日本語の使い方は難しいです。
普段、何気なく使っている言葉も突き詰めて考えると、本来の意味と全く違った用途で使用していた例も沢山ありそうです。
例えば「一生懸命」と「一所懸命」の違い。
皆さん、きちんと理路明善に説明できるでしょうか?
それでは、今回はこの「一生懸命」と「一所懸命」について詳しくみていきたいと思います。
その意味や類義語から使い方、例文など。
あらゆる角度から「一生懸命」と「一所懸命」を分析していきたいと思います。
一生懸命とは
それではまず「一生懸命」から見てまいりましょう。
日常的に良く使われるこの言葉。
では、実際、辞書で調べたらどのような意味なのでしょうか。
そして正しい使い方はどうなるのでしょうか。
それでは参りましょう。
辞書による意味
一生懸命を辞書で調べてみますと
1 命がけで事にあたること。また、そのさま。
2 引くに引けない切羽詰まった場合、瀬戸際。
(http://dictionary.goo.ne.jp/jn/13339/meaning/m0u/「goo辞書」からの引用)
ちょっと硬い感じですが、大体の意味はつかめた感じはしますね。
要するに命を懸けて何かを成し遂げようとするさまを表現した言葉のようです。
英訳した意味
それでは次に「一生懸命」の英訳版を見てみましょう。
普通に単語で表すと
「hard」「earnest」「solemn」「sincere」
という単語が用いられるようです。
これらの単語の意味、所要する場面において意味合いが変わってきそうですね。
では一つずつ、意味をみてみますと
Hard=堅い、重労働、すてきな、素晴らしい、難しい、骨の折れる、厳しい、勤勉などとなっています。
「hard」の意味の広さは受験における泣き所かもしれませんね。
使われ方によって意味がコロッと変わりますので。
Earnest=まじめな、真剣な、一生懸命な、本気の、熱心な、となります。
この時点では「一生懸命」に最も近い意味を持った単語のようです。
Solemn=厳粛な、まじめな、重々しい、厳かな、偽りのない、となっています。
ちょっとニュアンス的に違ってきているような気もします。
Sincere=偽りのない、率直な、誠実な、まじめな、真摯な、という意味です。
これも単語だけでみたらちょっとかけ離れているような感じです。
次に英訳した例文をみてみましょう。
英訳した例文
Try as hard as one can (一生懸命やる)
Be determined to do / be intent on doing (…に一生懸命になっている)
Work hard / work as hard as one can (一生懸命に働く)
という感じです。
ううん、こんな簡単な言葉のはずなのに英文の文法が結構、シビアに迫ってきている感じですね。
この時点で早々と英語の授業についていけないムードが漂ってきました。
言葉の使用状況の違いにおいて、使われる単語が根本的に変わってきています。
これが日本語を英訳するややこしさなのでしょう。
まあ、日本において英会話をマスターしている人はまだまだ少ないので、英語での意味の追求はこれくらいで勘弁してくださいね。
一生懸命の類義語
では次に「一生懸命」と意味は同じでも書き方や読み方が違う類義語を紹介していきますね。
「仕事熱心」「勉強熱心」「熱心」「ひたむき」「専心」「力一杯」「一意専心」「一心一意」「一心不乱」「鋭意」「専念」「精一杯」「精進」「誠心誠意」など。
(一部weblio類語辞典から引用http://thesaurus.weblio.jp/content/%E4%B8%80%E7%94%9F%E6%87%B8%E5%91%BD)
取りあえずこれくらいでいいのではんばいでしょうか?
とにかく汗を流してひたむきに取り組んでいる様を表している様子が伺えそうな感じはどの言葉からもしてきますよね。
ただ、日常的にはあまり使われない言葉も結構あります。
「一意専心」だとか「一心一意」などは相撲の伝達式の口上のような感じでかしこまり過ぎているような意味合いに取れますよね。
「精一杯」だとか「鋭意」くらいなら日常において結構使われているのではないでしょうか?
