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垣間見るとはどういう意味?よくある...(続き2)

ただ、「かいまみる」を使用している人に、「かきまみる」と使用しても違和感がありません。

それぐらい、両方とも一般的な表現になっているのです。

かきまみる

「垣の間除くように見る」から派生した言葉です。

「垣」という言葉事態が石垣など、家を守るような感じのものなので、そこから除くような感じなので、こそこそのぞいていると思われてそのように表現してきました。

垣の間から覗くので、ある意味、怖いですし、スパイだと疑われてしまうような感じの言葉になっています。

「かき」と言いようが、「かい」と言いようが、特に問題はありません。

おそらくこの違いが出たのは「垣」という言葉で、石垣などと言った感じの言葉に強く影響を受けた人は「かきまみる」と言っていて、「垣間」という言葉に強く影響を受けた人は「かいまみる」と言っているような感じがあります。

なので、どちらを使用しても問題はありませんので、ぜひ、張り切って使用しましょう。

垣間見るの語源

普段は何気なく「垣間見る」という言葉を使っていますが、よくよく考えてみると何故このような言葉が生まれたのか気になりませんか?

実は「垣間見る」の語源はかなり昔にさかのぼり、しかも私達が歴史の授業で必ず習う「源氏物語」にあったのです。

平安時代

現代とは全く違い、平安時代は女性が人前に顔を出す機会がほとんどありませんでした。

恋愛をするきっかけは知人や乳母、女中から紹介をしてもらう場合がほとんどでしたが、たまに通りがかった家の中をちらっと覗いた時に素敵な女性をみつけて恋に落ちてしまうこともありました。

そのように意中の女性を垣根に隠れながら覗き見することがまさに「垣間見る」です。

平安貴族の男性の気持ち

当時は高貴で美しい女性ほど外には出ないという噂があり、誰かから「あそこの家にいる女性はとてもきれいだ」という話を聞くと男性たちは気になってその女性の家に行き「垣間見る」という行動に出ました。

それしか方法がなかったとはいえ、現代の恋愛に比べれば健全そのものですが、中には「ストーカー的で怖い」という印象を持つ女性もいるようです。

好きな女性ができたら、垣間見るだけではなく手紙を送るのが出会いのネクストステップですが、受け取った女性の方は自分なりに様々な調査をして、不合格の場合は手紙を返すのが礼儀でした。

光源氏

平安時代といえば有名なのが「源氏物語」です。

主役の光源氏が病気の静養のために京都の北山を訪れた際に、ある山寺の垣根から垣間見たのが「紫の上」でした。

彼女はのちに光源治の妻になる女性ですが、実は光源氏が彼女に目をとめたのは恋焦がれている「藤壺」に似ていたからというエピソードがあります。

「源氏物語」第五帖「若葉」の段落構成の一番最初の題名は「垣間見」となっています。

垣間見るの同義語

言葉の割には意外と簡単な意味を持つ「垣間見る」には多くの同義語があります。

顔を出す

「垣間見る」よりも「垣間見える」という言葉の方が近い意味になるのが「顔を出す」です。

顔を出すと言えば姿を現す、出席する、顔を見せるという意味が含まれていますが、普段は見えなかった人や物事が少しだけ見えるようになるというニュアンスが含まれています。

覗く

語源に一番近い表現が「覗く」ですね。

「見たい」という意識を持ちながらこっそり見る、また相手に気付かれないように見る、つまり隠れてコソコソと様子を伺うというイメージが強いです。

あまりポジティブな表現では使われないことが多いですが、やはり平安時代の男性が女性を垣間見ていたという語源が原因になっているのかもしれませんね。

見え隠れする

こちらも「垣間見る」より「垣間見える」に近い言葉です。

見えなかったものがほんの少しだけ見えるようになったと思ったらまた見えなくなる…というじれったい状況を表す時に使います。

目に見えるもの以外が対象となる場合もあります。

例えば「彼女の本心が見え隠れして怖い」など、実際に目には見えないことに対してうまく表現できる言葉です。

チラチラ見える

「垣間見る」を擬音にするとピッタリなのが「チラチラ」や「チラッと」です。