反骨心」。

あなたはどういうイメージで受け取りますか?肯定的?それとも非定的?

反骨心にはその両方の意味が含まれる特殊は言葉かも分かりませんね。

丁度、世間では大相撲の世界で貴乃花親方が一人反旗を翻したような形で相撲協会に対して戦いを挑んでいるかのような図式がまさしく「反骨心」かのような有様で連日、マスコミを賑わしているところですね。

果たしてこのような動き、行動が私たちにとって正しいことなのか、それとも悪いことなのか、簡単には答えは出ません。

それでも時代が変わってゆけば組織も疲弊し今までの在り方が世の中の流れと相容れなくなってくる子も事実でしょう。

それでは「反骨心」につきまして第三者の目から見た、その意味から様々な特徴までをご紹介して参りましょう。

あなた自身の事、そして周囲にいるかもしれないそのような人の事が手に取るように分かってくることでしょう。

反骨心とは

それではまず「反骨心」についての意味を紹介していくことから始めましょう。

反骨心の意味とは

「反骨心」という言葉、何やら「謀反人」とか「反逆者」とかいう決していいイメージで捉えられていない感じが致しますね。

では実際の反骨心とはどのような意味を持っているのか、早速見てまいりましょう。

世間的な権力や慣わしに対して抗う気骨

反骨心とは「世間的な権力や慣わしに対して抗う気骨」という意味を表します。

これをもう少し砕けていくと「一般常識を疑い、何でも右に倣えの精神を否定し、組織に属しながらもその組織の風習やしきたりに背を向ける行為」とでも言ったらいいのでしょうか?

これを会社組織に当てはめたら分かりやすいかも分かりません。

会社というところは社員一人一人の働きによって利益を得、社員全員にそれを分配していく組織です。

そして世の中には多くの競合他社のライバルが存在します。

このライバルの存在があるからこそ、会社組織というところは他社を意識し、または比較して我が社の足らない所、秀でているところを把握し、その特徴を生かして社員に働いてもらっています。

よって、情報の公正さ、公開の正しさに問題がなければ反骨心を持つ社員は中々、誕生しないはずです。

ところが話しを戻してしまいますが相撲協会のような独占的存在(それ以外に日本に相撲の興行団体はありませんからね)になってしまうと外部との比較対象がなくなってしまうので皆、閉鎖的になってしまいます。

つまり情報操作や隠蔽ですね。

これではいけない、外の世界の他の競技に遅れをとって、いずれ相撲自体が廃れてしまう、という危機感の一つの表れがいわゆる「反骨精神」として今回の多くの行動に移っていったのでしょう。

つまり反骨心とは、中の人間から見たら「厄介者」、外の世界の人から見たら「ヒーロー」的な存在と言えそうですね。

反骨の精神

反骨心の意味には「反骨の精神」というものがあるからこそ成り立っています。

この「反骨の精神」とは決して「反逆者」とか「謀反人」というニュアンスは含みません。

反逆者や謀反人は国家転覆を企てる大犯罪人であってその信念は決して社員や国民の利益を優先させておらず、己の私利私欲のために野望を達成させようとするものです。

それとは反対に真の反骨の精神とは、自分の属する組織、あるいは打ち込んでいる何らかの競技、種目に対して一片の曇りもない愛情と忠誠心を有し、その組織や競技のためならば命投げ打ってでも使命を達成しようという精神の持ち主が持ってるものです。

よって反骨の精神というものは誰もが容易に持ち合わせられるほど、やわなものではない、という事が言えるのです。

この「反骨の精神」は時としてその時の最高権限者との軋轢を生んでしまう結果となるのは過去の歴史が証明してくれています。

決して主君や総大将を裏切るつもりはないのに、皆の前では自身の意見を曲げることが出来ない。

こういった武骨で融通の利かない部分も反骨の精神として挙げられるのです。

反骨心の使い方

それでは次に「反骨心」の使い方についてみていきましょう。

言葉が言葉だけにそう広く世間一般で使われる用途は限られてくるようです。

そんな中から比較的、使っても違和感のないシーンを想定して考えてみましょう。

反骨心が生まれる

反骨心の使い方の1つ目は「反骨心が生まれる」です。

この使い方はそこそこよく見聞きする使い方でしょう。

親子関係であっても師弟関係であっても会社や組織内であっても普通に使える言い方です。

例えば、親子関係の場合であったとして、それまで小さい頃から親の躾や言いつけをしっかり守っていた子供が、ある年齢を境にして急に親に対して反抗的になってくることがあります。

