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めんどくさいには意味があった!なぜ...(続き5)

健康的な体を失う

めんどくさいという理由で適当な生活を送っていると、健康的な体を失うことになってしまいます。

例えば睡眠時間を摂り過ぎることも体には良くありません。

それを知っていても起きるのがめんどくさくて一日中ごろごろと寝てばかりいると、運動不足になって怪我や病気になりやすくなるでしょう。

また、自炊をするのがめんどくさいからと、毎日コンビニで適当に買ったものばかり食べていると、それが原因で糖尿病や生活習慣病になってしまうかもしれません。

めんどくさいという感情は、その人から考えたり、動いたりする気力を奪います。

そのためその場限りの適当な行動を取ってしまいやすいのです。

どんなことに対しても適当に取り組むのは良くありませんが、健康面でめんどくさがっていると、本当に取り返しのつかない状態に陥ってしまう可能性があります。

偏った食生活のせいで糖尿病になってしまったら、それはそれは治療が大変です。

また、運動不足のせいで怪我をしてしまったら、仕事には支障が出る上に、日々痛みにも悩まされることになります。

病気であれ怪我であれ、めんどうだからと適当にその日を送り続けた結果起こってしまったら、どんなに後悔しても治しようがなくなってしまうこともあるのです。

大切な時間を失う

私たち人間を始め、この世に存在するすべての命ある生き物の時間は有限です。

生まれてから死ぬまでの一生を過ごす時間は人によって差がありますが、いずれはどんな生き物でも必ず死を迎えます。

そのため、自分が死ぬまでの間に残された時間は、どんなに長くても限られたものでしかありません。

その限りある時間をどのように過ごすのかも、その人それぞれで違います。

しかし、どんな人でも生まれたのであれば、それなりに意味のある人生を送りたいと望むものです。

自分の好きなものになることは出来なくても、好きなことをする時間は欲しいと思いますし、なるべくなら死ぬ時には後悔のない人生を送りたいと考えるものです。

あなたがもし、何かをするのをめんどくさいと思って適当に過ごしていると、それは同時にあなたに残された大切な時間を無駄に失っていることになります。

それでも構わないという人は無理に考え方を変える必要はないでしょう。

しかし、大切な時間を失っているということを自覚して、少しでも気持ちが焦った人は、今からでも自分の気持ちや考え方を、改めてみた方が良いかもしれません。

思いやりの気持ちを失う

めんどくさいと思うことで、自分の気持ちや行動を、何もかも投げ出してしまうこともあります。

例えば思考することがめんどくさいと感じてしまったなら、誰に何を言われても真剣にそれについて考えることはしません。

また人の気持ちを思いやることもせずに、自分勝手なことを口にしてしまいやすくなるでしょう。

動くことをめんどくさいと思ったのなら、皆が一生懸命に協力し合っている中で、自分1人だけダラダラと過ごしていたり、突っ立って遠巻きに周りを眺めていたりするでしょう。

めんどくさいと思うことは、自分自身で考えるという行為を放棄してしまうことでもあります。

そして、自分のことについても真剣に考えなくなった人は、当然自分以外の人のことについても、まともに考えることはなくなるでしょう。

例えば誰かが傷ついていても、それを慰めようとも、話を聞いてあげようとも思わないでしょう。

例えば誰かと誰かが喧嘩をしていても、そこへ仲裁に入ろうとは思わないことでしょう。

道で誰かが転んでも、落としたものを拾ってあげようとは思わないでしょう。

「大丈夫ですか?」と声をかけようとも思わないでしょう。

めんどくさいという気持ち1つが、そうしたさまざまな思いやりの心を失くさせてしまうのです。

それは、周りから見ればとても心の冷たい人に映ります。

【思いやりがある人・ない人については、こちらの記事もチェック!】

向上心が失われていく

めんどくさいと思う心は、やる気とは正反対のものです。

向上心や、やる気といった気持ちがポジティブなものであるのなら、めんどくさいという気持ちはそれに対してネガティブなものだと言えるでしょう。