ズバリ、「real」とは現実的な側面からみて人間の役になっているもの、と言えるのではないでしょうか?
もしそれがそうでないのならば、とても「real」などという言い方はできないでしょう。
「real」は現実という意味と同時に「真実」という意味にも取れるからです。
嘘八百の商品であったり情報であったなら、到底「real」という表現は使えませんからね。
日本語で使うリアル
では次は日本語で使う方の「リアル」について紹介していきましょう。
果たして日本語になると「リアル」はどういった意味合いになってしまうのでしょうか?
本当に・マジで的な使い方が多い
「リアル」を日本語で使うと「本当に」とか「マジ」といった意味合いになってしまうようです。
こうなってくると、英語の時の意味よりもかなり砕けてしまった意味合いになっていると言えなくもないでしょうね。
そもそも日本語に登場してくる和製英語というものは、元々の意味を含みながらも、かなり意味を省いた短縮形のような使い方で登場しているケースが多い気がしますね。
英語の「real」は「現実に即した」という意味合いになっていますよね。
それが日本語的に使われると「本当に?」とか「マジ?」などといった疑問形の意味合いに変わってきてしまっています。
英語でそれを表すならば「really」?とならなければならないはずです。
こういったところに日本人の語学力といいますか、日本語も英語もいい加減に扱っている部分を感じてしまうわけなのです。
英語を母国語で使っている人が日本語の「リアル」を聞いたら全く意味が通じなくなるのは明らかですね。
まさに自国内だけで通用するおかしな和製英語、という事が言えるでしょう。
意味から見る2つの違い
次に日本語で使うリアルについて意味合い的に違うと思われる点を、2つの違いに分けてみていきましょう。
リアリティ:現実っぽさ
日本語で使うリアリティは「現実っぽさ」という意味合いを強調した言い方、と解釈してみてもいいでしょう。
何度も申してまいりましたが、「リアリティ」とは「リアル」に接尾辞がくっついた言葉。
それは元々の言葉に活動性を与え、今にも動きだしそうな錯覚すら与えられそうな能動的なイメージを醸し出しているのです。
ということは、「リアリティ」という言葉は単に「リアル」と言うよりもはるかにイメージが強烈で生々しいというか生命観に溢れた表現、となり得ているはずなのです。
また多くの場合、「リアリティ」と言う言い方は何かを例えて用いるような時に頻繁に使われたりもします。
勿論、その性能や出来栄えが素晴らしいものである、という事を強調させるためにです。
という事は、リアリティを頻繁に使う人は実はその物事の良し悪しを深く分かっていないからいたずらに「リアリティ」という言葉を一種の褒め言葉として使っているとも言えるのでしょう。
つまり苦しい時の神頼み。
褒めるのに困ったら「リアリティ」をとりあえず使っておけばそれで事が済む、というムードを感じているからでしょう。
この事態がいい事なのか、それとも逆なのかは別にして、確かに「リアリティ」という言葉には相手を納得させるだけの大きな説得力が備わっているのだけは否定できません。
そう思うと確かに苦しい時の「リアリティ」頼み。
万人に効く魔法の言葉と言えるかも分かりませんね。
リアル:現実であること
一方の「リアル」、こちらは「現実である」ということが最大限の意味となります。
つまり、「リアル」とは嘘偽りが一切ない、全てがオリジナルに忠実に倣ってきちんと真似された世界、という事になります。
「リアリティ」との違いを探すとなると、一切の妥協を排しているところ、と言えるでしょうか。
つまり「リアリティ」にはその作品が完成形を目指したいが為、モデルとなった作品のいいところは勿論、欠点と思える箇所も何かと理由をつけてより完成度の高い作品に仕上げようとする意図が含まれてくるのに対して「リアル」の方は元のモデルに完璧に忠実になぞって作り上げられているところが挙げられるでしょう。
例えば最近、人気になっているお城のミニチュア模型。
実物の400分の1や1000分の1サイズに縮小しているだけで細部にわたって実に「リアル」な造形でマニアが飛びつきたくなるような精巧さを醸し出しています。
という事は、全体的に見れば、綺麗に出来ている部分と汚く出来ている部分も関係なく忠実にそのままの現状の状態で世間に発売されている、という事です。