『provoking(プロボキング)』が誘発する、引き起こす、挑発するなどの意味で、笑顔を誘う、という意味になるんですね。
これが一番、一般的な日本語の意味である『微笑ましい』に近いかもしれません。
使い方
微笑ましい気分になったとき、微笑ましいものに対して、微笑ましい光景を見て、などの状況のときに使われる言葉です。
具体的な例をご紹介してみましょう。
例1
かわいい犬とかわいい赤ちゃん。
生まれたときから一緒に過ごしてきたふたりは、まるで兄弟のように仲良し。
ひとつのおもちゃでふたりで仲良く遊んでいる様子を見ていると、あまりの可愛さに思わず顔がほころんでしまいますよね。
こんなとき、『微笑ましい光景を見た』、『微笑ましい気持ちになった』という感じで使います。
例2
電車に乗っている高校生。
乗ってきたおばあちゃんに席を譲ります。
偉いな、見習わなきゃな、という光景ですね。
これだけでも微笑ましいなと感じるでしょう。
おばあちゃんが「そのカバンかわいいわね。
どういうお店で買うの?」なんて聞いてきて会話になっていて、高校生があれこれおすすめのお店を教えていたら、思わず聞いてしまうし微笑ましく思うことでしょう。
例3
小さな男の子。
まだ赤ちゃんの弟が同じお部屋でお昼寝中。
手足を動かして、肌掛けがずれてしまいました。
それに気がついた男の子、近くへ行ってかけなおしてあげます。
まだ歩くのがやっとの男の子なので器用にぱぱっとかけなおすことはできません。
慎重に肌掛けのはしっこを掴んでひっぱりあげます。
きちんとはかからずちょっとずれてしまっているのもご愛嬌。
弟思いのおにいちゃんの気遣いが微笑ましいシーンです。
微笑ましい時の気持ち
微笑ましいな、とあなたが思う時、あなたはどんな気持ちでいるでしょうか。
ほっこり
微笑ましいというとき、あなたはほっこりしていた気持ちになっているかもしれません。
ところで『ほっこり』という言葉、聞いたことがあるでしょうか。
辞書に載っている意味合いとしては、ほかほかしている、ふくよか、つややか、などになります。
『東海道中膝栗毛』では、ふかし芋を売るときに「ほっこりほっこり」と言っている描写があります。
「元は京ことばじゃなかったっけ?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。
京都弁の「ほっこり」は『ほ』にアクセントがつき、意味は何かを成し遂げて疲れた、という意味。
ただ疲れたときは『しんどい』ですが、ほっこりの場合は達成感があるニュアンスです。
身体が疲れたというときも、精神的に疲れたときに使われる言葉です。
「ほっこりしたからおやつ食べよう」だと、頑張ったから(ご褒美に)おやつを食べようという意味合いになります。
この「ほっこりしたから休憩しよう」が、テレビCMなどで使われるうちに「休憩してほっこり」に意味が転じてしまい、「京町家でほっこり」「温泉でほっこり」なんていうキャッチコピーが使われることもあります。
しかし、京都の地元の人にとっては、「???」となってしまうコピーなんです。