何かを継続させることが苦手な人とは、何事も中途半端に終わってしまう人のことと言い換えられます。

それでは中途半端な人とは、どのようなイメージを持たれているのでしょうか。

そこでまず「中途半端」の類語を調べて見ました。

Weblio類語辞書によると、出来そこないの、出来のよくない、不出来の、不完全の、不完全な、完璧でない、100%でない、未完の、コンプリートしていない、中途の、欠陥のある、不備のある、不良な、道半ばの、パーフェクトでない、などの言葉が並んでいます。

「中途半端」の一語だけから受ける語感より、さらに大きく悪化しています。

これは大変なことと言うべきでしょう。

中途半端と評されている人は、早めに治療を加えた方が良さそうです。

いつも中途半端で終わってしまう人へ

いつも中途半端で終わってしまう人は、あまりそういう自覚は持っていないかも知れません。

しかし、上記のように相当のマイナスイメージを背負っていることがわかりました。

多少なりとも、他人の言うことに真摯に耳を傾け、自分の在り方を、考えた方がよいレベルでしょう。

将来に備える気持ちを持っているのなら、どうにかして払しょくしておくべきだと思います。

そのためには、どういう方法をとればよいのでしょうか。

以下、考察を加えていきましょう。

「継続は力なり」という昔からの格言は正しい

「継続は力なり」という言葉があります。

これはよくある四字熟語のように、古代中国の故事に、由来するものではないそうです。

どうやら明治、大正期の日本人教育者たちが言い出したとみられています。

しかし、アメリカにも「継続は成功の父」という似たような言い方があります。

オリジナルはどちらなのか?これはどうもはっきりしないそうです。

それは置いておきましょう。

ところで、「継続は力なり」はいくつかの意味に分けて解釈することができます。

・個々の成果は微々たるものであっても、地道に成果を積み重ねていけば、やがて目標や大きな事業でも達成できる。

・今は実力不足であっても、くじけずに修養を続けていけば、やがて大成できる。

・物事を成し遂げるまで、あきらめずに取組み続けるということは、それ自体すぐれた能力の一つである。

などの解釈が挙げられています。

今の自分にあてはまりそうなケースについて、よく考えてみるとよいのではないでしょうか。

続けることは難しい

継続することはなぜ難しいのでしょうか。

基本的には集中力の問題として、集約できるものではないかと思います。

それがいつまでi持続できるかの勝負といってよいでしょう。

この成否は、人生の先行きに大きな影響を及ぼします。

基本的に粘り強い、何事も継続できる人が、圧倒的に有利を保ちます。

集中力を欠く人が大成功した、とはあまり聞いたことがありません。

継続することが難しいと感じたら、日々の集中力の維持というテーマへ立ち返りましょう。

自分にとっての課題の処理が、集中して出来ているかどうかを確認します。

「正しい」ことを継続することが大切

どうでもいいようなことを、いつまでも継続したところで、本人の血肉とはなりません。

「正しい」ことを継続することが大切です。

たとえば、喫煙を強い意志を持って継続したとしても、健康上いいことは一つもありません。

確かに瞬間的なリラックス効果は得られます。

脳の血流を悪化させることで、クールダウンできるからです。

しかし健康は悪化する一方です。

この場合には、禁煙を継続することこそ、健康上の「正しい」行為になります。

なんでもかんでも続ければ良いということではない

したがって、継続は力なりと言っても、なんでもかんでも続ければよい、ということではありません。

喫煙のような悪い習慣は断ち切るべきでしょうし、さぼり癖など、楽をしようという習慣は見直すべきものです。

これらは継続しているというより、何もしていないといった方が実態に近いと思います。

まず継続すべきものとは何かを正しく認識していきましょう。

正しくなければ単なる時間の無駄

正しくなければ、何もしていないのと同じ、それは単なる時間の無駄、ということにつながっていきます。

もちろん有効に時間を使う、ということが人生のすべてというつもりはありません。

しかし、明らかな無駄とわかるものは。

排除していくべきでしょう。

たとえば休暇をとるにしても、はっきりした目的があるべきだと思います。

それが正しいリフレッシュのあり方というものではないでしょうか。