この場合、親の言う事にただ意味もなく逆らっているだけでは「反骨心が生まれる」とは言いにくいのですよね。

その為の何か根拠がいるのです。

親がこれまで自分を躾けたり指導してきた論理に決定的な誤りがある事にある日気づいた。

その事をもってこちらも冷静に且つ客観的に見据えて、自分の主張する方の行動撮っているのなら、これは正しく「反骨心が生まれた」と言えるでしょうね。

ただ、親の方から見れば息子や娘がどういうものの考え方に触発されて言う事を聞かなくなったのか、それは関係なく、ただ親に対して反抗する態度を見せつけられるだけでも「反骨心」と見る向きもあるでしょう。

ただ「反骨心」というのは信念に貫かれて湧き上がってくるものです。

この場合はやはり「正義か悪か」といった物事の正邪論に立った場合の味方の方が相応しい見方になるでしょうね。

反骨心をあおる

反骨心の使い方の2つ目は「反骨心をあおる」です。

「あおる」というのは「けしかける」とか「火に油を注ぐ」といったようなそれまで大人しかった相手や静かにしていた状況を一変させ、怒りや憤り起こさせるような言動を投げかけて、相手をカッカさせるやり方、といった意味になるでしょうか。

例えば、「表だってはいい子を演じていた部下に対して、プライドをけなすような言葉を投げつけて、その人の反骨心が沸き起こるよう、わざと煽った」といった言い方が参考になるかもしれませんね。

反骨心をあおるような行動は、その人の隠れた才能や能力を早く発揮させたいと願う上司やチームリーダーの計らいでわざとそういった相手のプライドを傷つけるような言葉を投げかけて本性を目覚めさせる場合と、自ら自我に目覚めて自分の反骨心に気付くケースとがあります。