「一生懸命~する」と「がんばって~する」の違い
では「一生懸命~する」と言う場合と「がんばって~する」の違いを見てみたいと思います(何か国語の授業のようになってきました)。
まず「一生懸命」の方は、その様態のみを言い表しているのに対して「がんばって」は態様そのものよりもそこに引っ付いてくる付加価値の部分の方に重きをおいているようですね。
例を出してみます。
「勉強する」という言葉に一生懸命をつけてみると、ただ単に一生懸命、勉強しているという好意のみを言い表しているようです、
一方の「がんばって」の方。
何故、勉強しているのか、何か目的があって勉強しているのか?というおまけの付加価値が備わってきます。
だから、「がんばって~」で始まる文章は、勉強している様子については大きく問われていないようですね。
いやあ、日本語って、本当に難しい言語ですねえ。
一生懸命の使い方
では、一生懸命という言葉の実際の使い方をみていきましょう。
まあ、日頃、よく使っている言葉ですからあまり気負わずに自然に考えればいいじゃんないかと思いますよ。
一生懸命を使った例文
一生懸命を使った例文を挙げていきます。
「私は別れた彼女との復縁に一生懸命だった」
「明日中に仕上げなければならないこの仕事。今日中に徹夜をしてでも仕上げなければならないので一生懸命だった」
「今度のテストで100点取ればお母さんから何でも好きなものを買ってもらえるので、一生懸命、勉強した」
「8勝7敗で今場所、勝ち起こしたお相撲さんのコメント、{毎日、一生懸命に稽古したおかげです}」などなど。
大体、こんな感じでいいのではないでしょうか?
特に難しく考えてしまうと使用すること事態が不自然になってしまうかも分かりませんので、肩の力を抜いて自然体で使用しましょうね。
一所懸命とは
それでは次に一所懸命についてです。
「一生懸命」と「一所懸命」。
一体どちらが正しいのでしょうか?じっくりと見ていきましょうね。
辞書による意味
では、辞書による意味を紹介いたします。
1 中世、一か所の領地を命をかけて生活の頼みにすること。また、その領地。
2 命がけで物事をすること。またそのさま。必死。一生懸命。
(以上、goo国語辞書よりhttp://dictionary.goo.ne.jp/jn/13350/meaning/m0u/)
1 贈った一か所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること。またその領地。
2 物事を命がけですること。必死。一生懸命。
以上、広辞苑より
となっています。
どちらも大きな意味的でみたら「一生懸命」とよく似ています。
違うのは命を懸けるよりどころが領地であるかないか、という事でしょうか。
こうやってみると、この言葉は先人たちの支配階級と支配されていた階級とが出来上がってきた時代に遡って出来上がったようなイメージを受けますね。
そして領地という言葉を使用しているところを見ると、世に武士が出現し始めた時代がこの言葉が誕生してきたヒントになっているかも分かりません。
恐らく鎌倉時代あたりからでしょうか?
下級武士が領地を賜ってそれを生活の糧にすべく必死になって守ってきた経緯が生まれたのは。
そして戦国時代に入り、武力に勝るものがより多くの領地を得んとするがため、隣国の領地を次から次へと奪い合い始めます。
まさに生活の糧なる領地を守るため、領民たちは命懸けの戦いを行ってきました。
どうやら一所懸命の意味はこのあたりにあるのかもしれませんね。
一所懸命の類義語
では次に「一所懸命」の類義語です。
大きく二つの意味に分類されます。
一つ目が、真摯な気持ちで仕事や勉強などに臨むことを表しています。
その類義語に当たるのが、
「仕事熱心」「勉強熱心」「熱心」「一生懸命」「懸命」「ひたむき」「一所懸命」「専心」「力一杯」「一意専心」「一心一意」「一心不乱」「鋭意」「専念」「精一杯」「誠心誠意」などです。
二つ目の意味は、一つの事のみを目指して突き進むさまを表していて、その類義語は、
「ひたむき」「ひたすら」「遮二無二」「夢中で」「一途に」「がむしゃらに」「猪突猛進に」「一辺倒で」「一直線に」「わき目もふらずに」など。
こうやってみますと、「一所懸命」での言葉の使われ方の方が現代の私たちに馴染みの深い言葉がたくさんあることに気が付かされますね。
「ひたむき」「遮二無二」「がむしゃらに」「一心不乱に」などは私たちが受験勉強の時や、
会社に入ってから新しい仕事を覚えていくときの気持ちに共通するものを感じさせますよね。
そういう意味で考えると「一所懸命」の方が私たちの日常生活により近い存在だと言えるのでしょうか。
英訳した意味
