使い方がわからなければ安易に言わないこと
いろいろな場面で使うことのできる表現であるとはいえ、使い方が明確でなければ使うの控えたほうがいいかもしれません。
例えば、「やぶさかではない」という言葉は、「仕方ないからやってもいいよ」というような意味にとらえられることもあります。
「まあ、やってもいいけど」「やりたくないわけでもないけど」みたいな気持ちを表す言葉として使っている人がけっこういるわけです。
でも、本来は「喜んでします!」「物惜しみせずにします!」というような積極的な意味としての言葉なわけですので、
ここで少し微妙な受け取り方の違いというものが生まれるかもしれません。
だから、相手とのコミュニケーションの中でこの言葉を使ったときに、捉えられ方に相違が出なさそうであって、
自分でもはっきりとこの言葉の意味を理解した上であれば使うことができますが、
ちょっと曖昧な語であるゆえに、中途半端な意味のとらえ方で使ってしまうと、相手と気持ちの理解の点で行き違いが生まれてしまうこともあるでしょう。
だから、このシーンで使ってもいいのかな?とか、使い方がいまいちわからん!というときには、安易に使わないほうがいいかもしれませんね。
状況や場面で判断しよう
「やぶさかではない」という表現を使いたいとき、または相手が使ったときに、どういった意味で使われているのかは、状況や場面で判断する必要があります。
例えば、「あなたが起業するなら、私は協力するのにやぶさかではない」と言われたとき、どういった意味でとらえることができるのでしょうか?
「やぶさか」という語には「物惜しみする、ケチ」といった意味があることを思い出してください。
つまり、ケチだから努力する手間も惜しむよ、という意味です。
協力に積極的な姿勢はなく、思い切りの悪さを感じさせます。
ということで、この場合そんな意味を否定しているわけですので、「あなたが企業するなら、わたしも努力や協力を惜しみませんよ。
」という意味として捉えることができるわけです。
ほかの場面で考えてみましょう。
もし、ビジネスシーンにて自社と先方の要求が食い違っているとしましょう。
ここでいろいろな話し合いが行われて結果、先方は「やぶさかではない」という言葉を使ってきたとします。
本来の意味としては「喜んでする」というように受け取ることができるわけなのですが、それでももしかしたら、「仕方なく妥協して協力しますよ」という意味で使っているのかもしれません。
ここが、「やぶさかでない」のむずかしさ。
打消しの「ない」を使っていることや、「やぶさか」という言葉の意味事態が、
気乗りしていないような、躊躇するさまを意味していますので、「努力を惜しまず喜んでする!」という積極的な意味としては受け取れないかもしれません。
相手に伝わらないことがある
つまり、「やぶさかではない」という表現を使っている場合、あるいは相手が使った場合、本心が見えないということがよくあります。
自分が使っている時には、「喜んで、物惜しみせずにします」という、積極的な意味合いで使っているかもしれませんが、
相手がこの言葉の本来の意味を分かっていなかった場合、「まだ未練があるのかな。100%乗り気じゃないな」と思われる場合もあるわけです。
その逆もあり、相手が「やぶさかではない」といった場合に、進んで取り組む姿勢を感じることもあれば、しぶしぶ取り組み姿勢を感じることもあるでしょう。
だから、ちゃんと相手に本心または言葉に込めた真意が伝わっていない、ということがあるわけです。
そのような理由で、最近ではほかのもっと直接的な表現を使う人が増えてきた、というのも事実のようです。
使われなくなると、もっともっとその言葉の意味というものを知っている人が少なくなってしまった誤解されることも増えてしまいます。
だから、はっきりと相手に伝わるように、そして使い方を間違えないようにしながら、
「やぶさか」を用いていくのが、この言葉を後世まで残し、つないでいくうえで大事なことなのではないでしょうか?
わからなかったら素直に聞くのも◎
もし、相手方が「やぶさかではない」という表現を用いて受け答えをしたけど、その真意がいまいちわからない!
ということがあったら、どうしますか?
そのままにしておくと、相手の本当の気持ちや態度やモチベーションというのを誤解したままになって、
その後のコミュニケーションや、もしくはビジネスシーンなどではトラブルなんかも起きてしまうかもしれません。