いずれも相手をあおるような言動が元になってきますので、言葉遣いには気をつけたいものですね。

敵に回したくない人物が、ひょんなことから自分の反骨心に気付いてしまったら体制側としては後々、厄介な仕事が増えるだけですからね。

反骨心が強い

反骨心の使い方の3つ目は「反骨心が強い」です。

反骨心という言葉は、その人の人柄や気構えが常人以上のものを備えていて且つ、専門知識や能力に長けている人に限って使用されるべきものです。

そうではない、平たく言えばレベル的に水準の低い人に対しては「反骨心」などという言葉は恐れ多くて使えません。

そのような人に対してはせいぜい、「反抗」か「愚痴・文句」といった見なされ方が関の山でしょう。

よって「反骨心が強い」と言われる人というのは相当な実力者の場合でないとなかなか使えない言葉なのです。

一般的には「あの人は反骨心が強いね」などと言う言い方が多いでしょうか。

良い悪いは別にして、一種の相手に対する敬意というか尊敬の念が滲み出る表現であるとも言えますよね。

ただ、だからと言ってやり方を間違えてしまうと組織の力で埋没されてしまう可能性もあります。

反骨の精神、大いに結構ですが自らが属する組織にはあまり歯向かわない方が己の身の安全にはいいと思いますよ。

反骨心が強い人の8個の特徴

では次に参りましょう。

次は「反骨心が強い人の特徴」です。

世の中、誰でも彼でも皆が反骨心旺盛な訳ではありません。

組織にはその他にも大勢の別のタイプの人が存在しています。

中には物凄く従順で大人しい人もいますし、日和見主義の人もいます。

気が弱くてお人よしの人もいるでしょう。

反骨心が強い人は一見しただけでは全く識別が不能なのです。

普段は牙を隠していますからね。

しかし、何かの時にフッとその片鱗を垣間見ることになります。

その判断基準となる特徴を今から挙げていきましょう。

全部で8個のご紹介です。

1.自信がある


反骨心が強い人の特徴の1つ目は「自信がある」です。

そう、自信がなければ何も始まりません。

自信なきところからは何も生まれない、と言っても過言ではないくらい自信というものは全ての行動の源となるべきエネルギー源のようなものなのです。

そしてその自信も確固とした主義主張に基づいた揺るぎない正義感の元で沸き起こっていない事には、正しき反骨心のバックボーンにならないのです。

反骨心を持ち続けるためには自分が絶対だと信じる「正義」があって初めて成り立つものでもあるのです。

自分が正しいと言い切れる

自らに対して揺るぎない自信を持っていらっしゃる方にとったら、いついかなる時においても自分が正しいと言い切れる自信を持っている事でしょう。

だからこそ現体制下での自身の身の置かれ方に強い不満を感じ、機会があればその憤りを体制派の人に直接ぶつける行動に出ることも可能な訳なのです。

それほど自分が絶対正しい、と信じ切る理念というものは絶対であり尊いものなのです。

ところが、その信念があまりにも強すぎると、今度は反対に周囲が見えなくなってしまい孤立してしまう危険性も出てきてしまうのです。

反骨心の範疇は属する組織の批判や悪口ではありません。

大義名分に則った一種の改革のようなものでなければならないのです。

だからそこには所属する組織への忠誠心も並々ならぬものが存在するのです。

だから周囲の人があなたに一目置くわけなのです。

ところがあまりにも強すぎる、半ば偏執的なくらいの執着心をもって自分が絶対に正しい、と言い張りだすと状況は変わってきてしまうでしょう。

組織を構成する多くの人は自らの身分や権利の保障に協力的な反骨心の持ち主の人には賛同できるでしょうが、自らが独裁者になりたがっているような人にはついていきません。

よって、自分が正しいと言い切れる人はこの辺りの境目をいつも意識して行動することが必要でしょう。

多くの人からの指示を得られないのなら、それは「自分が正しい」とは見てくれませんからね。

2.周りに流されない

反骨心が強い人の特徴の2つ目は「周りに流されない」という事です。

周りに流されずしっかりと自分の立ち位置を守って発言したり行動したりすることは、想像以上に難しい事です。

大抵の人間は「長いものに巻かれろ」主義ですからね。

特に親方日の丸のような組織にいるならば一層、その傾向は顕著になるでしょう。

しかし、真の反骨者というのは決して自分が良しとしていない意見には耳を傾けませんしましてやそういったムジナたちと徒党を組む、などという愚かな行為も行わないでしょう。

