人間の性格は千差満別。
一人として同じ性格の人はいません。
気の合う仲間同士でも微妙に考え方が食い違っていたりするのは日常茶飯事。
そこを上手に調整して世の中を渡っていくのが多くの人の生き方でしょう。
そんな多くの生き方の中にあって、決して受け入れにくいのが今回ご紹介致します「僻む」人です。
では「僻む」人に関わる特徴を見ていく事に致しましょう。
僻みがちな性格な人とは付き合わないほうがいい!
人間社会は様々な性格の人が折り合いながらああでもない、こうでもないと喧々諤々、お互いの利益を追求しながら成り立っています。
社会が成り立つのは、相互理解と相互援助のおかげです。
相手の事を気遣い思いやり、お互いが気持ちよく過ごす事を共通の目標においているからこそ、赤の他人同士でもやっていく事が出来るのです。
ところが、中にはそんな雰囲気を根底から覆す考えの持ち主も存在します。
それが今回ご紹介致します「僻む」人です。
出来る事なら付き合いたくない、この嫌な性格の「僻む」人。
それではこの「僻み」についていろいろな角度からみていく事に致しましょう。
「僻み」って何?
それでは「僻み」についてご紹介してまいりますね。
尚、「僻み」というこの言葉「ひがみ」と読みます。
漢字で書くと結構馴染みのない漢字なのですよね。
私も最初、面食らいました。
何て読むのか分からなかったので。
では先に進みましょう。
意味
「僻み」とは「物事を素直に受け取らないで、曲げて考える。自分が不利なようにゆがめて考える。」ことです。
私なりに解釈すると、「物事を見る目が偏っていて、多くの人が常識と思っている事を理解できないか、あるいは理解していても敢えて自身の意見を押し通そうとする頑固さが尋常ではないレベルの人」、という感じになるのでしょうか?
いずれにしてもかなり厄介な人物、というイメージが起こりますね。
使い方
「僻む」の使い方は、その人の正確を第三者が揶揄するような状況の時に使われがちです。
それは、本人は自分はそんな性格の人間だとはこれっぽっちも思っていないからです。
例えば、「兄弟間で弟の方が自分よりも親から可愛がられている」、と僻んだり、「組織の中において同僚の行いが受け狙いバリバリなのに、それが事あるごとに受け入れられるのでこっちが僻む気持ちになる」、などどこか自身の努力が及ばない所で損をしている自分が腹立たしい、といった感じが伺えるようなシチュエーションを想定させます。
結局、「僻み」というのは損得勘定が根底にあるように思えますね。
嫉妬との違い
それでは次に「僻み」と「嫉妬」の違いについてみてみましょう。
どちらも人間の闇の部分をクローズアップした言葉ですが、意味的には結構、大喜な違いがあると思われます。
まず「僻む」の方は、自分にとって好ましくない現状をに腹を立てる、恨みつらみを言う、など、どちらかと言えば歪んだ性格の発散状態ですね。
一方の「嫉妬」。
こちらも自分の持っていないものを持っている人間に対する妬み、嫉みの感情なのですが、厄介なのは「嫉妬」は時としてその抑えきれない欲望が攻撃心となってその対象者に向かう事がある、という事です。
昔から「嫉妬の炎に身を焦がす」、などの激しい感情のほとばしりを表現する言い方はありますが、「僻み」に関してここまでの激しい感情の高ぶりを表現した言葉は見当たりません。
「嫉妬」が男女の愛のもつれから悲劇的な結末を予想させるのに対して「僻み」はせいぜい個人の内側で留まる程度の感情の起こり方です。
と言うことは「僻み」の方が「嫉妬」よりもまだ可愛いレベルとも言えなくもないですね。