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謙遜するための10個のテクニック(続き6)

そうすると、実力を持っていながら自分のことを低評価にする、つまりは目の前にいる能力のない自分を褒めてくれた相手のことを一緒に貶すことになってしまうのです。

自分の方が相手よりも能力が高いと分かっているような場合なら、「いえいえ…自分なんて…」というような、ただたん自分に低評価を与えるような謙遜の仕方はやめましょう。

これでは、相手に敬意が伝わるどころか、逆に相手を貶めるような言葉になってしまいますね。

これらの理由から、相手に不快感を与える可能性があるために、謙遜しすぎは逆に不快感を与えてしまうものなのです。

自分の価値も下げてしまう

 あまりに自分の評価が低い人というのは、人から嫌われてしまうものです。

ネガティブな人間と一緒にいるとつまらないからです。

そのため、過剰に謙遜するような言葉、つまりは自分の評価をあからさまに落とすような言葉を使っていると、逆に相手から嫌煙されることとなってしまうのです。

また、謙遜の言葉が謙遜の言葉と受け取られているときにも注意は必要ですね。

「いえいえ…自分なんて…」という使い古された謙遜の言葉で褒め言葉を流すのは、「この人は適当な人間付き合いをしている」ということを露見させることとなります。

謙遜は謙遜でも、スマートに行うことができる人は評価が上がりますが、使い古された文句を使い古されたタイミングで平凡に使う人の評価は上がりません。

もっとスマートに相手の褒め言葉を「ありがとうございます。

でも、上には上がいますから」と笑顔で言えるくらいにならないとだめなのです。

自分の評価を本当に下げてしまうような謙遜は、自分にとっても損になりますね。

使いすぎには注意!

 謙遜の言葉は「いえいえ…自分なんて…」に限らず、使い過ぎないように気をつけましょう。

時には相手の言葉にきちんとお礼を言うことも大切です。

謙遜をし過ぎていると、「謙遜をしている」=「自分の能力をきちんと認めているけれど、社交辞令のためにそう言って評価を上げようとしている人間」というように思われてしまいます。

自分の能力を認めていなければ、わざと自分の能力を低評価にするような言葉など出てくるはずがありません。

謙遜というのは、必ずしも自分の評価が低い人ばかりが行うのではなく、自分の評価が分かっているからこそ、さらに人間性でも良い評価をもらうために行うようなものだとも言えます。

使い過ぎていると、謙遜を使って評価を集めたいだけのやつという認識になってしまう可能性があるので注意が必要ですね。

️謙遜は使いどきや相手を見極めて

 いかがでしたか?謙遜について正しい知識を得ることはできましたでしょうか。

 謙遜は日本社会の中で上手に生きるためには絶対的に必要なものだといえるでしょう。

自分を低評価にして相手に敬意を表明する謙遜は、どれくらいの割合で謙遜すれば良いか分かりにくいために難しいと言われています。

あまりにも謙遜していると嫌味のように取られてしまいますし、だからといって全く謙遜しないようでは日本社会の中では生きにくくなってしまうでしょう。

謙遜は、使っても使わなくても難しいと感じる行為です。

この行為をしっかりと使いこなすためには、どのような謙遜が好かれるのかということについて、きちんと勉強しておいた方が良いでしょう。

謙遜をしなければいけない場面はたくさんあるからです。

一方で、謙遜が全く必要のない文化もありますし、日本社会の中でも友人に対する謙遜と、目上の人に対する謙遜では種類が全く異なってくるでしょう。

しっかりと使い時を見極めておかなければいけないのです。

また、使う相手が誰であるのか、どのような謙遜を使うのが適切なのかということを見極められれば、謙遜のスペシャリストになれますね。

謙遜が上手くても褒められることはありませんが、自分の人生を生きやすいものにしてくれることには違いありません。

謙遜をしっかりと使いこなすことができるように、普段からきちんと周囲を見て謙遜の技術を高めて行ってくださいね。