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悲しい気持ちになるのはどんなとき?...(続き2)

恋愛にやむおえない終止符が打たれた時というのは、大きな悲しみが付きまとうことがあります。

自分自身が納得した終焉ならまだしも、想いを寄せている相手から別れを告げられたともなれば話は別です。

恋をしている時は、恋人や好きな人へ寄せるエネルギーがとても多いもの。

そのエネルギーは、受け止めてくれる相手が居なければ急に行き場を失くしてしまいます。

これまで心にあった恋や愛というプラスのエネルギーが一気に冷たく無機質なものへと変化して、喪失感、虚無感があなたの心を苛むでしょう。

これまで側にいた相手がいなくなってしまうということは、想いの行き場がなくなるだけでなく現実世界における変化も沢山あります。

一緒に過ごしていた時間が無くなり、一人の時間が増える。

頻繁に連絡する相手が居なくなる。

二人分作っていた料理が一人分になる。

こういった環境の変化は時間が経過するごとに実感が湧いてくることが多いため、一度は落ち着いた悲しみが何度も何度も燻ってぶり返されてしまうこともしばしば。

好きという感情が大きければ大きいほど、悲しみの感情はそれ以上のものとなるでしょう。

予期していた別れ、自ら切り出した別れであっても、一抹の悲しさを感じる時だってあるのです。

望まない別れともなればなおさらでしょう。

仕事や私生活でミスした時


自分の不注意で引き起こしたミスによって、思わぬハプニングやアクシデントに見舞われた時は、「やってしまった」という不甲斐なさから後悔が押し寄せることがありますね。

失敗は誰にでもあるものですが、自分が起因となるミスで周囲へ迷惑をかけてしまった、怒りを買ってしまったともなると落ち込むなという方が無理という話です。

どうしてこんなことになってしまったんだろう、と何度もミスしたシーンをプレイバックしてしまうことで悲しみは膨らんでいきます。

ああすればよかった、こうすればよかった、と自分を責めて戻れない過去のことを繰り返しシミュレーションし直したりする人もいるでしょう。

ですが後ろばかり向いていたって物事はいい方向に進みません。

そういう時は、まずミスを挽回することに努めるべきです。

こう言っては何ですが、落ち込んで反省することは後から幾らでもできます。

ミスをしたのがショックだからと言って、その場で蹲っているほうが無責任というものです。

悲しみという感情に縛られず、その場で最も必要なことに目を向けましょう。

誰かから裏切られた時

人は嘘をつくります。

例えそれが、その場のノリが高じて口から転がり出た冗談であっても、

それが事実と異なる虚無であることが後からわかると、人は「嘘をつかれた」「裏切られた」と感じるものです。

人の感情の振り幅は、その人が抱いている興味関心の大きさに比例します。

感情にメーターがあると仮定してみましょう。

もし関心が薄い人から嘘をつかれたところで、メーターの動きはたかが知れています。

それが信頼していた相手に不義理を働かれたともなればどうでしょう。

動揺、衝撃、驚愕などあらゆる感情でメーターは大きく針を動かすことでしょう。

心から信頼を置いていた人が自分を謀っていたなんて、想像しただけで心の内から悲しい気持ちが溢れ出てきます。

友人、恋人、家族、大切だと思っていた人に裏切られるということは、これまで築き上げてきた関係が一気に壊れてしまうということ。

事実と異なる内容を自分に吹き込んでいた、信じていたことが偽りだった…。

信じていた相手だからこそ、こうなっては関係の修繕は難しいでしょう。

もし仮に、関係を続けていくとなっても一度裏切られた時の気持ちは消え去ってくれません。

相手の言動を信じ切れずに、常に神経を尖らせておくような事態にもなり得ます。

裏切りを許すも許さないも個人の一存ですが、その時の悲しみは胸のどこかに根付いて本当にその傷が癒えるということはよほどのことがない限り難しいでしょう。