でもその後、偶然にもその人とまた会う機会があったりとすると最悪ですよね。
これは一期一会を蔑ろにしてしまった結果でもあるのです。
何事も適当にするようになる
物事には「限度」や「加減」というものがあります。
それは、その事に合わせるために力の入れ方が必要です。
しかし、「適当」にしてしまうと結果的に良くない状態になることが多くあります。
適当とは自分の価値感や経験則で確信がないまま動いてしまう事です。
その適当が良い時と悪い時があります。
例えば料理です。
自分一人で食べる料理なら適当でもいいでしょう。
しかし、お客様にお出しする料理を作る人板前さんなどは適当という訳にはいきません。
お客様が喜んでくれるように、美味しいと思えるように、またお客様がまた来ていただけるようにと思って料理を出すのです。
これはまさに一期一会の精神なのではないでしょうか。
適当が悪いとは言いません。
でも、人に対する態度が適当ではいつか自分も適当にあしらわれてしまう事を忘れないで置きましょう。
相手の記憶に残らない人になる
人は誰かに大事に丁寧に扱ってもらうと嬉しく思います。
そしてその相手を忘れないものです。
それは大事にしてもらうと自分の存在価値がハッキリと分かるからです。
一期一会を大切にしている人は、人を大切にします。
自分も誰かと丁寧に接しますが、その人もまた誰かに大事にしてもらえます。
しかし、一期一会を大切にしない人は、人と適当に接してしまいます。
悪気はないのでしょうが適当な言葉で対応したり、可もなく不可もない行動で物事を受け流すので相手に良い印象を与えられないのです。
つまり相手の中でどうでもいい人になってしまうのです。
普段の生活の中ならよいのかもしれませんが、ビジネスのシーンでは相手、お客さんの記憶に残らないことは非常に辛い事だと思います。
せめて言葉使いは丁寧にして、相手への印象を良いものにしておきましょう。
人に信用されない
たまに自分の口からポロっと適当に言った言葉が、相手に悪い印象を与えてしまったことはありませんか。
これが友達通しの悪ふざけなら無礼講で色々と言い合ったりもできるのですが、初対面の人やこれから親しくしないといけない人などについつい使う言葉を間違えてしまうのは、やはり一期一会の精神が欠けているとそうなってしまうのです。
そうなると相手に信用されなくなることがあります。
言葉だけでなく、行動もそうです。
仕事などで適当な事をしていると、適当にやっても間違えのない軽い仕事しか与えられないでしょう。
毎日やっているような仕事で、小さな誰にでも出来る仕事も真心こめて行えば自分自身も働ける喜びを感じられるし、必ずあなたの行動は誰かに見られていますので真心こめて行えば、周りから信用を得られて、次からはいつもと違った仕事を与えれるでしょう。
向上心が生まれない
向上心とはどこからくるのでしょうか。
何かを見て刺激を受けてから向上心がくるのでしょうか。
向上心が湧き上がるのはとても素晴らしいことですが、続かなければ意味がありません。
続けるにはそれを続ける精神が必要です。
一期一会には向上心を続けられる精神が宿っています。
今日という日は二度とありません、だから今日一日を精いっぱい生きて行こうというのが一期一会の精神です。