お互いが違う仕事をもって、違う友人と、違う趣味があるのに、お互いが離れられない関係で、空気のようで、居心地が良くて、でもかっこつけてなくて、どこか温かい、そんな二人の関係って素敵で憧れてしまいます。
一心同体
一心同体、確かに表裏一体と似ている言葉ですが、一心という意味は心も体も同じ、心も体も1つという意味なので、表と裏のある表裏一体とは少し違う意味になります。
一心同体の夫婦というと、夫も妻も趣味がマラソン・山登りとかで、それ以外にも食べ物も、行動も、好きな食べ物まで同じ夫婦のことを差し、「彼らは一心同体だね」なんて言ええるのかもしれません。
そんな夫婦が存在するのか!?と思う人もいるかもしれませんが、時々、こういう夫婦がいたりするもんなんですよね。
こういう夫婦に限って仲が良いのは羨ましいところなのですが、趣味に没頭する姿勢がストイック過ぎて、思わず引いてしまう程の方もいらっしゃいます(笑)
例えば、夫婦で戦隊ものが大好きだったりすると、「一緒にキャンプに行こう」と誘われて行ってみれば、夫婦揃ってお揃いかつ全身アーミー柄の洋服で登場、なんてことをされてしまったり、
夫婦揃ってあまりにグルメ過ぎて、一緒に食事に行っても、あれを先に食べて、その後にそれを食べないとだめだとか、あの食事にはこのお酒しか合わないだろう!
なんて、いちいちストイック過ぎる姿勢が面倒くさかったりするのです。
一対
一対という言葉で思い出す人達といえば、ダウンタウンの松本人志さんと浜田雅功さんです。
小学生の頃から50歳をゆうに過ぎた今でも大の仲良しで、お互い違うタイプの人間ながら、それぞれを尊敬し、「お互いが先に死なれては困る」なんていい会える程の存在だと認め合えるのですから、羨ましい関係ですよね。
普通は一対と言ったら、兄弟姉妹とか、夫婦がそれに当てはまるものだと思いますが、ダウンタウンは男性同士、兄弟でも、夫婦でもないのに、一対になれた。
これって人生で得難い、本当に大切なもの、こういうものを手にできることが何よりの幸せなのかもしれません。
影のような
「影のような」という言葉は確かに表裏一体と似ていますが、「影のような存在」は本人からしたらとても悲しい言い回しになってしまうことがあります。
例えば、いつも二人仲の良い女子高生がいるとします。
1人は可愛くて、男子高生や大学生からもモテモテ、もう1人は性格は良いけれど見た目は中の下くらい程度しかありません。
この2人は同じアルバイトをしているとします。
2人はいつも仲良く2人一緒に出掛けます。
ショッピングに合コン、映画にカラオケ、なんでもかんでも、どこへ行くのも二人は一緒です。
見た目が良くない彼女の方はそんな状況にただ単純に「私たちは本当に仲が良いんだ!」と思って過ごしています。
そんなある日ふと、アルバイト先のおじさんから「お前たちはいつも仲が良くて2人で1つみたいだな。
まるで金魚と金魚の糞みたいだ!(笑)」といわれてしまうのです。
するとおじさんは悪気なく言葉を続け「金魚はどっちで糞はどっちかな?(笑)そうか、お前(可愛くない方)が糞なんだろ!そうだろ!?」と笑って冗談を言ってきたのです。
可愛くない方の彼女はこの言葉を言われてとても傷つきました。
「私は糞だと思われてしまっているんだ」と。
金魚と金魚の糞、糞になってしまった方はまるで影武者です。
金魚が行きたい方、泳ぎたい方についていくだけならまだしも、姿は金魚ではなく「糞」になってしまうのです。
どうしてそのおじさんは、どちらが金魚で、どちらが糞なのかを決めることができたのでしょうか。
おじさんが決めた理由は多分、彼女たちの見た目です。
可愛い方が金魚で、可愛くない方は糞と決めつけてしまったのです。
「そんなのひどすぎる」この話を聞いた時、私はそう思いました。
私だったら、せめて可愛い方を糞にする・・・なんてことも考えてしまいました。
でも、人生って、多くの人がそういう結論を出すものなんですよね。
可愛いもの、例えば乃木坂46の白石麻衣さんは金魚、元AKB48の高橋みなみさんのような人は、白石麻衣さんの前ではどうしても金魚になることができないのです。
人を中身で判断するという人は多いけれど、やっぱり見た目の影響は計り知れないものがあるはずです。
白石麻衣さんと高橋みなみさんを目の前にすれば、多くの男性が白石麻衣さんを姫だと決めつけるはずです。
でも、この「金魚と糞事件」と、表裏一体なのが、「人生の結末」です。
高橋みなみさんのような人は金魚と糞で分けると、白石麻衣さんのような人が相手になれば金魚にはなれないかもしれません。