では、「一所懸命」の英訳をご紹介致します。
まずざっと並べていきますね。
Very hard, with utmost effort, with all one`s might, desperately, frantically, for dear life, all-out effort,
などなど。
次に例文をご紹介いたします。
英訳した例文
・一所懸命、働く
He works with might and main
・私は子供が一所懸命に頑張る姿が好き
I like to see trying their very hardest
(以上weblio英和・和英辞典より引用
http://ejje.weblio.jp/content/%E4%B8%80%E6%89%80%E6%87%B8%E5%91%BD)
以上、「一所懸命」を使った例文を紹介致しました。
基本は「hard」がよく使われる事が分かりますね。
しかし、いつものことながら日本語も満足に使えない私が英語まで熟知しようと思ったら、気の遠くなるような時間が必要だな、というのが実感です。
語源、由来
一所懸命」の語源・由来についてみていきましょう。
一所懸命の語源・由来はそう難しい解釈ではありません。
中世の頃の武士たちが先祖より受け継いだ先祖代々の土地を、それこそ命を懸けて守り、時には戦にまで発展させながらも命懸けで守り通す。
この行いを総じて「一所懸命」と呼ぶようになったのが、今のところの通説となっているようですね。
後々、近世に入ってきて「一所」という呼び方が似ていることから「いっしょう」となっていき
漢字の方もイメージ的に違和感のない「一生」と言う字の方が間違われながらも広く大衆に浸透していった、と言うところのようです。
「一所懸命」の語源と由来。
なるほど、という感じですね。
そもそも、ご先祖様の代から脈々と受け継がれてきた領地を命懸けで守るところから「一所懸命」という言葉になったのですね。
戦国時代になって各地の土地は力の強い戦国大名によって召し取られていきました。
戦国時代はまさしく敵の領地を奪い取って自らの勢力を拡大することに明け暮れた時代です。
今、自分が持っている領地も、いつ隣国に襲われて奪い取られるか、誰にも保障のできなかった時代なのです。
生きるための活路として、なくてはならなかった「土地」。
米を生産するより明日を生きていく保証がない時代ですからね。
命を懸けてまで戦わなければならなかった物凄さが「一所懸命」の中に息づいている、という事なのでしょう。
本来の意味
語源の由来で見てきた通り、「一所懸命」の本来の意味は、先祖から受け継いできた領地を、命を懸けて守るところからきています。
現代のように「命懸けで何かをすること」という解釈とは違っていたという事になります。
ただ、時代も変わり世の中が平穏無事になってくれば、その言葉が本来持っていた意味合いも徐々に変化してきてしまうのも止むを得ないかも分かりません。
第一、「一所」も聞く人によれば「いっしょう」とも聞こえるでしょう。
日本語は当て字も多いですから「一所」がいつしか「一生」という字に入れ替わっていったとしても、誰も不思議には思わなかったのでしょうね。
江戸時代になれば土地は幕府によって厳しく取り締まられていましたから、もう命を懸けてまで領地を守るという行いも必要なくなってしまいましたからね。
「所を得る」とは
所(ところ)を得(え)る、とは良い地位や境遇を得る。
あるいは適した職を得て力を発揮する、という意味です。
またその人に相応しい仕事や地位に就く、という意味にもとれます。
一所懸命の「一所」もその当時の習わしで考えれば、かけがえのない生活の糧を供出してくれ、その人に財や名誉を与えてくれたものという意味にも解釈できます。
その領地が大きいかどうかで一族の勢力が決まった時代です。
「所」を得ることは自分たちの地位や境遇を左右する超重要なものだったことは疑いようのない事だったのですね。
「一所」とは
一所とは、言葉の通り「一つの場所」という意味です。
その場所とは、勿論領地の事になります。
中世の武士たちは自らが保有する土地を後生大事に子孫たちのために残してきました。
よって領地に定住し、そこから得られる自然の恵みに対して多いなる感謝の気持ちを込めてその土地の開拓に精進してきたのです。
よって領地を離れ、一族からも縁を切るような生活は当時としてはあり得なかった、という事になるのです。
貨幣もまだまだ普及していない時代ですからね。
自給自足でしか生きられなかったことを意味していますね。
一所懸命の使い方
一所懸命と言う言葉を使うには、何に気をつけて使っていけばいいのでしょうか?
