「まあ、してあげてもいいけど」「というか、むしろしたいけどね」といった感じでしょうか。
「仕方なく・・・」というような、ちょっとネガティブな要素を持たせつつも、それを自分で否定して「むしろやります!」という意味なんですね。
でも、実際は「やぶさかではありません!」=「喜んでします!」というのが本来の意味なんです。
だから本来は、「物惜しみしませんよ」、「ケチりませんよ」、といったニュアンスになりますね。
「物惜しみせずに、喜んで努力します!」って、とても積極的な姿勢を感じさせる表現ですよね。
この「喜んでする!」という意味で「やぶさかではない」と使っている人ももちろんいますが、
文化相が平成25年度に「国語に関する世論調査」によって調べた結果によると、
この意味で使っている人は約34%、逆に「仕方なくする」というちょっと否定的な意味で使っている人は約44%という結果が出ています。
肯定的な意味
「やぶさか」を肯定的な意味として使う場合、「やぶさかになる」「○○をすることにやぶさかだ」というように言うことがあります。
「やぶさかになる」という表現は、形容動詞の「やぶさかだ」の連用形である「やぶさかに」に、動詞の「なる」がついた形ということになります。
「けちになる」「躊躇する」といった意味合いですね。
「○○することにやぶさかだ」という表現も、「○○することに思い切りがわるい」「○○することへの努力を惜しんでいる」という意味です。
漢字も併せて覚えよう!
「やぶさか」という意味がわかったところで、この言葉、どんな感じで書くか知っていますか?
じつは、「吝か」って書くんです。
こんな漢字使ったことない!って方もいると思います。
だって、普段あまり書かない漢字ですよね?
でも、書き方はシンプルですね。
「文」と「口」という二つの漢字が組み合わさったものです。
「吝」という漢字は、音読みで「りん」です。
もともとが「物惜しみする」「けち」といった意味です。
「吝嗇化(りんしょくか)」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これにも「けち」といった意味がありますね。
では、この「吝か」という言葉はどんな由来を持つのでしょうか?
語源
やぶさかは、さかのぼること平安時代の言葉のようです。
本当は「やぶさかる」と使われていて、今と同じような意味をもち「物惜しみする」「けち」というような意味で用いられていました。
物惜しみするという意味を持つ動詞の「やふさがる」とか、ケチであるという意味を持つの形容詞の「やふさし」の同源であると考えられているそうです。
現代では「やふさがる」とか「やふさし」なんて使っていませんよね。
それもそのはずです。
なぜなら、この二つの言葉は鎌倉の中期にはもうすでに使われなくなっていたのです。
しかし、「やふさ」に接尾語の「か」のついた「やふさか」と「やっさか」という語が生まれました。
そのうちの「やっさか」は消えてしまいましたが、「やふさか」は使われ続け、
とき経つうちに「やふさか」の二音節が濁音となり「やぶさか」という言葉になったそうです。
言葉は、時代とともに変わるものですが、それでも平安時代から使われていたなんてすごいですね。
品詞
「吝か」は名詞として使います。
「やぶさか(名詞)~」というような場合、「○○にやぶさかであってはならない」といった感じです。
「やぶさかにしては大々的だ」というような具合です。
もし「~やぶさか(名詞)」というような場合であれば、「褒めるにやぶさか」といった表現などがありますね。