継続することが苦手な人の8個の特徴

何事も継続できない、より悪く表現すると中途半端な人たちには、どのような特徴が見られるのでしょうか。

共通の現象と思われるものをいくつか拾ってみることにしましょう。

目新しいことにすぐ目が行ってしまう

目新しいことにすぐ目が行ってしまい、今手を付けていることが中断してしまう。

誰にでも起こりがちなことです。

したがって、これは程度の問題というべきでしょう。

知的好奇心に富んでいるということは、まぎれもなくその人の長所です。

しかし移り気がひどい、と判断されれば、これははっきり短所となります。

好奇心のレベルを下げることなく、明らかに行き過ぎた目移りは、抑制するようにしていきましょう。

飽きっぽい

物事が継続できず、移り気ということは、飽きっぽい人である、ということを端的に表しています。

これは意識して矯正していきましょう。

よく世間に出回っている治療方法は、常にもう少しやりたい、というところで止めておく、という対処方です。

それが次回への関心をつなぐための原動力となるはずだ、というわけです。

また常にそのプロセスを楽しむようにしよう、という心の持ち方も、重要なポイントとされています。

楽しくやりつつ、そして一度に徹底的にやってしまわない、ということのようですね。

自分に甘い

物事の継続しない人は、自分に対する規範と、それを支える自尊心が不足しているのではないでしょうか。

自分は何をしても許されるのではないか、という希望を捨てきれない、つまり自分に対して甘えているのです。

その種の幻想は、早めに捨ててしまいましょう。

もっと現実に根ざした目標を持つようにましょう。

そうすることで、新しいステージへと進むことができます。

ネガティブ


物事の継続しない人は、何事も自分にはとてもできそうにない、と及び腰になっていることも多いものです。

長嶋一茂という人は、今はすっかり芸能人として活躍しています。

しかし彼は、プロ野球選手としては大成しませんでした。

スーパースターだった父親の茂雄氏とは、比べるべくもありません。

この大差はどこに原因があったのでしょうか。

一茂氏のヤクルトスワローズ時代の監督、野村克也氏によると、一茂氏はボールを怖がるそうです。

そのため踏み込んでスイングをすることができません。

だからヒットが打てない。

野村氏は、デッドボールで大きなケガでもしたことがあるのか、と聞いたそうです。

しかし、そうした経験はない、という答えでした。

明るくおちゃらけて振舞う一茂氏の本質とは、実はネガティブで極端な怖がり、なのかも知れません。

それがプロ野球選手としての、成功への妨げとなったのでしょう。

ネガティブ思考から得られる有益なものは、何もありません。

成功体験が少ない

物事の長続きしない人は、最後までやり遂げた、という成功体験をあまり持っていないのに違いありません。

達成感を得る喜びが、脳内にインプットされていないのだと思います。

成功体験は、小さな目標から始め、達成を重ねることで、少しずつ蓄積していくことが可能です。

そしてこれはどこまでも大きくなる可能性があります。

うまく自信に転化できれば、人生を変える、新しい突破口ともなり得ます。

プライドが高い

プライドとは他人との比較によって、芽生えるものです。

自分の方が劣っているはずはない、と構えるところから始まることが多いのです。

これはたいていの場合、物事が進まなくなる方向へと作用します。

他人との比較で行うべきことは、できるだけ客観的に評価する、ということです。

それができないのなら、やめておくべきでしょう。

客観的に評価した上で、他人から学ぶ姿勢を重視していきましょう。

人の優れたところは、しっかり評価すべきです。

自身と対比していちいち一喜一憂するものではありません。

他人との距離感は、適度な範囲内に保ちましょう。

経験も人脈も浅く広い

物事を常に中途半端で終わらせていると、それによって得られる経験も、付随する人脈も、やはり中途半端なところでとどまってしまいます。

身になっていない経験と、信頼性を欠く人間ばかり集まってきます。

これでは、今風の表現を借りると、いつまでもスタート・アップできません。

最後までやりきる人の経験と人脈とは、天と地のような差を生じます。

一度自分の人脈を見直してしましょう。

すぐ損得勘定をする