それともそんなに意識せずに使っていけばいいのでしょうか?
この質問に対する答えはさほど難解なものではありません。
要は「命を懸けて必死な思いで事に当たった」という旨が分かるような文章ならば概ね、正解だからです。
確かに本来のこの言葉の意味は、別のところにありました。
先祖代々の領地を、命懸けで守る、というのがその意味です。
しかし、今の時代に、例えば農業を生業にされている方が、よそからの侵入者を常に警戒しながら農業を行っているというような事例はあるでしょうか?
さすが、今の日本においてそのような行いはありませんよね。
よって、使い方はごく一般的に使われる「~を一所懸命に行う」的な口調でいいのです。
では、いくつかの例文をご紹介致します。
一所懸命を使った例文
「志望校に合格するために一所懸命、勉強した」
「いい給料の会社に内定をもらうため、面接のシュミレーションを一所懸命に行った」
「ダンスのコンテストで優勝するために一所懸命、練習した」
などです。
いずれの場合も、何かの目的を達成しようと努力を行う様子がみえますね。
一所懸命さをアピールするものは自分が行っていることが、何の努力も必要としない簡単な事では使っても似合わない事に気付くべきでしょうね。
普段以上の気合を入れたり、猛訓練をこなして初めて手に入れられるくらいの難しい目標に対して、
一所懸命という言い方を使えるのです。
適当に手を抜いたのがあからさまな行動に対して、自分は一所懸命頑張りました、なんて言おうものなら、
あなたの一所懸命はその程度ですか?という切り返しをもらってしまうでしょう。
「懸命」の意味
それでは次に「懸命」について考えてみましょう。
懸命、書いて字のごとく、「命を懸ける」という意味になってきます。
つまり、自分の持っている能力や力を出し惜しみすることなく、ここで自分の一生が終わってもいい、と思うくらいの全力でもって、事に当たっていく様を表しているのです。
だから、懸命と言う言葉を使うからには、もう自分には後がない、引退覚悟、くらいの切羽詰まった気持ちがないととてもその言葉に見合った行動とは取られないでしょう。
では、懸命を使った例文を見ていきましょうね。
懸命を使った例文
「この試合に負けたくないので、腕もちぎれよと懸命に投げました。」
「懸命の追い上げも及ばず、あと一歩のところで2着になる。」
「志望校に合格するため、連日に渡って懸命の勉強が続きました。」
「救急隊員の懸命の救助が功を奏し、見事に助ける事ができた。」
どうでしょうか?簡単な例文ながら、懸命の意味合いは伝わってきたのでないでしょうか?
