚を勧められたり、子供を持つように言われるなら、またこの話題かとイライラしますし、居心地が悪いので、だんだん親族会に参加することが苦痛になってしまいます。

このようにイライラするのも様々な原因があります。

しかし、どんな状況のイライラにも共通することは、「思っていたことと現実に起きていることのギャップ」と「復唱」だそうです。

自分が期待していることや、思い描いていることと違うことが起きるとそのギャップに苛立ち、自分でもわかっていることを改めて指摘されたり、なんども聞かれることによって、責められたような気分になったり、やはり自分の思い通りに物事が進まない状況になるのでイライラします。

激しい怒りでいたたまれない

激しい怒りを感じるとは、「怒り」の裏にもう一つの別の感情があると言われています。

例えば、家族や恋人に、自分の心の内を話した時に、そっけない返事しか帰ってこなかったり、全く理解してもらえない時などには、大事な人と分かり合えない「寂しさ」が、「怒り」となって現れ、家を飛び出るとか、もう話さなくなるという行動に出ます。

このように「激しい怒りは」複雑で、強い感情なので、怒りを感じている対象が目の前にいるなら、自分を抑えることが大変になり、ひどいことをしてしまう前にその場を去りたいと思うのでしょう。

もし激しい怒りを感じた時は、その怒りを引き起こしている、第二の感情は何か、「悔しさ」「寂しさ」など他のネガティブな感情はないかを分析するなら、気持ちを落ち着けやすくなります。

悲しくていたたまれない

「悲」という漢字の成り立ちを掘り下げるなら、この感情について理解を深めることができます。

まず、「非」は、羽が左右対称に開いた形から、「割れる」という意味があります。

それに「心」が足されているので、「心、胸が裂けるような切ない思い」という意味が悲しいという感情だということがわかります。

「苦しい」「辛い」「不幸」などと同意語として考えることができるでしょう。

そのような気持ちになるのは、孤独や喪失感を感じた時や、悲惨な出来事を見聞きしたり、実際に体験した時ですが、その状況に息苦しさを感じ、その場に止まれなくなるかもしれません。

とにかく、どこの国でも、どんな人にでも、心が引き裂かれるような出来事が怒らないことを心から願わずにはいられません。

居心地が悪くていたたまれない

自分だけ場違いのように感じて気まずいこと、窮屈さや苦痛を感じることを表しますが、場所の他にも、地位や役職、また、体面が保てない場合などにも使います。

「バツが悪い」「立場がない」などと表現することもありますね。

例えば、ドレスコードのあるようなエレガントな食事会に、自分だけラフな格好で参加してしまうと、自分だけ浮いているようで気まずくなります。

また、高学歴で高収入のハイクラスな人たちの会話に混ざっている時、自分とのレベルの差を感じて、自分はここにいるべきではないと感じるかもしれません。

️いたたまれなくなる16個の出来事

いたたまれない気持ちはどんな気持ちなのかをこれまで考えてきましたが、これからは、具体的にどんな場面でいたたまれなくなるのかを見ていきましょう。

何か大きな出来事でや、滅多に起きないことではなく、これから見ていくシチュエーションは、多くの人にとってよくある日常の一コマでしょう。

先生や上司に誰かが物凄く怒られている

自分でなくても、人が怒られているのを見ると気分が沈みますよね。

しかも、ものすごい剣幕で怒鳴られていたり、理不尽な言われ方や、もういいのにと感じるほどにネチネチ長々と怒られていると、怒られている子をかわいそうに感じたり、助けてあげたいけど何もできない自分を苛立たしく感じたりし、いたたまれなくなるかもしれません。

特に最近の子育ては、褒めて伸ばすという方針が取られていますし、学校でも先生はあまり怒らなくなりました。

ですから怒られるということに免疫がなくなってきていて、人が物凄く怒られている姿は、衝撃的に映るかもしれません。

親や友人の激しいケンカが始まった

仲良くして欲しい人同士の喧嘩を見るのは、傷つきますね。

特に、親の喧嘩は、子供の心に計り知れないダメージを与えます。

本来は愛し合っているはずの人がいがみ合っていると、その間に存在している子供達は、自己肯定をすることが難しくなったり、自分がいない方が良いのではと考えるようになってしまいます。

そんな風に子供に思わせるのはいやでうよね?大人になってからも、やはり親は親、子供は子供なで、親が喧嘩をすると、いたたまれない気持ちになり、心が引き裂かれそうになるので気をつけましょう。

