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経験が人生において何よりも大事だと...(続き8)

一方、経験を経ずに頭だけで覚えた知識は、『身』体を使っていないため『身についた』とは言えません。

頭だけに残る知識と、経験によって頭と身体に残った知識や技能とでは、雲泥の差があります。

経験とは、実際に身体を動かすことで『身につく』知識や技能の積み重ねにより、人間的成長のための『糧』となっていきます。

体験とは

体験には、経験の『経』の意味になっている時間の流れである『すじみち』を含んでいませんので、実際に見たり聞いたり行うことが一過性で終わってしまうものです。

しかも、体験は、初めて見ることや行うことを指すことが多いです。

ですから、経験とは異なり、体験を積み重ねるという考え方はありませんので、人の成長の『糧』になることは少ないと言えます。

趣味の世界で、初めて見ることや行うことは、体験として扱われます。

体験は、一過性で扱われますが、経験は人の成長過程の時間の流れである『すじみち』として扱われます。

体験も経験と同じく、自分で実際に体感するものを意味しますが、体験は『人の成長』とセットで扱われることは少ないです。

ですから、『人生体験』というコトバは日常の生活の中で使われることは殆んどありません。

例えば、体験というコトバは、『雪山でのスキーを初めて体験した』というように、人の成長との関わりの少ない場面で使われます。

自分で実際に経験するそのもの

経験は、日々の生活の中で起きる様々な場面で生じた課題に真摯に向き合い乗り越えることを繰り返す姿を表しています。

『経験』というコトバは、時の流れの中で実際に見たり聞いたり行動することを繰り返すことで、人の成長に繋がるという意味が込められています。

つまり、『経験』は『人の成長』とセットで扱われることが多いため、『人生経験』というコトバが日常的に使われています。

一方、体験も経験と同じく、自分で実際に経験するそのものを意味しますが、『人の成長』とセットで扱われることは少ないです。

ですから、『人生体験』というコトバは日常生活の中で使われることは殆んどありません。

つまり、体験は、人の成長に直接影響を与えない出来事に関する事を実際に体感する場面を指すことが多いと言えます。

例えば、体験というコトバは、『雪山でのスキーを初めて体験した』というように、人の成長とは関わりのない場面で実際に経験したことを表すときに使われます。

その行い自体をさす

経験とは、目の前の出来事を乗り切るために、本人が実際に頭と身体を使い乗り越えていく行動を指します。

経験と言えるためには、頭だけではなく実際に身体も動かして体感する姿が必要となります。

『経』の意味である『すじみち』は、実際に行うことで残る痕跡を含んでいますので、『経』験は、行ない自体を指すと言えます。

人は行動する度に、その記憶が身体に積み重なって残っていきます。

身体に蓄積された『行い』の記憶が経験です。

経験の種類

経験には、日々の生活の中で出会う人や出来事の場面に応じて多様な面をもっています。

経験の中には、人生とって良い経験や良くない経験など様々です。

色々な経験が人生の様々な面に影響を与えていきます。

人は、今まで歩んできた人生の過程で実際に乗り越えてきた場面の数だけ、『頭の中の記憶』と『身体の記憶』として、本人の経験の『データベース』に蓄積されていきます。

頭と身体に積み上げられてきた、『実際に行った』記憶は、人の成長にとって『血となり肉となる』のです。

良い経験を積み上げていくことで、『成功した経験』として蓄積されますし、良くない経験は、『失敗した経験』として蓄積されて残っていきます。

良い経験

日々の生活の中で直面する課題を乗り越えることで積み上げられていく経験の中には、その後の人生にとって大いに役立つ『良い』経験があります。

良い経験を積み上げていくためには、目の前に直面する『壁』から避けるように逃げて安易な道を選択することなく、正面から向き合うことが大切です。

経験の良し悪しは、その人が今まで歩んできた日々の暮らしの中で、目の前の課題にどれだけ真摯に向き合ってきたかの積み重ねの度合いによります。

安易な選択を繰り返してきた人生であれば、良い経験といえる場面は少なく、その後の人生に役立ち活かせる経験は少ないことでしょう。

良い経験は、本人の将来の人生の様々な場面でプラスに働き、人生のステージアップへの『いしずえ』となっていきます。

悪い経験