こういった行為が取れるからこそ、真の反骨心を持つ人間は組織の中で一目置かれる立場の人間になれるのでしょう。

自分の意見を貫くことができる

周りに流されない人間は、以下に周囲の状況が「満場一致」という雰囲気になっても自身の意見を貫く姿勢を崩さないでしょう。

いわば、一本筋の通っている人間、という評価を下す事の出来る人物だといえるのです。

ただ、そういった人物は周囲から誤解を受けやすいものです。

一人、違った姿勢を自信をもって崩さないのですから、彼への信者は独りでに増えていきます。

それを権限を持つ者はg放置できません。

懐柔して自分の懐に入れようとしますが人間の器のスケールさでいえば反骨心を持つ人間の方が遥かに大きいもの。

たちまち権力は手に余ってしまい結局、袂を分かれる、という構図になってしまうのです。

それでも反骨心を持つ人間はぶれたりはしません。

終生、自分の意見を貫き通し孤高に生きてゆくのです。

3.誰に対しても平等


反骨心が強い人の特徴の3つ目は「誰に対しても平等」です。

真の反骨者はえこひいきや選り好みをしません。

基本的に人間づきあいは「ウエルカム」路線なのです。

「来る者は拒まず、去る者は追わず」なのです。

だから特別にこの人間が好きだから大事にするとかあいつは嫌いだからわざと遠ざける、とかはありません。

本当にそこのところは誰に対しても平等でいられるのです。

この姿勢を貫く人と一緒に食事に出も行けば、たちどころにあなたもその反骨心を持つ人のファンとなることでしょう。

それほど気さくで大らかな人間なのです。

地位や年齢に関係なく接することができる

正しい反骨心を持つ人間は、相手の地位や年齢、性別などに関わりなく気さくに接することができます。

だからその人物の評判は自然に高くなってゆくのです。

それはその反骨心の出所が正しくて社会的に何もやましい部分がないからに他なりません。

その人物の持つ常識、良識が相手の足らない部分を補って余りあるくらい愛情深いからこそ成し得る魅力なのです。

だからもしあなたがそういった正しい反骨心を持つ友人を持てたとしたら、終生、大事に付き合っていきたいものです。

本当に一生の友達になれると思いますから。

但し、あなたの方があまりに甘えたり人の悪口ばっかり聞かせるようになったら、その友人はひっそりと去ってゆくかもわかりませんよ。

だから、あなた自身も成長する事が必要なのです。

4.相手に物怖じしない

反骨心が強い人の特徴の4つ目は「相手に物怖じしない」です。

これも自分に確固たる自身があるが故の行動でしょう。

世間にたくさんいるその他一般の人間と較べたら燦然と輝く羨ましさかもしれません。

反骨心の強い人はハートも非常にタフです。

それは一般の人ならば避けたいようなクレームや人間関係の調整などを早い段階から引き受けてきたからです。

それは交友範囲の広さからも伺えます。

通常の会社勤めの人間ではとても知り合いになれそうもないビッグな人やちょっとやばい筋の人まで、実にバラエティーに富んでいます。

そういった俗にいう「怖い」人達と距離を近づけて接してきているのです。

物怖じする必要などはどこにもないのです。

相手が誰であっても意見する

そして反骨心が強い人達は、例え相手が本当に怖い筋の人であってもおかしいと思った意見には口を挟みます。

つまり筋が通っていない話しかどうかを聞き分ける能力が長けているのです。

そしていろいろな局面や修羅場を体験してきていますから、緊張するという気持ちになりませんし、度胸も据わりますから話し口調も常に安定していて、相手のペースにはまることなく常にマイペースで話をコントロールできるのです。

