他人のいう事を信じる、という行為は悪い事ではありません。
変に疑った気持ちで相手の人と接するよりもより親近感もあっていいとは思います。
ただ、何でもかんでも安易に信じてはいけません。
そこはやはり用心して最悪のパターンも想定しながら相手の人と接するべきです。
それが人間の世界の世渡りの仕方です。
人間に相手の心や気持ちを読み取る能力がない以上、人の話は半分半分の気持ちで聞く方がいいでしょう。
もし相手がバリバリの詐欺師だったとしたら、何も考えていない人など5分もあれば陥落されてしまうでしょう。
無駄な損害を何度もやっていたらそれこそあなた個人の問題ではなく家族全体の問題になってしまいますからね。
他人の言うことは話し半分程度に聞いておくのが生きる上においてはベターだと思いますよ。
占いなどにはまりやすい
また何も考えていない人は占いなどにも安易にはまりやすい傾向があります。
テレビや雑誌の血液占いや星占い程度を信じるのはまだいいですが、対面で料金の発生する占いにはまってしまうと1か月でどれほど散財してしまうか想像もつかなくなってしまいます。
人間は初対面の相手には疑いの気持ちを多少は持って臨むくらいがいいのではないでしょうか?
相手が全て、あなたを騙そうと思って近寄ってくるとは限りませんが、被害を受けてからでは遅すぎる事が多々、ありますからね。
考えるということは、自分への災難を最小限に抑えるための最大の防御策なのですよ。
6、自分の意見を持ってない
6つ目は「自分の意見を持っていない」です。
それはそうでしょう。
通常、人間というものは自分の意見を持っていれば、その意見に対抗するような意見が出れば反論しますからね。
奏すれば否が応でもものを考えながら反論するわけです。
何も考えずに相手と論争を起こすことなど考えられませんからね。
自分の意見を持っていない、という事はわざと持っていないようにしている事もあるでしょう。
要するに意見の衝突が怖いからです。
人と意見が合わなくなって嫌われることを恐れているからです。
だから何も考えていないようなふりをしているのかも知れません。
しかし、自分の意見を持たない人間ほど魅力のない人間はいない、という事も客観的な事実です。
人間は多少の理論武装をして他者との言い合いを経験しながら成長して生き物だということを忘れないで欲しいですね。
7、優柔不断で自分で決められない
7つ目は「優柔不断で自分で決められない」からです。
優柔不断な人は何をするにおいても自分で決めることが苦手です。
例えば外食に会社の同僚と食べにいった時。
要領のいい人ならばメニューを見るなりパッと決めて注文してしまいます。
その他の人達も多少、迷いながらも時間をかけるような事はしません。
ところが優柔不断な人は違います。
自分が食べたいものを決めるのに時間がかかります。
ああだ、こうだと屁理屈をつけながら。
一緒に行った者たちのことなど、お構いなしの態勢です。
これは日頃から何を食べたいか、ではなく一緒に行った他の人達に迷惑をかけてはいけない、という配慮が全くないから起こる現象です。
要は周りの空気をまるで考えていない、という事になりますね。
この場合の「考える」は仲間と過ごす楽しい時間を、自分のためにシラケさせない、という配慮なのです。