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トラウマになりがちな8個の出来事。...(続き2)

その交通事故からトラウマになることというのは、よくテレビなどで聞いたことがあるかもしれません。

交通事故も身の危険を感じるような事態になったときには、当然、トラウマになりうるのです。

自分が事故に遭った場合

上記にて記述したとおり、交通事故というのは日々日常的に起きていることです。

したがって、決して他人ごとでは、ありません。

いつなんどき、自分自身に起きてもおかしくないことなのです。

そして、もし自分が事故にあった場合には、当然けがをすることもあります。

そして、それが重症であればあるほど、記憶に残ることでしょう。

そうしたケースでは、人は似たような場面、たとえば、追突を受けてしまい、重症をおってしまうような事故であった場合、その追突をされてしまった信号待ちの場面や、事故にあった場所に行くとまた同じような事故にあうのではないか、といったようにフラッシュバックをおこしてしまうことがあります。

それがいわゆるトラウマという症状となります。

ひどいときには、運転をしているだけで、または、車をみるだけで、精神的に動揺してしまい、平常心が保てなくなってしまうことがあります。

自分には、なかなか関係ないと思っているあなたは特に、この交通事故の件数が多いこの世の中、このような事態にいつなってもおかしくないことを肝に銘じておきましょう。

人がひかれる瞬間を見た場合

これもおなじように、自分が事故にあったケースと似ているかもしれません。

人が事故にあっている瞬間を見てしまったとき、あなたは忘れたくても忘れられない光景となることでしょう。

決して自分が、けがや死亡したようなことではないので、トラウマにならないと考えるひともいるかもしれません。

しかし、ひとは、自分が実際に危害を加えられていなくとも、同じような境遇の人間を見てしまうと、恐怖、身の危険を感じてしまうものなのです。

それが記憶に残り、その交通事故のあった場所、同じようなシチュエーションに遭遇するとフラッシュバックしてしまうことになります。

つまり、トラウマになってしまうことでしょう。

3.いじめ

いじめは、社会で生きていく集団の中で生きていく以上は必ず、生じてしまうものです。

これは、人間の性質によるものかもしれません。

ひとは、なにかしら上下関係をつくりたがるものです。

自分より下にいるものをつくり、それを見てそれよりもましだと思い糧にして生きてく傾向が誰しもあるものです。

当然そのきっかけは、自分の好き嫌いといった安易なものから生じてしまうことが往々にしてあります。

そんないじめというのは、程度というものはありますが、その程度によっては、かなり個人へトラウマをもたらす結果となってしまうことがあります。

いじめたほうはその後の相手の人生を軽視し過ぎ

上記でも記述したように、はじめはほんのささいな行動で、嫌いになったりすることでいじめというのは、はじまったりします。

人間ですから当然好き嫌いというのはあったりします。

その積み重ねが嫌いなひとへいやがらせをしようという行動へ発展させてしまい、結果的にいじめへとつながること。

これがよくいじめのはじまりといわれる過程になります。

それが些細な行動か、見た目かなどの要因はさまざまです。

しかし、そうやって始めた軽はずみないやがらせが、エスカレートしていじめへと発展したときは、いじめている本人も実はあまり気づいていない場合があります。

さらに、そのいじめられている本人へのその後の人生への影響まで考えることなどないことでしょう。

いじめられている本人は、最初はいじめられている感覚はあまりないことが多いかもしれません。

特にいじめられていると認めたくないところもあると思います。

エスカレートしてきたころには、だんだん精神的に追い詰められていきます。

いじめの特に特徴的なところは、いじめられている人は、逆らえず、いじめているほうが一方的であるということろです。

特に集団でのいじめであれば、いじめられているひとは勝ち目などありません。

ずっと、日々地獄のような日々を過ごしていくことになるのです。