懸命は文字通り、その人が行っている行為、行動がもうこの機会を逃したら二度とチャンスはない、
と思われるような切羽詰まったシーンや気持ちがあふれています。
懸命にはそれくらい、その人の必死さやこのワンチャンスに懸けようとするその人の熱い思いが溢れているのです。
よって、懸命と言う言葉を使うような機会は、人生においてそうそうやってくるようなものではありません。
だからこそ、今までにないような一生一代の大仕事をやり遂げる事も可能になってくるのでしょう。
懸命を使った慣用句
慣用句とは二つ以上の語を使って一つの意味を成す言葉の事です。
「道草をくう」だとか「馬の耳に念仏」などがそれに当てはまります。
では懸命を使った慣用句とは、一体、何になるのでしょう。
それは
「懸命の地」という言葉です。
懸命の地、つまり中世の武士たちが先祖から代々伝わってきた自分たちの領地をあらゆる外敵や侵攻勢力から守るべく、戦い抜いた対象となる地のことです。
現代において「懸命の地」という言葉、あまり耳にしませんよね。
それよりも「一所懸命」の方がもっとポピュラーな存在として私たちに認知されていますよね。
ただ、言葉の語源にはそれを実証するのに十分すぎるくらいの長く大きな時間のうねりがありました。
法も秩序もなかった時代に領地を守るには、命を懸けてでも行う、という当時の緊迫したムードが漂ってきます。
一生懸命と一所懸命の違い
それではここで一生懸命と一所懸命の違いについて考えていくことに致しましょう。
語源的には一所懸命が先にできた言葉であり、一生懸命と混同されながらも、今の時代において日常で使われる一所懸命。
さて、ではどっちが正しくて間違っているのでしょうか。
それとも両者は全く同じ意味合いを持った世にも珍しい共存した言葉なのでしょうか。
じっくりと見ていきましょう。
もともとは「一所懸命」
時代的に考えましたら「一所懸命」の方が先に世に表れた言葉だというのはもうお分かり頂けることではないかと思います。
元々の言葉の語源は、領地を与えられていた中世の武士たちが、命を繋ぐ貴重な糧を奪われまいと命を懸けて守り通してきたところから出た言葉です。
「一所」が領地。
「懸命」が命懸けで、という意味ですね。
それが時代の変遷とともに領地に対する価値観が変わってくることとなり、
言葉自体の読み方の誤りなどによっていつしか「一所」が「一生」という読み方に変化してきてしまいました。
200年以上続いた江戸時代を経て明治の世になる頃には、領地を巡る争いというのはほぼ消滅します。
同時に人が命懸けで行う事も様変わりしてきました。
芸能の出現や近世に入ってからのビジネスの出現は、命を懸けてまで行うモノに多様性を帯びる事になってきました。
つまり、もはや領地だけに対して、生きていく上で命懸けで行う必要性がなくなり、
変わって資本主義の世界における「仕事」を通しての夢や願望の実現という世界観に変わっていくのです。
どちらも正しい
そして今現在での見方を見ていきましょう。
「一所懸命」と「一生懸命」。
さてどちらを使うのが正しい日本語となっているのでしょうか?
正解は「どちらでもいい」です。
今現在の日本においては「一所懸命」でも「一生懸命」でも特に構わないようなのです。
試験においても、どちらが正解でどちらが不正解と言う明確な線引きは行われていません。
まあ、考えてみたら、今の時代において「一所」の由縁である「領地」なるものを所有する部族なるものが存在していません。
変わって私たちを命懸けにしている物は勉強であり仕事であり、恋愛ではないでしょうか(最も、どれも命を懸ける対象ではない、とうそぶく人もいますがね)。
そういう意味では、「一生懸命」という文字の方が使用する機会が、どちらかと言えば多いのかもしれませんね。
いずれにしても「一所懸命」でも「一生懸命」でも間違いではありません。
どちらの言葉も同じような感覚で使う事ができます。
一生懸命は分散型
使用場面で考えてみますと「一生懸命」の方は比較的、広範囲のジャンルに使用できる言葉であると言えそうです。
それも特定の枠に収めず、どのようなシーン、カテゴリーにもうまく適合するように思えますね。
特に頻繁に用いられそうなのが勉強、仕事、スポーツなどの成果を求められる分野です。
そしてそれらは特定の期間中などといった感じでもありません。
その人の努力の及ぶ範囲であればいつでも、いつまででも有効期間は続きます。
またやっている事も一つだけに留まりません。
いろんなことを複合的に合わせながらやっている事全てに対して当てはまってきそうです。
一生懸命はどんな事柄にも対応できる柔軟性のある言葉といえそうなのです。
一所懸命は集中型
一方の一所懸命。
こちらも現代においては使われる上での意味に、一生懸命と較べても大きな違いはありません。
どちらを使っても行っている人の努力の跡が分かってくる言葉です。
一所懸命の使い方で、強いて場面を選ぶとしたら、ある特定の期間内であったりとか、
ある特定の分野内の出来事のような少々、限定した使い方が似合っているかも分かりません。
これは「一所」という言葉の語源と由来からそのような意識付けが起こっているのかも知れませんね。
例えば、小学校の時のテストの頑張りについては、実行する時というのは小学校に通う6年間のみになります。
そしてそれはあくまで生徒側の発想になります。
小学校のテストのための勉強は6年間のみ。
それ以上はないのですから、一所懸命という言い方であっても不自然ではないのではないでしょうか。
しかし、小学校に勤める教師となると話は違ってきます。
転勤や異動があるとはいえ、教師は定年退職する日まで小学校という職場で勤め続けます。
このように範囲が広くなるのなら「一生懸命」という言い方の方を選んでもいいのではないでしょうか?