友人同士の激しい喧嘩も、どちらのことも好きな場合はどうして良いかわからなくなり、辛くなります。

仲違いした人たちが、それぞれ味方につけようとしてきた場合など、どちらも傷つけたくないから、非常に気まずく感じ、お願いだから私のことは放っておいてと思うことでしょう。

みんなの視線が一斉にこっちに来た

人の視線は凶器にもなると言われるように、視線は、不安や恐怖を人に抱かせます。

ですから、一斉に大勢の人の視線が自分に集まると、いたたまれなく感じるのも無理もないですね。

不特定多数の前でスピーチをする時や、グラスを落としたりしてパッと周囲の人の視線が自分に集まると、心臓がバクバクして、視線が刺さるように痛みを感じ、とても顔を上げてみんなを見れないかもしれません。

日常生活でも、程度の差はあれ、たいていの人は周囲の視線を意識して生活しいます。

それは、社会の秩序を保つ上で一定の役割を果たしていますが、あまりに人の視線を気にして生活すると疲れてしまうので、全ての人に受け入れられることは不可能なこと、自分で自分の価値を認めてあげることを、思い込みで人の感情を深読みしないことなどを思いに止めてのびのびと生きるようにしましょう。

同情されて無駄に皆が優しい

同情されることによって、なぜいたたまれなくなるのでしょうか?自分の気持ちをわかろうとしてくれたり、自分の辛い状況に寄り添おうとしてくれることは、本来は、人に安心感や幸福感を与えるものです。

しかし、優しくされるといたたまれなく感じることがあるというのです。

親から虐待されていたある人は、「愛に満ちた優しい親がいる普通の家庭で育った人には、自分の苦しみは絶対にわからないと思うし、変に同情されるといたたまれなくなる」と語っています。

虐待のように、長い間必死で隠したり、自分なりに落とし前をつけて処理してきた感情を、人と共有するということは、物凄く勇気がいることですし、100%までは理解されないことによって、傷つくこともあるのです。

しかし、相手が善意で近づいてくる場合、それを拒否することも悪いし、助けを差し伸べてくれる優しさを嬉しく感じる自分もいるという、言葉で表すことは不可能な、非常に複雑な感情になるようです。

勘違いを堂々と語っている人

なんでそうインプットされてしまったのか不明だが、間違って思い込んでしまったり、誤った情報を信じ込んでしまっていることってありますよね。

しかも勘違いしている本人は、それが正しいと思っているので、自信満々に他の人に教えたりします。

実は違うと知っている周りの人から見たら、滑稽だし、恥ずかしいし、かわいそうにもなっていたたまれなくなります。

訂正してあげればいいのですが、立場が上だったり、その場で直すとプライドを傷つけてしまいそうだったりする場合は、訂正するのも難しいですよね。

おじさまたちが、自分も若い子の流行について行っていることをアピールするために、アイドルやミュージシャンの名前を自信満々に語っているのですが、微妙に一文字違うと、最初はぷっと笑いそうになりますが、連呼されると、今更直すわけにもいかず、ただただ話題が変わることを願って耐える状況になります。

お葬式で悲しみに暮れている親族を見て

愛する人家族を失うことほど辛いことはありません。

どんなに歳をとっていたとしても、家族にとってはずっと大切な存在で、生きていてくれさえいればいいと感じているものです。

さらに若い家族を失うと、その喪失感は大きく、埋められない穴が心にぽつっと開いて、どんなに時が経っても決して埋められない悲しみを味わうものです。

そんな憔悴しきった親族を目にするお葬式はいたたまれない気持ちになることが多いです。

深い悲しみをなんとか抑えて、気丈に振る舞っている姿が痛々しくて、こちらの胸が張り裂けそうになったり、泣きじゃくる親族を見て、その喪失感が胸に突き刺さり、その場にいることが耐えられなくなることがあります。