目先の損得勘定に捉われているかぎり、物事が長続きすることはありません。

実際にリターンが得られるかどうかわからない、リスクの高い投資をしているのと同じことです。

リターンがあるかさえもわからない、ばくち的な状況では、なおさら継続するのは無理というものでしょう。

手を出してはやけどを負っては中止、というパターンを、何回も繰り返すことになるだけです。

損得勘定は必要なことです。

ただし積立てNISAなど長期投資をイメージして、慎重に考えるようにしましょう。

継続できる人になるための改善方法

何事も継続できていない人が、継続できる人になるためには、体質改善が必要です。

しかしこれは、寒がりが暑がりに変わるくらい難しいことかも知れません。

そうは言っても一つずつ、少しずつ治療していくしか方法はないはずです。

それでは、具体的に何をどうすればいいのでしょうか。

じっくり考えて行きましょう。

目標を明確にしよう


物事を継続させるためには、目標を明確にすることが、その第一歩です。

繰り返しになりますが、小さな目標を立て、それを達成することから始めましょう。

それをこなしていけば、その先には新しい光景が見えてきます。

目標らしい目標を立てることができるようになるのです。

それは他人に語っても、恥ずかしくないようなしっかりした目標です。

ここまでになってくると、交際範囲も一気に広がっているはずです。

それこそが新しい光景なのです。

自己中を卒業しよう

自己中心とは、自分自身を物事の中心と定義し、世の中の物事を解釈する人のことを指しています。

他人の価値観を理解しようとせず、彼らの事情にはほとんど関知しません。

その大きな特徴は、本人にそうした自覚が全くないことです。

これを脱するには、自己チューと言われて恥ずかしいと思う感性と、周囲の協力とが不可欠です。

周囲を見回してみましょう。

まずキーマンを探すことから始めていきます。

理解者の存在こそ、自己チュー脱出の第一歩となります。

その人を批評を受け入れることから始めましょう。

自己中が継続を妨げる

自己チューの人はすべて自分で判断を下しているわけです。

つまり、継続して取り組もう、という判断もできるはずです。

自己チューの傾向が強い人でも、こうした判断を積み重ねていけば、中途半端な人を脱することは、十分に可能でしょう。

それどころか、人の意見にフラフラすることのない、ブレないリーダーに成長することもあり得ます。

むしろリーダーとしての素質が備わっているタイプなのかも知れません。

ちょっとした判断によって、人生はガラリと変わるものです。

自己チューのみなさんは、継続することを決断し、そのことを証明して見せることができます。

自分のためより誰かのために取り組もう

何事も継続するのが難しいという人は、自分のためよりも、人のためと思って継続するように、考え方を少し変えてみてはどうでしょう。

そうしていると、そう遠くない時期に、それが自分のためにも役にたって、返って来ていることに、思い至ると思います。

ただしいブーメラン効果です。

こうなればもう安心です。

物事に積極的に取り組むようになったことの証明だからです。

褒めてくれる人を大事にしよう

長所を認めてくれる人は、誰にとってもかけがえのない存在です。

そこまで客観的に評価してくれる関係に至るまでの道のりは、幼なじみを除けば、そう簡単ではないからです。

まして何事も継続できない中途半端な人にとっては、貴重な存在に違いありません。

このような関係を維持するには、双方にたゆまぬ努力が必要です。

一方的に頼るだけの関係になってしまってはなりません。

人は誰でも褒められると伸びる

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。

というビジネス上では、有名な格言があります。

多少、表現の異なる言い方も存在していますが、言わんとする骨格部分はみな同じです。

筆者の在籍していた会社では、現場管理職にとっての心得となっていました。

褒めてやらねば、というところが重要なポイントです。

しかし最も低いレベルの従業員を対象にしている、という感覚もありました。

そこまでせずとも自発的に働く従業員もまれではありませんでした。

ただし褒めることの重要さは、変わりありません。

ちょっとした褒め言葉で、大きく伸びることは本当にあります。

継続することのメリットとは?