ハッキリ言って相手に対して物怖じしない態度を見せられたら、逆に相手の方が怖そうなその筋の人でも内心、ビビッてしまうでしょう。

それくらいその人が持つ度量の大きさは半端ではない、という事が言えるでしょう。

こういった人を味方につけられるリーダーこそが真のリーダーなのかも分かりませんね。

5.努力をおしまない

反骨心が強い人の特徴の5つ目は「努力をおしまない」です。

反骨心というものは体制派に対する反抗の姿勢であり、長いものには巻かれないぞ、という自尊心の問題でもあります。

そしてただの負け犬の遠吠えではなく、相手もその人の人間性を認めざるを得ないようにするためには、誰にも泣けない知識や仕事の能力を持っていなければなりません。

中身もないのにいいカッコだけつけたがって息巻いたところで相手にすぐに度量を見破られてしまいます。

一旦、そういう人間に見られてしまったら挽回する事は至難の業です。

だから自分が優位に立つためには人のやらないところで努力を重ねていく必要があるのです。

一度決めた目標は達成するまで諦めない

また反骨心が強い人は一度決めた目標は達成するまで諦めません。

この努力の姿勢があるからこそ、多くの人間から評価されるのです。

という事は反骨心が強い人は約束も破らない、という事になります。

まあ、しかし、誰彼区別述べなく口約束をやってしまう事も行いません。

そこまで人間は軽くない、という事です。

努力を惜しまず、一度決めた目標は何が何でもやり抜こうとする姿勢。

これで組織に対して露骨な反抗姿勢さえ見せなければ、彼らは物凄い人材という事になり得るのです。

ところが反骨心が強い人達は群れて行動を取る事を良しとしません。

組織のただの歯車になる事をとても忌み嫌うからなのです。

彼らが何のためにそこまでして努力するのか?それは地位や名声を望んで、ではありません。

あくまで「自分」という人間の価値観を大切にしていたいからです。

つまり自分自身が「ブランド」なのです。

そうやって一目置かれる事こそが反骨心が強い人達の最高の生きがいなのですよ。

6.融通が利かないと思われがち

反骨心が強い人の特徴の6つ目は「融通が利かないと思われがち」です。

反骨心の強い人は自分の信念を曲げないだけの心の強さがあります。

そして自分の考えには絶対の自信を持っているだけにその意見を曲げてまで他の人のグループに身を置こうとなどという発想もありません。

要するに冗談の通じない「ガチガチの石頭」とも受け取ろうと思えば受け取れるのです。

それほど反骨心の塊の人たちは自分の気に入らないグループや群れには近づきませんし、接する事も本当に稀です。

この「融通の利かなさ加減」は半端ではありません。

筋金入りです。

もし反骨心の強い人を自分のグループの見方に取り込めたとしてもグルー内で他のメンバーとうまくやっていけるかどうかは、甚だ大きな疑問点が残ることでしょう。

頑固で意見を曲げない

また反骨心の強い人は自分の意見を曲げたりするようなやわな精神は持っていません。

一度こうと決めたらテコでも動かない相当な「頑固さ」があるからです。

よって反骨心の強い人を組織内で生かしていこうと思ったら、その組織のリーダーは相当な苦労を覚悟する必要があるでしょう。

ただ、反骨精神の強い人が何でもかんでもその組織の事を拒否している訳ではありません。

理念の一致さえあれば彼らとて従順な一人の組織構成員です。

ただ戦略の部分で相互理解していてもいざ戦術という時になるとどうしても自分の考えを引っ込めることが出来ません。

それほど己の考えに自信を持っているという事なのです。

その部分を上手く引き出してコントロールすれば反骨心の強い人は非常に心強い戦力になってくれるでしょう。

7.媚を売らない

反骨心が強い人の特徴の7つ目は「媚びを売らない」です。

自分に対して絶対的な自信を持つ反骨心の強い人にとって、何かの組織に従属する、という発想がありません。

という事は誰かに対して媚びを売っていざという時に助けてもらおう、という他力本願の発送は全くないのです。

媚びを売るという事は、自分の実力に自信が持てないがためにその世界の有力者に自分の名前を売っておいていざとなったら何とかしてもらおう、という世間ではよくある手法ですよね。