人がなくなるということは、なんて不条理で、人を絶望に落とすことなのかと遣る瀬無い気持ちになりますね。

電車の中で学生がうるさく騒いでいる

この場合は、文字通り居心地の悪い環境から立ち去りたいということになります。

大きな話し声、品のない笑い声、無意味な相槌などは気になりだすと、物凄く不快に感じますす。

特に電車などの、逃げ場のない公共の場でやられるとたまりません。

本人たちは、楽しいのかもしれませんが、学生さんならではの内容のない会話や、ひたすら同じことを繰り返す内輪ノリが周囲にとっては、騒音以外の何物でもありません。

注意をしようにも、逆ギレされても怖いですし、常識が通じない相手と議論するのも面倒です。

それで彼らが早く降りることを願いつつ、いたたまれない気持ちをグッと抑える大人は多いですよね。

電車ですごく疲れているときに目の前に老人が立つ

日本人なら、「お年寄りに席を譲りましょう」と小さな頃から教えられてきました。

確かに、年上の人には敬意を払うべきですし、体力が落ちていたり、足腰がおぼつかない老人には、特別な配慮が必要なのはわかります。

ですが、若い人でも疲れたり、体調が悪い時はあるものです。

仕事をなんとかこなして帰宅する時に、やっと座れたと思ったら、杖をついた老人が入ってきたらあなたはどう思われますか?「お願いだからこっちに来ないで」「今日は私もギリなの〜」と思うかもしれません。

そして、目の前に立たれたら、ただでさえ疲れた体が、より一層重く感じるかもしれません。

寝たふりをして、見なかったことにしようと思ったり、こんなに疲れているんだから私も弱者と自分が座り続ける理由を考えますか?でもこのまま自分が座り続けたら、周りの人にひどい人間と思われそうで嫌だな〜とか頭のなかで考えがぐるぐる回り、譲るべきかどうか良心が揺れ動くことでしょう。

そんな状況の時にもいたたまれない気持ちになることでしょう。

あまりに悲惨な事故現場を見て

事故現場は、どんなものでもゾクッとするような不気味さを感じますが、事故が悲惨な場合は、背筋が凍るような感覚になる時があります。

車の事故であっても、車両が大破していたり、血痕が散らばっていたりすると、その被害の大きさを想像して身がすくんでしまいます。

そして、その事故原因が、飲酒運転や、スピードの出し過ぎなど、無責任なドライバーの過失の場合は、一人の人のいい加減さでどれだけの人が傷つくかを考え、怒りがこみ上げてきますし、ちょっとした気の緩みによる事故でも、なんとか防ぐことはできなかったのかと悔しさがこみ上げてきます。

事故は、突然に、予期していない状況で起き、その後の環境を一変させてしまう悲惨なものなので、目にするだけでいたたまれない気持ちになります。

自分だけ輪の中に入れない

人は友情や協調を求めるもので、何かのグループの中で自分一人だけ馴染めないと、孤独感や疎外感を感じ、いたたまれなくなります。

人に受け入れられたいという欲求は、他者を認識しだす、ごく幼い時から自然と感じだすので、学生時代も仲良しグループに入れないと、学校に行くのが辛くなったりしますよね。

大人になると、学生時代よりは、友達や仲間の圧力に影響されにくくはなりますが、会社でも派閥があるように、どこかのグループに所属することが必要になる状況も多いです。

しかし、一度そのグループに入って見たものの、価値観が違ったり、興味のあることがかけ離れすぎて共通点を見出せなかったり、グループ独特の雰囲気に合わないと、そこに所属しているのが苦痛になります。

詐欺に騙されている老人

何も知らない純粋な人がいいように利用されていたり、悪い心を持つ人が、誠実な人の不安や親切心を逆手にとって、騙したり、詐欺行為を行っているのを見ると怒りがこみ上げますね。

よく、お年寄りをターゲットにして、子供や孫のふりをして電話をしてお金を振り込ませる詐欺や、自宅に訪問して、悲しい身の上話などをして同情を買い、高額で商品を売りつける詐欺のことがニュースで取り上げられていますが、それらを見聞きした時、皆さんは、どんな思いになられますか?お年寄りたちは、一人で住んでいたり、相談相手がいなかったり、世の中の変化についていけなかったり、邪悪な心を持つ人にとっては騙しやすい存在なのです。

ですから、そのような人が被害にあったことを聞くと、心が寂しくなりますよね?今まで一生懸命に生きてきた人たちが、世話をされず放置され、今まで蓄えてきた物を、人生の終盤に心ない人たちによってごっそりと取られてしまうなんて、本人が詐欺だと気づいたらどんな気持ちになるのだろうと想像すると、本当にやるせない気持ちになります。

理不尽なクレームや文句を言われた

物事の筋が通っていない、無茶苦茶なこと、つまり理不尽なことを言われるのもストレスを強く感じます。

仕事の取引き先から、こちらのミスではないのに怒られたり、上司から絶対に終わらない量の仕事を押し付けられるなど、理不尽な仕打ちを受けても耐えなければならない場面は多くあります。