「継続は力なり」は、疑う余地のない真理です。

力を付ける、力を維持する、このいずれにも、トレーニングの継続が基本です。

とくに頭のトレーニングは重要です。

気力が衰えてしまえば、体力やスキルを維持することは不可能だからです。

まず弾む心を失わないことが大切です。

そうしてめげずに頑張っていれば、、自分には力が付いていると実感できるときがやってきます。

それは至福の瞬間ともいうべき時間です。

それを味わった経験は、人生の大きな支えになるはずです。

そのことの良さ、魅力をじっくり理解できる

何事も継続していれば、その分野におけるスキルは確実にアップします。

見識も高まり、良質な同好のグループもできるかも知れません。

そうなると楽しさは倍増するでしょう。

自発的に継続するようになるのは間違いありません。

その分野の魅力をじっくり理解できるとともに、自分磨きにも大きく貢献します。

自分が成長したことも実感できることでしょう。

周囲の人に信頼される

何事も中途半端に終わらせず、最後まで継続していくタイプの人は、周囲の人たちから一目おかれ、信頼されていることが多いものです。

安易に物事を投げ出すことがないという安心感を与えています。

会社など目的のはっきりしたチーム内では、すでにリーダー級の働きをしていることでしょう。

そうでない人にとっては、身近なところに存在する、とてもよいお手本です。

努力家だと思われる

周囲に努力家だと思われて悪いことは、何もありません。

真面目な人に仕事を頼みたい、という気持ちは、誰しも同じです。

例えば、会社などの組織では、てきめんにこれが表れます。

努力家の下に、人も案件も集中するようになります。

これによって、さらに信頼感を増し、重要人物となっていきます。

ただしこれは自分でアピールするようなことではありません。

周囲の評価に任せましょう。

続けることに価値があることを示す例

長い間継続している、ということには重みがあります。

そのことだけで偉業と呼べるでしょう。

古い寺社や老舗と言われる商店などは、みなこれに価します。

京都などは街そのものが、1200年以上継続してきています。

続けることの価値を街中で体現しています。

京都市内だけで2000以上もあるといわれる寺社を維持してきた継続する力は、大変なものだったでしょう。

何しろ他府県と違い、大きな寺社ばかりです。

たくさんのお坊さんや神職、宮大工などの人たちが、力を合わせて伝統を守って来ました。

たぶんその副作用と思われますが、京都人はちょっとプライドの高すぎるのは玉に瑕というべきでしょう。

歴史のある人気商品が多い

高い人気を保つ、長寿食品の発売年を調べてみました。

するとカルピスは1919年、永谷園のお茶漬け海苔は1952年、サッポロ一番醤油ラーメンは1966年でした。

これらの商品は、消費者の嗜好の変化、目まぐるしい社会の変化にも拘わらず、相変わらずスーパーの看板商品として頑張っています。

食品ではありませんが、キンチョーの渦巻き型蚊取り線香は、なんと1895年の発売でした。

もちろん、それぞれの商品によって、人気の長続きしている秘密は異なっているに違いありません。

ここでそれを分析するには、少し無理があります。

しかし広告宣伝を未だに怠らないことは、共通しているようです。

これでいいとは思わず、地道な販売販売努力は、継続しているのでしょう。

幼い頃から続けたことが大成する

大器晩成という言葉は、通用するところとしないところがあります。

例えば今、羽生竜王の国民栄誉賞受賞や、藤井四段の活躍で注目を浴びているプロの将棋界に、大器晩成という言葉は存在しません。

将棋の世界は四段になってはじめてプロとして認められます。

26歳までに四段に昇段できなければ、この世界から去らなければならない厳しい規定があります。

そのためにさまざまな人生のドラマが展開されます。

しかし25歳や26歳でプロになったところで、その人は絶対に大成しません。

そこまでが天井のレベルなのです。

中学生でプロになった羽生竜王や、藤井四段のような人たちとは初めからランクが違います。

彼らには絶対に敵わないのです。

将棋界には大器晩成したプロは一人もいません。

大器は全員早成でした。

したがって修行のスタートは、早ければ早いほどよいのです。

そして才能に対する見切りも必要になってきます。

練習を続けてプロになる

その一方、大人にになってから始めても、世界の一流になれる分野もあります。

輪島功一という人は、24歳のとき、まったくの素人からボクシングを始め、25歳でプロデヴュー、その後3度も世界チャンピオンになっています。

ただしスポーツの世界では、さすがに35歳になってしまっては、世界の第一線まで登り詰めるのは無理でしょう。

しかし別の部門では可能性がいくらでもあります。

70歳で未亡人となり、75歳から絵筆を取り始め、最後にはアメリカの国民的画家とまで呼ばれるようになった、グランマ・モーゼスのような人もいます。

どこまでの高みを望むかによって大きく違いますが、コツコツ練習を続けてプロになる、というのは、それほどレアなケースではないでしょう。

ここでやりきる才能が大切になります。

ただし分野によって大きく左右されるのは言うまでもありません。

継続することは自分の力になる

継続することは難しいことです。

筆者の場合でも、若いころから継続してやっていることは?と問われても、何も思い浮かびません。

これには、かなりの寂しさを覚えます。

しかし、のんべんだらりんと過ごしていたわけでもありません。

職種も次々と変わり、任地、住所もそれに伴って、何度も変わりました。

海外生活も通算すると、かなりの長さになります。

そのときどきにおいて、それなりに手を抜かずには生きてきたつもりです。

ただし、一つのことを地道にやり遂げる、という環境ではなかったのは確かでしょう。

部分、部分の積み重ねが連続している、と考えるようにしています。