まあ、媚びを売る事も処世術の一つです。

別に間違った事ではありません。

媚びを売るためには「プライド」という本当は売ってはいけないものをも捨て去るくらいの気持ちがなければできない事なのです。

そういった意味ではいざという時に自分を捨てて他人の助けを借りに行ける人間の方が成功できる確率は高いかも分かりません。

そこが生き方に関する違いと言えばそれまでの事でしょう。

間違っていることは誰にでも指摘する

ただ、媚びを売ってしまったら、もうその売った人間に対して一切、口答えしたり歯向かったりは出来ません。

そんなことをしてしまったら弱いあなたは生きてゆく術を失ってしまいます。

あなたは反骨心無き人間です。

反骨心の強い人のまねをしては絶対にいけないのです。

反対に反骨心の強い人は媚びも売りませんし、相手のやり方が間違っていると思ったら、」誰に対しても遠慮なくものを言います。

これが反骨心の強い人の長所でもあるし短所にもなるわけなのです。

本来、組織というところは上下の関係や先輩・後輩の関係が厳しく横たわっています。

その見えない一線を越えてしまうような行為は社会で抹殺される危険性をはらんでいるのです。

ところが反骨心の強い人は平気でその一銭も超えてしまいす。

正義感というものは確かに必要なのですが、あまりに「自分が絶対正しい」という態度を取ってしまったら不利になるのはその人間。

反骨心の強い人の生き方が良いか悪いかは別にしてその他多くの一般人が真似をするには、あまりにもリスクが大きいものだということも認識しておいた方がいいでしょうね。

8.皆を引っ張っていくタイプ

反骨心が強い人の特徴の最後の8つ目は「皆を引っ張っていくタイプ」という事です。

ただ、この特徴は微妙なところもあります。

元来、反骨心が強い人というのは組織に対して一匹狼のスタイルで生きていく方も多いため、自ら皆を引っ張っていく事を意識的避けている方もいるからです。

それは無意識に自分が属している組織の足並みを乱すまい、とする反骨精神の一つの表れでしょう。

自分のせいで会社や組織に迷惑をかけてはいけない、という自制の気持ちです。

しかし、反骨心が強い人がいくら自制してもその人間力までを消し去る事は出来ません。

その人が存在しているだけで自然と多くの人が群がっていってしまいます。

それほど人を惹きつける魅力が大きい、と言わざるを得ないという事なのですよね。

反骨心が強い人は率先して皆を引っ張っていこうとはしませんが、自分についてきてくれる人に対しては分け隔てなく愛情をもって面倒をみるところがあります。

だから周囲の人から人気が出てくるのでしょうね。

リーダー的存在になる人も

また、反骨心が強い人は本人が希望するしない、は別にして自然の流れでチームや組織のリーダーに着任するパターンが多い事も事実です。

彼らの頼りがい、人間的スケールの大きさ、誰に対しても平等で分け隔てなく接する事ができる人間的魅力度は周囲の人間が放っておかないからです。

ただ、先ほども申しましたがそもそも反骨心というものは彼らが属する組織に対して燃やされるものです。

これが個人に対して燃やされていたら、単なる嫉妬や妬みのレベルで終わってしまう可能性もあります。

それでは本来の正しい反骨精神とは呼べなくなってしまいます。

正しい真の反骨心を持つためには、組織に対してモノ申せる位置にいないといけないのです。

だからいくらリーダーシップを取る資格があるとしても自分がその組織の中枢に行ってしまったら反骨心自体が消滅してしまい、彼らは魂を抜かれたただの置物になってしかも分かりません。

そうなる事を恐れてか、反骨心の強い方たちは組織の体制派と呼ばれるようなポジションには就くのを拒否したがる訳なのです。

ただ、そういったこだわりを捨てて真にその組織のリーダーとなって皆をグイグイ引っ張っていってやろう、と考える組織型の方もいらっしゃるでしょう。

そのような方がチームリーダーとなれば、また新しい結果がその組織に生まれてくるかも分かりません。

反骨精神旺盛の方のエネルギーはすさまじいものがあります。

一つ、ツボにはまってしまえば恐るべき力を発揮し続けることになるでしょうね。

【リーダー向きな人は、こちらの記事もチェック!】

まとめ

如何だったでしょうか?反骨心という事を大きなテーマにしつつ、

・反骨心の意味
・反骨心が強い人の特徴

というテーマを中心にして紹介して参りました。

最後になりますが、ではどうして反骨心を持つ人とそうでない人とに分かれてしまうのでしょうか?

この問い掛けを解決するには、やはりその人の生い立ちが大きなウエイトを占めると思います。

本来、人は生まれたときには両親が揃っていて、たゆまない愛情を注がれて育ってゆきます。

この親からの「愛情」というものが人間の人格形成に非常に大きな影響力を及ぼすであろう事は広く世間一般でも認識されていることでしょう。

その愛情が幼い時に何らかの理由で欠けてしまったら、その子供はどういう人格形成が成されるでしょうか?

恐らく一方が(母親か父親)欠けてしまっていますから同世代の同じ子供たちが得ていた幸福感には及ばない寂しさや不幸感があったかも分かりません。

この足らなかった愛情分が世の中に出ていった時にエネルギーとして爆発する元となったと勝手に考えているのです。

人間、子供の頃に同じクラスの子が持っていたであろう普通の幸福が欠けていたとしたら、口には出さないでしょうが寂しさと悔しさで心が一杯になったに違いないでしょう。

この幼少時の体験が大人になってから反骨心を生み出す元となったと考えるのは、ちょっと乱暴な推理でしょうか?

皆さんはどのように思われますでしょうか?