人にはそれぞれ、義や公正の感覚があるので、その感覚のそぐわないこと、道理に合わないことを要求されるといたたまれなくなります。

怒りや諦め、悔しさやはがゆさなどが同居した感情になり、仕事上ではなんとか抑えても、あとで発散しないと気が滅入ってしまうかもしれません。

捨て猫を見つけた

か弱い子猫がお腹をすかして泣いている姿、一人では生きていけないので、誰にも世話されずに放置されている姿を見ると、いたたまれなくなり、思わず抱き上げたり、家に連れて帰るかもしれません。

猫だけに限らず、動物も貴重な命で、私たち人間が責任を持って世話をしてあげなければなりません。

しかし、引越しだから、飽きたから、お金がかかるからなどの理由で、生き物を捨てる人がいるのです。

以前、動物病院の先生が、動物を捨てるときに飼い主は、「この子は誰か優しい人に見つけてもらって幸せになれる、きっと大丈夫」などと都合の良い妄想を抱くことが多いが、現実は全く違うので、ペットを捨てることは、そのペットを自分で殺して食べることよりも残酷な行為だと言われていました。

愛くるしい目の猫を見たり、必死で助けを求めて泣いている姿を見るときに、そのようなことをした人の非常さと、目の前にいるか弱い猫を愛おしく感じる思いが交差して、いいたたまれなくなるのでしょう。

いじめが起きている教室

いじめは、ただの喧嘩や仲違いではなく、一定の期間続き、人を孤独、無気力、最終的には死までも追いやる恐ろしいものです。

残念ながら、学校の教室でそれは多発しており、多くの若者たちが、加害者、被害者、傍観者になってきました。

もし、自分のクラスでいじめが行われていたら、「学校が楽しいと思えますか?」「教室でずっと過ごしたい」などと考えるでしょうか?どの立場の子でも、その答えは「いいえ」だと思います。

いじめは、関わった人全員がいたたまれない気持ちになる、非常に残酷なものなのです。

周りのレベルが高すぎる

劣等感もいたたまれなくなる要因です。

例えば、お友達家族が、全員戸建ての持ち家に住み、自分の部屋も持っており、大型連休には海外旅行、イベントの時には素敵なプレゼントをいつももらっている人たちなのに、自分は、古い団地に住み、休みは旅行どころかいつも働かなくてはならなかったり、みんなが持っているものはとてもじゃないけど手に入れられないなら、あまりの生活レベルの差でいたたまれなくなります。

話をしても一人だけ合わないし、格好も自分だけみすぼらしいなら、周りの人が優しく接してくれても気がひけるというか、自分はここにいるべきではないと感じるのではないでしょうか?周りとの差を感じるのは、生活環境や経済力だけでなく、教育レベル、ルックス、家柄など様々な分野で差があります。

自分を卑下する必要はないのですが、あまりにも周りのレベルが高いと、どうしても劣等感が出てきてしますので、自分が無理せず、居心地が良く感じる人と一緒にいるようにしましょう。

気付かぬうちに悪事に加担していた

知らずに誰かを傷つけていたり、騙されるようにして悪いことに加担していたことに気づいたら、本当にショックを受けますよね。

今まで気付かなかった自分を不甲斐なく思い、「なんでこんなことになったのか」「どうしてもっと慎重にならなかったのか」「なぜ自分はこんなことをしてしまったのか」と自責の念に苛まれるでしょう。

そのように自分を攻めると、自分のしてしまったことから目を背けたくなるし、自分の弱さを痛感していたたまれなくなってしまいます。

しかも悪気はなかったとはいえ、法を犯してしまっていたり、他人の人生を貶めてしまうようなことになっていたら、そのショックから立ち直るのには相当な時間とエネルギーが必要になることでしょう。

️いたたまれない気持ちはやるせなくなる

これまで「いたたまれない気持ち」になる場面、その時の感情について、ゆっくりと考えてきましたが、やはり「悔しさ」「悲しさ」「辛さ」「はがゆさ」「怒り」など様々な感情が入り乱れ、自分ではその気持ちを処理できない時に、いたたまれなくなりその場を立ち去ったり、一呼吸するために沈黙したり、その場をさることができない場合は、ひたすら耐えるなど、自分の神経をすり減らしてしまう気持ちであることがわかりました。

「やるせない」とは、心が晴れない、施す術がない、気持ちに余裕がないという意味があり、心がスッキリしない時に使います。

ですから、当然いたたまれない気持ちは、心に靄がかかった様な気分になり、重くスッキリとしないという意味でやるせない状態といえます。