「色眼鏡を掛ける」「見方にバイアスがかかる」「先入観を持つ」「偏向する」「烙印を押す」などなど・・。
いずれも第一印象や、相手をよく知らない状態でこちらが勝手に相手を決めつけて判断したり、評価したりすることを意味します。
語源
このレッテルという言葉は、元々はオランダ語の「letter」という言葉からきています。
レッテルは本来、商品に貼る商品名や内容などを書いたタグのことを指します。
この小札は商品についての案内や、商品のイメージを作るものですので、これが人や物事に例えられて用いられるようになった結果、人物や物事に対する特定の評価や固定のイメージといった意味に変わりました。
レッテルを貼る危険性
レッテルを貼ることで、どのような危険性があるのでしょうか?
レッテル自体が、人や物事に対する決めつけや評価であることはすでにご紹介してきました。
そのためレッテルそのものが、あまり良い意味合いではないということはもうお分かりになっていると思います。
そしてそのレッテルを貼ることや貼られることが、どのような危険性に繋がるのかを以下にご紹介していきます。
好奇心を失う
レッテルとは、相手を「こういう人間だ」「こういう性格をしているのだ」と決めつけることです。
そうすることで、自分の中で相手に対する評価が決定されてしまい、よほどのことがない限りはそのレッテルが剥がれることはありません。
そしてまた、一度相手に対してレッテルを貼ってしまうと、相手に対する好奇心まで失ってしまいます。
例えば毎回会う度に、そして話をする度に変幻自在に外見が変化し、話す内容も違う人であったなら、その人に対する印象はその都度違って、相手に対する好奇心も失われることはないでしょう。
しかし、実際にはそんな人など滅多にいません。
大抵はいつも同じようなスタイルで、話す内容もそこまで大きな変化はありません。
そのため、相手に対して「この人はこういう人なのだ」とレッテルを貼ってしまうと、自分の貼ったレッテル以外の部分が自然と見えなくなってしまいます。
相手がもしいつもとは少し違った様子や話をしていたとしても、直ぐには気付くことが出来ないのです。
また、相手の性格に対してもレッテルを貼ってしまうと、例えばそのレッテルが良くないものであった場合に、相手が善いことを行っても、それで相手を見直すことは中々出来ません。
相手に対する好奇心を失うということは、すなわち相手の変化には気付けないということです。
人によってはそれで新たな発見や出会いを逃してしまっていることもあるでしょう。
【好奇心を失わないためには、こちらの記事もチェック!】
それ以上興味がわかない
レッテルを貼ると、自然と相手に対する好奇心が失われ、そしてそれ以上は相手に対して興味がわかなくなります。
例えば何年も仲良く一緒に過ごしている異性の友人がいたとして、どちらかが「ずっと友人だ」というレッテルを貼っていると、その先で友人同士が恋愛に発展することはありません。
例え片方が恋愛感情を抱いたとしても、レッテルを貼ったもう片方は、友人を「友人以上の存在」として見ることは出来ず、また恋愛対象としての興味を抱くことは出来ません。
そのため、もし友人だと思っていた存在から告白をされた場合には、そのきっかけから異性として相手を見ることが出来るようになるか、または相手を拒絶してこれまでの友人関係を失くしてしまうことでしょう。
レッテルを貼ることで相手に対する興味を失くすということは、場合によっては相手にとって残酷な出来事となることもあるのです。
なかなかレッテルは剥がせない
一度貼られたレッテルは、そう簡単に剥がすことは出来ません。
例えば会社で「性格が悪い」とレッテルを貼られて、周囲の人に嫌われている人がいるとします。
しかし、その人自身の本質については、もちろん誰も全て理解出来ているわけではありません。
そのため、もしその人にボランティア精神があり、休日にはボランティア活動に勤しんでいるという事実を周囲の人が知ったとしても、見直す人もいるでしょうが、「偽善者きどりだ」「良い人に見られようとしてやっている」などとあくまでも悪い印象に取られてしまう場合が多いのです。
特に元々悪いレッテルを貼られてしまっている人の場合には、少しくらい善行をしただけでは周囲のレッテルは剥がれることはありません。
それどころか、例で挙げたようにわざと善い行動をして良い人に見られようとしているといったように、悪い印象をさらにねつ造されてしまう恐れもあるのです。