どちらにしても解釈上、そんなに大きな違和感は感じません。
本人の選ぶがままでもいいような感じですね。
「一生懸命」が主流になった理由
一生懸命が主流になったということは、それまでは「一所懸命」の方が主流だったということです。
いえ、もともと一生懸命という言葉はその時点では存在していませんでした。
命懸けで行動をするときに例える言葉は「一所懸命」だったのです。
では、どうして現代においては「一生懸命」の方が主流となったのか?
考えてゆきますに、やはり「一所」という言葉の由縁となっている「領地」についての歴史をみなければならないでしょう。
領地を取り合い争っていた時代は戦国時代まで。
豊臣秀吉によって天下統一された日本は太閤検地によって土地の区分けが隅々まで正確に行われます。
そして領地の権限は秀吉の元から徳川幕府へと移行します。
つまり幕府によって各藩に細かく領地が分け与えられる事になった時点で領地を巡る争い事は終結したのです。
そこからの長い江戸時代。
この時に「士農工商」という身分が生まれ、領主から土地を分け与えられていた農民は年貢米の生産に一生の大半を費やします。
同時に江戸の町文化は様々な芸能文化や貨幣の発達による商工業が栄えました。
そう、生活の糧が働いてお金をもらい、それを使って生計を立てる、という時代に変わっていったのです。
こうなれば、命懸けで守っていかなければならないのは、先祖からの領地ではなく、毎日食べるものを獲得するための「お金」です。
それを稼ぐために人は一生を捧げる事になってきたのです。
こういう経路を見ただけでも、懸命の上につく言葉が一所から一生になるのも極めて自然な道理であるという事が言えると思いませんか?
現代では新聞社も放送網も「一生懸命」に統一している
現代(2017年3月現在)においては新聞社も放送網も「一生懸命」という言葉の方に統一されてきています。
まあ、これも致し方ない状況ゆえの現実かも知れませんね。
ハッキリ言って「一所懸命」と「一生懸命」の違いを予備知識なしでパッと理解できる人は、果たしてどれくらいいるでしょうか?
そのことについて理解があるのであれば「一生」でも「一所」でもどちらが使われていても違和感は感じないことでしょう。
しかし、新聞紙上でもテレビのニュース上でも「一生懸命」という表記の方に確かに統一されてきている今となっては、
「一所懸命」という表記が出てきたら戸惑う人たちも出てくるかも分かりません。
そういった意味で考えれば「一生懸命」で統一されていくのも止むを得ないことなのかも分かりませんね。
一生懸命も一所懸命もどちらも使い方は同じ!柔軟に使い分けよう
如何だったでしょうか?「一生懸命」と「一所懸命」の違いや由来、使い方、どちらが正しいのかなどを詳細にみてまいりました。
漢字も日本語も時代の変遷とともにどんどん変化してきているのは皆さんもご承知の事でしょう。
時代劇でよく出てくるセリフなども、現代ではほとんど使われなくなった言葉は無数にあります。
例えば自らの事を指す言葉で「拙者」や「それがし」。
相手の事を言う言葉で「そなた」や「~殿」という言い方。
全て時代の移り変わりと共に消えていってしまいました。
今の時代にあっても「ナウい」とか「新人類」などの言葉は既に「死語」という扱いを受けている在り様です。
そういう意味で思えば「一所懸命」と「一生懸命」の両方が、この時代になっても廃れることなく平行して使われ続けてきたことは奇跡的な事ではないでしょうか?
やはり人々の生活において必要な言葉や文化というのは滅びることなく生き続けるということが実感できる感じがしますよね。