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反省をするための7個のテクニック(続き3)

1.自分では気付けないことを指摘されることが多い

ですので、客観的に他人に指摘してもらうと、自分では気づけなかったことを指摘されることが多いものです。

そこには、自分では思いもよらなかった現実があるかもしれませんね。

また、ショックな事実を知らされることになるかもしれません。

でも自分が気付けなかった部分にこそ、成長のヒントは隠されているものです。

それに、そういった自分では気づかなかった部分は、実は自分が受け止められず、見たくなくて無意識に避けていた部分だったりもするものです。

そこを自覚せずして…反省も、反省から学びを得ることも出来ませんよね。

反省って、ただでさえ嫌。

それを他人に指摘されるのなんて、もっと嫌なことでしょう。

だけど実際、失敗をしてしまった時、そこに居るのは自分だけじゃないですよね。

周りには人がいて、あなたの失敗を見ているのです。

だからこそ恥ずかしくなるし、落ち込んだりもするんですよね。

つまり、他人にどう思われているか。

自分の失敗を、他人がどう見ているかを知ることも、反省するためには必要な事になってくるのです。

それに、他人の客観的な指摘は、理にかなった指摘になっているはずです。

失敗したこと、その道理をわきまえるには、他人からの指摘は欠かせません。

3.自分を責め過ぎないこと

上手に反省をするためには、「自分を責め過ぎないこと」もテクニックのひとつです。

自分に起きたこと、自分がしてしまった失敗をちゃんと自覚すると、改めて自分のふがいなさを、実感することになるでしょう。

ダメな自分が情けなくて落ち込むし、どうしてこんな失敗をしてしまったんだと、自分を責めてしまいます。

だけど、自分を責めることは反省ではありません。

責めたい気持ちは分かりますが、責めてばかりじゃ次に進めないのです。

もちろん、誰だって失敗すれば落ち込むし、自分を責めます。

でもその気持ちをいつまでも引きずることの無いよう、自分で切り替えていかなければなりません。

それに責めるということは、自分を非難するということですよね。

また、辞書によると責めるとは、“苦しめること・悩ますこと”ともあります。

この自責の念に囚われていて、反省が出来るでしょうか?自分を苦しめ、悩ませるばかりで、現実を受けとめられていません。

責めることはある意味、自傷行為とも言えるのです。

反省すべき時に反省をするのではなく、自分を痛めつけるように責めているということは、現実から逃げているということにもなりますよね。

受け入れられない自分の失敗を感じるよりも、自ら自分を責めることで問題をすり替えてしまうのです。

また、自傷行為を行う理由のひとつには、周囲からの注目を浴びたり、同情を集める目的もあったりします。

失敗した時、みんなの前で、また、迷惑をかけた相手の前で、必要以上に自分を責め立てている場合は、一種のパフォーマンスになっているということです。

自傷行為を行う理由には様々なものがありますが、多くはその痛みによって、何か他の痛みを和らげようとしていたり、直視できない問題への気持ちを、紛らわそうとしていたりすることが考えられます。

何か失敗してしまった時、自分を責めることは、自分の気持ちを落ち着かせるために、一時は必要な行為なのかもしれません。

ですが厳しいことを言えば、責めることは反省するうえで、ほとんど意味がないと言えるのです。

1.反省は次に活かすためのもの
失敗したら、いつまでも自分を責めてはいられません

それがパフォーマンス化してしまえば、周囲の人に対して不誠実な態度にもなってしまいます。

自責が過ぎると、信用さえも失ってしまいかねないのです。

もし、周囲の人の信用を失ったとしたのなら、それは失敗のせいではなく、自分を責めるばかりで反省していないからかもしれません。