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一生懸命と一所懸命の違いとは?意味...(続き7)

一生懸命はどんな事柄にも対応できる柔軟性のある言葉といえそうなのです。

一所懸命は集中型

一方の一所懸命。

こちらも現代においては使われる上での意味に、一生懸命と較べても大きな違いはありません。

どちらを使っても行っている人の努力の跡が分かってくる言葉です。

一所懸命の使い方で、強いて場面を選ぶとしたら、ある特定の期間内であったりとか、ある特定の分野内の出来事のような少々、限定した使い方が似合っているかも分かりません。

これは「一所」という言葉の語源と由来からそのような意識付けが起こっているのかも知れませんね。

例えば、小学校の時のテストの頑張りについては、実行する時というのは小学校に通う6年間のみになります。

そしてそれはあくまで生徒側の発想になります。

小学校のテストのための勉強は6年間のみ。

それ以上はないのですから、一所懸命という言い方であっても不自然ではないのではないでしょうか。

しかし、小学校に勤める教師となると話は違ってきます。

転勤や異動があるとはいえ、教師は定年退職する日まで小学校という職場で勤め続けます。

このように範囲が広くなるのなら「一生懸命」という言い方の方を選んでもいいのではないでしょうか?

どちらにしても解釈上、そんなに大きな違和感は感じません。

本人の選ぶがままでもいいような感じですね。

「一生懸命」が主流になった理由

一生懸命が主流になったということは、それまでは「一所懸命」の方が主流だったということです。

もともと一生懸命という言葉はその時点では存在していませんでした。

命懸けで行動をするときに例える言葉は「一所懸命」だったのです。

では、どうして現代においては「一生懸命」の方が主流となったのか?

やはり「一所」という言葉の由縁となっている「領地」についての歴史をみなければならないでしょう。

領地を取り合い争っていた時代は戦国時代まで。

豊臣秀吉によって天下統一された日本は太閤検地によって土地の区分けが隅々まで正確に行われます。

そして領地の権限は秀吉の元から徳川幕府へと移行します。

つまり幕府によって各藩に細かく領地が分け与えられる事になった時点で領地を巡る争い事は終結したのです。

そこからの長い江戸時代。

この時に「士農工商」という身分が生まれ、領主から土地を分け与えられていた農民は年貢米の生産に一生の大半を費やします。

同時に江戸の町文化は様々な芸能文化や貨幣の発達による商工業が栄えました。

そう、生活の糧が働いてお金をもらい、それを使って生計を立てる、という時代に変わっていったのです。

こうなれば、命懸けで守っていかなければならないのは、先祖からの領地ではなく、毎日食べるものを獲得するための「お金」です。

それを稼ぐために人は一生を捧げる事になってきたのです。

こういう経路を見ただけでも、懸命の上につく言葉が一所から一生になるのも極めて自然な道理であるという事が言えると思いませんか?

現代では新聞社も放送網も「一生懸命」に統一している

現代においては新聞社も放送網も「一生懸命」という言葉の方に統一されてきています。

これも致し方ない状況ゆえの現実かも知れませんね。

ハッキリ言って「一所懸命」と「一生懸命」の違いを予備知識なしでパッと理解できる人は、果たしてどれくらいいるでしょうか?

そのことについて理解があるのであれば「一生」でも「一所」でもどちらが使われていても違和感は感じないことでしょう。

しかし、新聞紙上でもテレビのニュース上でも「一生懸命」という表記の方に確かに統一されてきている今となっては、「一所懸命」という表記が出てきたら戸惑う人たちも出てくるかも分かりません。

そういった意味で考えれば「一生懸命」で統一されていくのも止むを得ないことなのかも分かりませんね。